やぎ雄は電話という文明の利器の存在を完全に忘れてしまっていた。


 しかし、筆者はここで一つ読者諸兄に注意を喚起しておきたい。つまり、ここでやぎ雄が電話という、アレキサンダー・グラハム・ベルやトーマス・アルバ・エジソンなどの血の結晶の享受に与らないのは、かようなものを使用すると物語がここで終わってしまうからであるという消極的理由では決してないということである。そうではなく、やぎ雄の完全なる過失なのである。そもそも自らの一世一代の大発明が、いくら覚醒したとはいえ黒ヤギの「さっき手紙になんて書いたの?」などという仕様もない用件に使われることはベルにとってもエジソンにとっても不本意であろう。というか想像すらしていまい。ベルとエジソンの血のにじむような(本当に吐血したかどうかは知らないが)苦労にナノ単位でも想像が及ぶのであれば、かようなことに電話を用いて(このエンドレスソングに終止符を打って)はならないということに読者諸兄にも気づいて頂けるはずである。そしてまた、電話から派生したメールなるものについても同様である。やぎ雄がこの状況をメールで打開してはならない理由について述べるのは前五行ほどをコピー&ペーストするだけでただただ紙面の無駄であるから割愛するとして、以上の論旨をつかんだ読者であれば、「帰りにシャンプー買ってきて」と大学生の息子に頼む母や、学校で毎日会っているにもかかわらず「いま何してるの?」「返信遅れてごめん。バイトだった。そっちは今日どうだった?」などとつまらぬ用件で一喜一憂している妙齢の男女から即刻携帯電話を取り上げるくらいの法律が出来てもいいということに異論はなかろう。これは筆者の私怨の集積ではない。ただ深遠かつ高尚なる思索の一端を吐露してしまっただけである。話がそれてしまった。つまりここで言いたいのは、この物語がここでメールとか電話で終わってしまうとエジソンとベルに祟られそうであるし、なにより読者諸兄も面白くないであろう、ということである。本音を言えば筆者としてもここで終わってくれればフランス語の勉強とか学校のレポートとかゼミのレジュメとかができ、誰に頭を下げることもなく平穏無事に暮らせるのである。かくも身のない、不毛な文章を作り出すがために我が脳細胞を総動員しているかと思うと些か自己の姿を見るに堪えない。またまた話がそれた。続きへ進もう。


 かくてやぎ雄はどうしたか。

 やぎ雄は以下の結論に達した。「…これはもう直接会いにいくしかねぇな。」やぎ雄にとってこれは相当な一大決心であった。なぜか。やぎ雄の住む田舎とやぎ子の住む都会とでは物価が違いすぎる。そして農業と畜産業を営みながら細々と暮らすやぎ雄一家には都会のやぎ子に会いに行く金も、家業を休む暇もなかった。やぎ雄は両親のもとへ頼みに行った。やぎ雄がリビングに行くと、母のやぎ美は暖炉の近くのソファで編み物をしていて、父のやぎ造は暖炉の遠くの椅子で読書をしていた。

「俺、明日やぎ子に会いに西京に行ってくるよ。」

「やぎ子?それは誰だい?それにあんた、明日からの稲刈りはどうするんだい。」やぎ美が言う。

「今日見てきたけどもう少し実らせた方がいいと思う。」真っ赤な嘘である。「やぎ子は小中で一緒だったやぎ子だよ。覚えてないのか?」

「あぁ田中さんとこの。でもわざわざ会いに行かなくたって手紙を書けばいいじゃないか。」実に凡庸なやぎである。やぎ雄はこの瞬間自らのやぎとしての特異性に気づかされざるをえなかったが、あくまで親思いなやぎ雄には「手紙食っちまうじゃねぇか」などという不埒なことは言えない。

「中学を卒業して、あいつが都会の高校へ進学することになった時にさ、二十歳になったら迎えに行くって約束したんだ。」親思いが発する、もはや真紅の嘘である。

「そうかい。それなら行っておいで。」まんまと騙されたやぎ美は快諾した。

「でもあんた西京に行くためのお金はどうするんだい。」やぎ美はそこまで盲目ではない。やぎ雄に口八丁では避けて通れない現実的な問題がのしかかった。しかし覚醒したやぎ雄の決断力は凡庸なやぎのそれとは比べ物にならない。

「モウちゃんを売るよ。」やぎ雄は寸分のためらいもなく言い放った。

「お前、まさか愛牛を売る気なのか!!!」今日初めてやぎ造が口を開いた。並びに今日一番の驚きを見せたやぎ造はその衝撃ゆえに元々状態が芳しくなかった腰痛を再発させてしまったが、ここでその痛みを訴えることはこの物語の話の腰を折ってしまうことにつながると考え、かつやぎ造にはある事件を契機として身に付けたやぎ並外れた空気読解力があるため、自分の腰よりも物語の腰を優先させることにした。

「モウちゃんはお前が長年可愛がってきた愛牛じゃないか。」何事もなかったかのように振る舞えるのはやはり年の功なのか。

「でも、俺は行かなきゃならないんだ。」やぎ雄の脳内では今「トレンディドラマ」という言葉が十二~三世紀モンゴル並みの趨勢を誇っていた。

「モウちゃんはお前の幼馴染みじゃないのか?」腰の痛いやぎ造にはさっきの言葉を焼き直すことしかできない。

「モウちゃんには悪いけど、俺、やぎ子を愛しているんだ。」やぎ雄は「トレンディドラマ」では自分が間違いなくハーンの称号を名乗るに値するはずだと鼻息を荒くしながら言った。

「いいじゃないか行かせてやれば。牛なんてまた育てりゃいいよ。」腰を弱めているやぎ造に一言、やぎ美が言った。

「気をつけて行ってこいよ。」行間という言葉では言い表せない程のやぎ造の変わり身である。やぎ雄は己が父を不憫に思いながらも、そして事の解決に自分の「トレンディドラマ」とやらの効果はあったとも果たしてあったのかと訝しく思いながらも、自分の明日の出発のために父を置き去りにしてそそくさと部屋に帰り、荷造りをして床についた。





ログインできました。


そして、いつの日か書いた小説の続きがおもしろかったのでここに記す。



ピングポーング。チャイムが鳴った。ここでは「そのGは読まないんだよ」と咎める輩は存在しない。ピングポーング。もう一度チャイムが鳴った。黒ヤギのやぎ雄がドアを開けるとそこには郵便局の配達員が立っていた。

「八木やぎ子さんから速達でーす。」快活な声で配達員が言った。

手紙だった。

「最近は民営化してお前んとこも大変だな。」気だるそうにやぎ雄が言う。

「ここ田舎だからほんと死活問題っすよ。」快活さを七割削り取られた配達員が言う。
会話だった。そんな他愛もない会話をしながら手紙を受け取り、やぎ雄は部屋に入った。

他愛もない


やぎ雄は手紙を食べていた。まだ…、読んでないのに。

それは動物の本能とでもいうべき所業ではあったがやぎ雄は一瞬にして丁寧に手紙をしたためたやぎ子の想い、そして民営化してコストを考えればこんな田舎で郵便局を営み続けていくことは厳しいにも関わらず手紙を届けてくれた配達員の苦労を踏みにじったのだ。

…にも関わらず、である。

「これ再生紙じゃねぇか。」

やぎ雄がその刹那思ったことはこれであった。全くどうしようもないやぎである。しかしやぎ雄はそこでハッと我に返った。

「ちがう、そうじゃねぇ…、やっちまった!!」

やぎ雄はかつてないほどの自己嫌悪に苛まれた。その姿たるや、「こんなはずでは」と言いながらも欲しいCD全てを買うお金がないためにパソコンで違法ダウンロードしてしまう友人のK君、「こんなはずでは」と言いながらもスーパーを出るころにはエコバックにアンパンが三つ入っている万引き主婦、そしてなにより、過去に本能に身を任せたが故に取り返しのつかない過ちを一生繰り返しつづけ、「こんなはずでは」と喚きながらももはや中毒症状から抜け出せず、一族の恥となり童謡として後世に語り継がれるまでとなった自らの曾祖父を想起させるには十分であった。

「違う!俺はあんな愚図じゃねぇ!!」やぎ雄は心の中で叫んだ。その姿はかつて公教育の中で自らに注がれた他者の視線をも振り払おうとしているかのようであった。

やぎ雄は無い知恵を一生懸命振り絞り目の前にそびえたつ大問題の打開策を考えた。

(これは俺から手紙を書いてもう一度送ってもらうしかねぇ。)


さて、ここまでなら凡庸なやぎであるとの感は否めない。というより、曾祖父のデジャヴである。しかし、しかしである。崖っぷちに立たされたやぎ雄はここで読者諸兄の想像をはるかに超えて覚醒してしまう。

(まてよ?あいつもやぎだ。俺の手紙読まずに食っちまうんじゃねぇのか?)

彼が他の凡百のやぎと一線を画し、やぎとして、そして物語として決して踏み入れてはならない領域に足を踏み入れたのはこの問いを自らに投げかけたこの瞬間であった。


そしてこの瞬間をターニングポイントとして、彼は少しずつ他のやぎとのギャップに悩むことになっていくのだが、それはまだ少し先の話でありこの時の彼にはそのことを知る由もない。

覚醒したやぎ雄はとどまることを知らない。

(食用と読む用の二枚書こうか…。いや、もしあいつがたまたま腹を空かせている時で二枚とも食っちまったら?そんな区別関係なくなるじゃねぇか!これは駄目だ!…そうだ、クソにがい化学インクで手紙書けば一口目で吐き出すんじゃ…、いやまてよ?もしもその食っちまったところが差出人名記のところだったら?俺からの手紙だってことが分からねぇじゃねぇか!あいつの住んでる都会はわざわざ配達員がチャイムなんかならしてくれねぇ!ただポストに入れられるだけだ!…なら化学インクで差出人の俺の名前の名前を九十九回書いて一回「さっきの手紙のご用事なぁに?」って書きゃあ…、違う!これじゃ「ウォーリーをさがせ!」みたいになっちまう!一休さんでもねぇただの一般やぎのあいつがそんなトンチ見破れるわけがねぇ!そもそも化学インクは駄目だ!俺の兄貴がつい一カ月前にそれ食っちまって腹壊して病院送りになっちまったばっかじゃねぇか!やぎ子が入院したら手紙の内容なんて元も子もねぇ!クソッ!まったくどうすりゃいいんだ!)

やぎ雄の頭はかつてないほど回転していた。その姿は先ほど自らの本能に逆らうことができず手紙をパクっといっちまったあのグズなやぎとは別人であった。ただやぎ雄は忘れていた。


電話を。











友の尿意が県境を跨いだ。


聞けば彼は奈良の自分の大学にいる時から、大阪のバイト先にくるまでおしっこを我慢していたという。


なんということだ。


越境尿学じゃないか。


越境尿学がアリなのか、ナシなのかという議論などどこ吹く風と言わんばかりに彼の尿意は軽やかに県を跨いだ。


ついでに言えば、「越境尿学」などというよくわからん単語への疑義も軽やかに跨いでくれて構わない。


2010年だったからよかったものの、時代を間違えれば彼の尿意は国を跨いでいたのである。


例えば、江戸では「入り鉄砲に出女」が警戒されていたらしいが「入り尿意に出尿意」も警戒されていたに違いない。


洩らされては困るからだ。


彼は改札が関所でなくてよかったと本気で思ったに違いない。


したがって彼は現代文明が作り出した鉄道に感謝しなければならないだろう。


また彼の両親が作り出した彼の膀胱にも感謝をしなければならないだろう。


なぜなら膀胱が彼の尿をその深く広い懐で抱えていてくれなければ、彼の尿意は県境を越えることはなかってからである。


彼は勇者ではなく、単なるシマリのない体をした青二才になり下がるところだったのである。













…ちょ途中やけどやけどおしっこしたいからもう終るわ。


ほなまた。