電車に乗った。
僕は電車に乗るといつも無意識に美人を探してしまう。
そして見つけるとテンションが4上がる。
バイトが終わった時のテンションの上昇度が6だからこれは特筆すべき事柄だと言える。
でも美人の横に座るほどの勇気はない。
というわけで僕はおじいちゃんの横に座った。
僕が席を譲るまでもなくおじいちゃんは席に座っていた。
車内が空いていたので当然だと言える。
おじいちゃんの左に僕は腰を下ろした。
するとあろうことか僕のさらに左に別のおじいちゃんが腰を下ろしたのである。
他にもスペースはあるのに、である。
苦節19年、おじいちゃんサンドイッチの完成である。
ここで便宜上、僕の左のおじいちゃんをヨシオ、右のおじいちゃんをタダシと呼ぼう。
ヨシオは杖をつき、帽子を被り、まさに「ザ・おじいちゃん」をいった感じであった。
彼からは懐かしい匂いがした。
そう、おじいちゃん家の匂いである。
こう言ってこれを読むほぼすべての読者が想起しえるもの、それがおじいちゃん家の匂いである。
LOFTにも東急ハンズにも売っていない、だけどおじいちゃん家にいけば匂う、それがおじいちゃん家の匂いである。
おじいちゃん家にはおばあちゃんもいるのになぜかそう呼ばれてしまう、それがおじいちゃん家の匂いである。
その安心感たるや、僕は羊水に包まれているかと錯覚したほどだった。
この匂いに屈しかけたまさにその時、僕の右で鼻を突くような匂いがした。
タダシが指に湿布を巻き始めたのである。
湿布という少し匂いの気になる貼り薬を公共交通機関の車内という公の場でたどたどしく貼っているその姿を見て、僕はタダシはなんておじいちゃんの典型なんだろうと思った。
親指の付け根に湿布を貼るなんて、タダシはニンテンドーDSのやりすぎに違いないと思った。
ニンテンドーDSをやりすぎて親指の付け根を痛めてしまうなんて、タダシはなんておじいちゃんの典型なんだろうと思った。
おじいちゃんということで保険もきいて湿布も安く買えるのだろう。
その結果、DSで親指の付け根を痛めたくらいで消費できるほど湿布を持っているのだろう。
こんな湿布の大量消費、僕はタダシはなんておじいちゃんの典型なんだろうと思った。
おじいちゃんということで保険もきいて整骨院に入り浸って若い看護婦さんに「お姉ちゃん僕と一回ランデブーせぇへんか」と言っているのだろう。
そして看護婦さんに「タダシさんったらときめきメモリアルのやりすぎですよ」とたしなめられているのだろう。
そしてときめきメモリアルでさえもPS2でなくニンテンドーDSでプレイするのだろう。
大して興味もないキャラクターからのデートの誘いを断ろうと必死にBボタンを連打して親指の付け根を痛めているタダシを想像して、僕はタダシはなんておじいちゃんの典型なんだろうと思った。
ところで、こんなふうに僕の思考の大半をタダシに持って行かれヨシオはさぞかし焦っているだろうと僕は再びヨシオを見た。
ヨシオはただ前を見つめていた。
おじいちゃん家の匂いを発しながら。
さすがである。
人生も終盤に差し掛かれば、隣の若造が自分以外の老人のことに思索を巡らせていても、大してジェラシーは感じないのであろう。
こっちが嫉妬したくなるくらい、ヨシオは泰然自若としていた。
彼の眼前には三途の川が広がっていたかもしれないが。
そして目的地に着いた。
行きずりのおじいちゃんだったとはいえ、えらく長い旅をした感じがした。
ヨシオ、タダシ、ありがとう。