頭ん中を


プリンセスベーコン


って言葉が縦横無尽に駆け回りすぎて困る。


何だそれはつまらん


って思った人正解


イリュージョン出来んのかな


モノホンは顔がまずイリュージョンやったけど


脂ぎってんかな?


それとも学を啓きなすってんのかな?


どうでもいいや。


アイデアが溢れるってのも困りもんだな


もうちょいマシなアイデア出てこいや


…やべぇ高田延彦いっちまう。


寝よう。


 終わり方に納得のいかない読者がいるかも知れない。尻すぼみだと、先の展望を描かずに物語を書くからこんな筋のないことになるんだという人がいるかもしれない。しかし、それは全くの誤りである。物語にまで筋を、合理性を求めてはいけない。全てに合理性、意味を求めるのは近代人の悪癖であり、我々現代人が乗り越えなければならない壁である。我々が思っているほどに世の中が意味に満ち溢れているのではない。我々が思っているほどに我々が世の中を意味づけているのである。とすれば、この一見無意味に思える文章も読者次第で様々な意味を見出すことが出来るであろう。読書とは多義的なものである。私はその多様性を単一性へと狭める気はない。読者諸兄がその多義性の海に途方に暮れるのではないかと怯えなくともこの文章がセンター試験に採用されることはない。よって私はただ一つの意味など提供しない。提供出来ないのではない。ここは強調しておきたい。意味を提供出来ないのではなく、しないのである。また、ちゃんと最後まで書いていないじゃないかとかいう批判もあるかもしれない。あるとすればこれも陳腐なものである。読者諸兄は何を持って物語を終わりだとするのか。ページが終わったところで違和感がなければあぁ終わりか、という程度の認識であろう。そのような物語を作り手に委ねるような認識でいるために次々とでる続編に翻弄されるのである。そうではなく、物語はもっと自由に終わらせてよい。例えば、トイレに行きたくなったとか、作者の言い回しがつまらんとか、明日から学校が始まるとか、締切だとかである。そのように考えると本作で筆者は物語をあえてああ終わらせることで読者に新しい世界を開いて見せたということが出来るかもしれない。しかしこれも私個人の見解であるのでこの読みを強要する気はない。ただ、物語を途中までしか書いていないと即断するのは浅薄ではないかと思う。以上のような理由から、本作は読み手次第で傑作にも駄作にもなりうる、あらゆる可能性を内包した作品だと言える。よってこれが駄作に感じられたとしてもそれは筆者の責任ではない。傑作に感じたら躊躇うことはない。褒めてほしい。前期のゼミレポート四千字のくせに七千字を超えるなんて。もう二度と書きたくないと思いながら筆を置く。


九月末、府内某所にて


次の日の朝、やぎ雄は荷物を携え、牛小屋に向かった。モウちゃんのもとへ行ったのである。朝早いからなのか、モウちゃんはすやすやと寝ていた。やぎ雄はモウちゃんを起こし、

「モウちゃん、今までありがとうな。俺、お前を売らなきゃなんねぇ。次の飼い主が今まで通り乳牛や荷物運びとしてお前を使ってくれりゃあいいが。もしかしたら…、いや、まぁ許してくれや。」と言った。朝っぱらから起こされ更にはまさかの事実を告げられたモウちゃんの返事は、

「モウ」これだけであった。やぎ雄にはこの「モウ」が安眠を妨害されたことに対するモウちゃんの不満なのか、今日いきなり売却されることになったことに対する激怒の表れなのか、それともただいつも通り返事をしただけなのかが分からなかった。そしてこの辺が自分とモウちゃんの限界であり、恋心に籠絡されて竹馬の友を売り飛ばすという鬼畜プレイを可能にするのであろうと思った。とはいえ幼馴染である事実に変わりはない。駅前の市場にモウちゃんを売りに行く道すがら、やぎ雄はモウちゃんとのこれまでの日々を思い出していた。


モウちゃんが初めて家に来たのは、やぎ雄が五歳の時であった。当時やぎ雄はいじめられていた。原因は保育園での音楽の時間にある。理由は言わずとも分かるであろう。やぎ雄はこの時分の頃をあまり思い出したがらない。なので筆者もそっとしておこうと思う。


また、やぎ雄が七歳の時、モウちゃんの乳が出なくなった時は大変だった。モウちゃんの牛乳はやぎ雄家の重要な収入源だっただけでなく、やぎ雄の家族が朝飲む牛乳がないことによって一家のカルシウム摂取量は激減し、やぎ雄の兄のやぎ介とやぎ雄は身長が伸びないのではないかと怯え、父のやぎ造はカルシウム不足で機嫌が悪いやぎ美に怯えていた。さらに追い打ちをかけるような出来事が起こった。ある朝、いつものように題名のない音楽会ならぬ牛乳のない朝食会を開いていると、父が悲痛な面持ちで「モウちゃん、今日も出なかったなぁ。」と言った。ここまではいつも通りであった。しかしここでやぎ介がパンドラの箱を開けてしまった。「いつも思ってたんだけどさぁ、母さんの乳は売らねぇの?だって母さんも雌やぎじゃん。」カルシウム不足であまり余裕のなかったやぎ造はうっかりこう言った。「あいつの乳はくどいんだよ…、はっ!」その日、いやその瞬間からである。やぎ美のやぎ造に対する態度に辛辣さが顕著に表れるようになったのは。そしてやぎ造の空気読解力というポテンシャルが開花した(させられた)のは。当時のやぎ介とやぎ雄は、カルシウム不足というのはかくも人の心を荒ませてしまうのかと思っていたが、今なら分かる。あれは、カルシウム不足ではなかった。やぎ造は様々なミスを犯していた。ここでその全てに触れることは筆者の高貴な品性が損なわれる可能性があるので遠慮させて頂く。というかもう言わんでも分かるんちゃうか。


 モウちゃんとの思い出をいろいろ思い出して感傷的な気持ちになってきたやぎ雄は、「いろんなことがあったなぁ、モウちゃん。」と声をかけた。モウちゃんは一言。「モウ」

と言った。やぎ雄にはこの「モウ」が「そんなこともあったわねぇ、あなたたち家族ったら私の乳環境で一喜一憂するから大変だったのよ、もう。」の「モウ」なのか、今日売り飛ばされることに対する激昂の「モウ」なのか、それともただの返事の「モウ」なのか分からなかった。やぎ雄はモウちゃんを一刻も早く売ることに決めた。


 そうこうしているうちにやぎ雄とモウちゃんは市場へ着き、やぎ雄は牛飼いのもとへ行った。

「こいつを買って欲しいんだが。」やぎ雄が尋ねた。

「おやおやお客さん、こんな老牛二束三文にもなりませんよ。」ちなみに二束三文が具体的にいくらなのかは筆者にも分からない。

「ほう、確かにこいつは年老いてるがまだ乳も出るし荷物も運べる。食ってもうまいだろう。いつもi-Podでモーツァルトを聴いているからな。少なくとも年老いているのに加えて乳も出ないし荷物もそんなに運べないし食ってもうまくないだろうおまえよりは価値はあると思うんだが。」覚醒したやぎ雄は容赦がない。

「お、お客さんめっちゃ言いますやん。笑」

「お、なんだ。お前西京出身なのか?」やぎ雄が食いつく。

「あぁ、つい出てまいましたな。そうです。わいは西京出身ですわ。今日は月末やさかいに仕事が終わったら西京に帰るんですわ。」

「本当か!?俺は今から西京に行きたいんだ。」

「へぇ、何でまた西京に行きたがってますん?」

「実はかくかくで…」

「ほぉ!しかじかですかいな!?それは失礼しました。ほんならわいの西京行きのチケット譲りましょう。これでそのやぎ子さんとやらに会いに行って下さい。もちろん牛は頂きません。」

「いいのか!?本当にありがとう。でも牛はもらってくれ。荷棚に乗らないから。」

「ええんですか?」

「ああ。じゃあな、モウちゃん。」やぎ雄の胸に一抹の寂しさがこみ上げる。都合のいい胸である。

「モウ」モウちゃんが言った。やぎ雄にはこの「モウ」が「売らなくてよくなったのに譲渡とかどういうこと?もう!」の「モウ」なのか、「私のi-Podのヘビーローテーションは滝廉太郎よ、もう」の「モウ」なのか、それともただ単に返事しただけなのか分からなかった。やぎ雄は売って正解だと思った。

 かくして西京入りのチケットを手に入れたやぎ雄は西京行きの列車に無事乗り込み、やぎ子のいる西京へ向かった。