No.257 阿蘇の神々 健磐龍命と阿蘇津姫

 
宮原誠一の神社見聞牒(257)
令和6年(2024年)08月20日
 

阿蘇神社の神々、健磐龍命(阿蘇津彦)と阿蘇津姫について、
神社名(所在地を含む)、祭神名、由緒等から、健磐龍と阿蘇津姫が通称名で、いかなる神名であるか、論考・考察され、結論を導かれた方がおられます。
さらに、ヤマト政権に消された関連する一対の男神・女神をも調べておられます。

アメブロ「瀬織津姫と消された男系太陽神」と題して
サブタイトル「ヤマトに消された一対の男神・女神を調べています
筆者:seorituhime1
URL:https://seorituhime1.blog.fc2.com/

No.01 2021/12/19 健磐龍命と宗像神 に始まり
No.40 2022/03/05 火の国・水の国の「天照大神」と「瀬織津姫」の最終編

40編を読み通すと、私の独断ですが、次のような結論が得られます。

火の神=天照男神=健磐龍=大歳神=年祢神=国龍神=草部吉見神
水の神=瀬織津姫=罔象女神=淀姫=豊姫=阿蘇津姫=雨宮姫=蒲地姫

そして、ヤマト政権によって消された神々は「天照大神の男神」と「瀬織津姫の女神」となります。天照大神と瀬織津姫は尊称であり、その実態は示されていません。
この結論は、ほぼ私の結論と一致します。私自身驚いています。神社名(所在地含)、祭神名、由緒等から、かくも結論が得られるのかと。


火の神
私のブログを最新編No.256まで読まれた方は察しがつくと思いますが、
火の神は、九州では「埴安彦」櫛田神社の祭神「大幡主」であり、伊勢外宮の祭神です。現世では那国(奴国)の王様です。
大幡主は多くの神名、通称名、尊称を持っておられます。

 国常立神(くにとこたちのかみ)
 神皇産霊神(かみむすびのかみ)
 天之御中主(あめのみなかぬし)
 大地主神(おおとこぬしのかみ)
 土御祖神(つちみおやのかみ)
 埴安彦(神)(はにやすひこ)
 正八幡神(しょうはちまんしん)
 大若子(おおわくこ だいじゃこ) 博多櫛田神社の祭神名
 塩土老翁(しおつちのおじ)
 大海神(おおわたつみのかみ)
 速玉男神(はやたまおのかみ 熊野大神)
 倭大国魂神(わのおおくにたまのかみ)
 白日別神(しらひわけのかみ 筑紫大神)
 玉手見命(たまてみのみこと)
 稲佐神(いなさのかみ 伊奈佐神)
 奴(那)国王(なこくおう)
 安寧天皇(あんねいてんのう)
 磯城津彦(しきつひこ)

まだ、他にありますが、よく見受けする祭神名は
神皇産霊神、天之御中主神、埴安彦(神)、正八幡神、熊野権現の速玉男神でしょうか。
天之御中主神は、以前、「女神=白山姫」と教え込まれましたが、熊本県の八代神社(妙見宮)を訪問し、さらに神社巡りを重ねるごとに、天之御中主神は男神である、と結論に至りました。
白山姫は瀬織津姫であり、天照女神です。

そして、出雲大社(杵築大社)の祭神である「大国主」は尊称であり、名を明かさない神と言えます。本来の神名は大穴持命であり、やっと近年に至って、「大幡主」と同一神であることがわかりました。
出雲大社は古代より杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称されました。

 大国主の別称
 大穴牟遅神(おおあなむぢ)
 大穴持命(おおあなもち、『出雲国風土記』、『伊予国風土記』逸文での表記』)
 大汝命(おおなむち、『播磨国風土記』での表記)
 大名持神(おおなもち)誕生後の名。
 国作大己貴命(くにつくりおおなむち-)祝詞『大国神甲子祝詞』
 八千矛神(やちほこ)沼河比売との物語での名
 大国魂神(おおくにたま)各地の神社で同一視される
 杵築大神(きづきのおおかみ)
 大己貴命(おおなむち)


宮原誠一の神社見聞牒「No.254 宗像大社辺津宮と織幡神社③」
令和6年(2024年)07月01日

宗像神社の神様
宗像大社は、水神で織姫神の湍織津姫(せおりつひめ)である天照女神と高宮の大幡主(天忍穂根命・大根の神)を祀ります。
宗像三女神(田心姫・湍津姫・市杵島姫)は天照女神の三分神です。

綿積三神も志賀大神(志賀姫)の天照女神の三分神です。
造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)は大幡主の三分神です。
住吉三神も大幡主の三分神です

「玉」が付く神名は、許黄玉と玉垂命の天照女神に因みます。
豊玉彦、豊玉姫、玉依姫・・・
高良玉垂命の高良神は大幡主、玉垂命は天照女神です。
安心院の三女神社、宗像神社、その摂社・宮地嶽神社、宝満神社は水沼君の高良玉垂命神社に行き着くのです。

大国主神社
大国主神社の社号を持つ神社は、福岡県では岡垣町手野が唯一です。
戦前、大牟田市に一社ありましたが、不明です。

大国主神社 福岡県遠賀郡岡垣町手野(ての)1306

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大国主神社は岡垣町の「手野(ての)」に鎮座です。同じ地名「手野」に鎮座される有名な神社が阿蘇にあります。

国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮

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雨宮媛の伝説には乾珠(干珠)・満珠の話が出てきます。
すると、干珠・満珠の説話は神功皇后の伝説でなく、天照女神の話となりますか?
※六角灯籠、本殿の向拝の柱は四本柱で高良神社造り、天照女神と大幡主が祭神
 国造神社の一ノ宮・速瓶玉命は大山咋=大幡主
 国造神社のニノ宮・雨宮媛は水神で天照女神

水の神と天照女神
女神の「水の神」は罔象女神(みずはのめのかみ)として、筑後川筋ではよく見かけます。
瀬織津姫も水神です。そして、瀬織津姫は天照女神です。

水の神=瀬織津姫=罔象女神=淀姫=豊姫=阿蘇津姫=雨宮姫=蒲地姫

瀬織津姫の異名同神として、
福岡、佐賀、長崎では「淀姫」「豊姫」として、
熊本では「阿蘇津姫」「雨宮姫」「蒲地姫」として祀られていることになります。

天照女神は月姫
「No.24 2022/01/20 仏にされた高良玉垂命」
「No.26 2022/01/22 月姫大明神と高良玉垂命」の記事に
天照女神は月姫であると気になる記事があります。
天照女神が輝夜姫(かぐやひめ)のモデルとは気づいていましたが、ようやく、その根拠を得ることができました。
月読命≠月姫=玉垂命=天照女神
カグヤヒメのモデルは天照女神(=木花咲耶姫)で間違いありませんでした。
さらに、大幡主は月読命であり、神紋は五三桐紋、また、大幡主は天照男神であり(=彦火火出見命)、天照大神と称したようです。神武天皇の別名は「彦火火出見」です。
大幡主とヒミコ(天照女神)は天照夫婦神ということになります。名実共に、伊勢神宮の天照夫婦神ということになります。大和政権が大幡主を隠してたまらないはずです。

「seorituhime1」のNo.24、No.26の記事からの参考です。

太田亮『高良山史』の中で、高良大社の縁起として高良玉垂宮本地垂迹の記述があります。
高良大社の祭神、
左宮 一殿 八幡大菩薩  本地釈迦牟尼仏
中宮 三殿 玉垂宮大菩薩 御本地得大勢至菩薩、或説十一面云々
右宮 二殿 住吉大明神  本地阿弥陀如来、或虚空蔵菩薩

ここでは玉垂宮大菩薩(高良玉垂命)の本地は勢至菩薩で、後に十一面観音に入れ替わっています。勢至菩薩は月天子と同体とされ、玉垂命(=天照女神)はお月様(月姫)となります。
天照女神が月姫であることは、近くの福岡県小郡市松崎の神社で理解できます。

倉稲魂神社 福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたま)

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稲荷神社に宮地嶽神社の三笠松紋が打ってあります。祭神の倉稲魂命は天照女神となります。稲荷神社の主祭神は天照女神であり、朱が使われるはずです。朱は天照女神であり、白または黒は大幡主であり、社殿に朱の柱に白(黒)の壁は天照女神と大幡主を祀ることになります。

境内には、倉稲魂神社、天満神社(天満稲荷神社)、愛宕神社、素戔嗚神社が配置されています。小郡市史によると、倉稲魂神社は別名:月姫稲荷神社となっており、かつてはここに月姫大明神を祀っていたことになります。
倉稲魂神社は、寛文8年(1668)に松崎藩主有馬豊範が城の鎮護として京都の伏見稲荷神社から分霊を勧請したもの。
天満神社は元禄2年(1689)、小郡市下岩田念島にあった氏神として祀られていた天満神社を、当時の代官服部六左衛門が松崎宿の鎮守として、松崎宿の北側筒ヶ池(現在の大添池の東側)字古原に遷してきた。
現在、古原の天満神社、城山の愛宕神社は城山の倉稲魂神社の境内に合併され、社号を天満神社として、小郡市松崎(字城山)704に三社が配置されています。

天満神社(天満稲荷神社)  福岡県小郡市松崎704
祭神:豊受姫命、菅原神、軻遇突智神

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菅原神は字古原に村社天満神社として、軻遇突智神は字城山に無格社愛宕神社として祭祀ありしを、大正四年(1915)、字城山無格社倉稲魂神社に合併の上、村社天満神社と変更許可。

豊受姫命(天照女神)は倉稲魂神社の祭神、軻遇突智神(大幡主)は愛宕神社の祭神。
天満神社、素戔嗚神社(祇園神社)の祭神は大幡主です。天満神社の本殿屋根棟には「梅鉢紋」と「三笠松紋」が打ってあります。素戔嗚神社の右横の空き地にはもう一社の祠があったと想定されます。恐らく、天照女神のものでしょう。鳥居の前に七夕夫婦神の天橋立(太鼓橋)があり、鳥居の左横には「ありま藤」の藤棚があります。

境内社・愛宕神社と素戔嗚神社(祇園神社)

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郷土史家の柳勇氏は、「筑後松崎史」のなかで、
「古来松崎駅には盛夏七月頃となれば、厄除けの為『お汐井取り』と『獅子舞』の行事があった。お汐井取りとは、松崎町から二軒づつが一組となって、順番に氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮のある朝妻に下り、『朝妻の井』より小石を拾ふて持ち帰り、是を小桶の水につけ、其水を杉の小枝で松崎の各家に振り歩くのである。」

月姫大明神を祀っていた松崎の人々が氏神の高良玉垂宮まで詣でるのが引っかかる。そこは距離があるからだ。高良玉垂命は月姫大明神と同じく月神であり、朝妻の井には水神・水波能売命を祀る。

味水御井神社 福岡県久留米市御井朝妻1丁目5
祭神:水波能売命

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味水御井神社の古宮は水沼君の高良玉垂命神社で、水沼君が福岡県北野町赤司の止誉比咩神社の祭神と益影井(蚊田の渟名井)の霊水を御井の湧水に移し、高良玉垂命神社を創立されました。この高良玉垂命神社が後の高良大社です。玉垂命が天照女神であり、高良大神・八幡大神が大幡主です。

松崎の人は、盛夏七月頃の厄除け(夏越の祓)には、「お汐井取り」と「獅子舞」の行事があり、氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮(味清水御井神社)の朝妻に下り、「朝妻の井」より小石を拾ふて持ち帰り、これを小桶の水につけ、その水を聖水となし、杉の小枝で松崎の各家に振り歩く、という。
私の八重亀天満宮の夏越の祓の茅の輪くぐりでは、聖水の塩水を杉の小枝で、茅の輪をくぐる参拝人に振りそそぎます。

これらからして、月姫=玉垂命=天照女神 が成り立つのです。

月読神社 福岡県久留米市田主丸町益生田(二田)187

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益生田(二田)187                  田主丸(東町)546

 

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福岡県北野町八重亀 天満神社「夏越し祓・茅の輪くぐり」
1999年(平成11年)7月4日(No.06)



阿蘇神社の健磐龍命(阿蘇都彦)と阿蘇都比咩命
現在の阿蘇神社の祭神は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神、比咩御子神、彦御子神、若比咩神、新彦神、新比咩神、若彦神、彌比咩神、速瓶玉神、金凝神と
十二神を祀っていますが、十世紀当時は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神の三神だったようです。(『阿蘇神社』阿蘇惟之、No.30 2022/02/06 阿蘇神社と十一面観音)

平安時代の永長元年(1096)、阿蘇神社の境内に神護寺(神宮寺)の青龍寺が建てられて、現在は近くの民家に移転しています。その本尊の十一面観音は天照女神であり、大幡主の薬師如来は不明です。本地仏からすると、阿蘇神社の主祭神の健磐龍命は大幡主であり、阿蘇都比咩命は瀬織津姫であり、天照女神となるのです。

阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命(阿蘇都彦)、阿蘇都比咩命、国龍神(吉見神・彦八井神)、比咩御子神 他

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国龍神(吉見神・彦八井神)=大幡主
比咩御子神=天照女神=瀬織津姫

天台宗金剛山青龍寺 熊本県阿蘇市一の宮町宮地165
本尊:十一面観音菩薩

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火の神=健磐龍=大歳神=年祢神=国龍神=草部吉見神=天照男神=大幡主
水の神=阿蘇津姫=罔象女神=淀姫=豊姫=雨宮姫=蒲地姫=天照女神=瀬織津姫

「貴 むち」は宗廟神社の意味で、神名の後につけるものではないのですが、使用することとします。
「貴 むち」の称号を持つ神名は、「道主貴」(みちぬしむち)、「大巳貴」(おおなむち)、大日孁貴(おおひるめむち)があります。これらの尊称は天照女神の尊称です。
「道主」は西海道主すなわち倭の主であり、「大巳」は大蛇であり、蛇神です。
大日孁は大日女(おおひるめ)とも書きます。
大日子(おおひるこ)=蛭子=えびす=大幡主となります。
さらに「おおなむち」の表記に「大己貴」がありますが、これは土神で、大幡主です。

福岡県筑前町の大己神社は「大巳神社」の表記も併用されます。大幡主と天照女神を祀るからです。(メッセージ26)
大巳神社=天照・蛇神、水神、龍神(くらおかみ)
大己神社=大幡・土神、火神、龍神(たかおかみ)
己は土(つちのと)ですから土の神になります。

※打ち出の小槌
大巳神社には、許黄玉のシンボル「打ち出の小槌」の彫刻を見かけることがあります。 「打ち出の小槌」は大国様の専用シンボルではありません。許黄玉から来る天照女神のシンボルです。すると、大国様、大黒様、えびす様は、本来は女神だったのでしょうか?いつからか、男女神が入れ替わったことになります。(No.250)
福岡県北野町赤司の八幡神社(止誉比咩神社)の参道手水舎横には、えびす様(天照女神)と猿田彦神(大幡主)が並んで祀られています。

赤司の八幡神社 福岡県久留米市北野町赤司1765

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※十干十二支(じっかんじゅうにし)メッセージ21
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類

甲 こう きのえ  木の兄 草木の芽生え
乙 おつ きのと  木の弟 陽気でまだ伸びなく、かがまっている状態
丙 へい ひのえ  火の兄 陽気の発揚
丁 てい ひのと  火の弟 陽気の充溢
戊 ぼ  つちのえ 土の兄 陽気による分化繁栄
己 き  つちのと 土の弟 分散を防ぐ統制作用
庚 こう かのえ  金の兄 結実・形成・陰化の段階
辛 しん かのと  金の弟 結実・形成・陰化の段階
壬 じん みずのえ 水の兄 陰による統制の強化
癸 き  みずのと 水の弟 陽気を下に姙む意




参考資料
アメブロ「瀬織津姫と消された男系太陽神
サブタイトル「ヤマトに消された一対の男神・女神を調べています
筆者:seorituhime1
URL:https://seorituhime1.blog.fc2.com/

40編のアメブロ記事で、関係する神社の写真は掲載されていませんが、考察は実際の神社、あるいは写真等を見られての記事と見受けられます。
筆者は熊本県及び福岡県の阿蘇神社に関係する神社を主に取り上げられており、住居は福岡県の筑後地方とも取れるのですが、筆者のプロフィールは不明です。ハンドルネーム (handle name)は「seorituhime1」で「瀬織津姫1」であり、女性の方でしょうか、文体は男性の方です。

※ハンドルネーム(handle name)とは、
 インターネット上で活動する際に名乗る仮名で、和製英語です

40編のアメブロ記事の中から、参考度が強いもの21編を取り出し、内容を抜粋要約しています。記事の中にある写真は当方の写真を追加しています。また、※印の挿入文は私の見解です。参考度が高いので、神社巡りの際に、ネットアクセスに使用したいと思っています。ブログの内容を詳しく知りたい方は上記のURLにアクセスください。

 

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No.01 2021/12/19 健磐龍命と宗像神
阿蘇神社 福岡県小郡市干潟594-1
祭神:健磐龍命
合祀:素盞嗚尊、菅原神、(多紀理姫命・市杵島姫命・多紀都姫命)、天照御魂神

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熊本の阿蘇関係神社では健磐龍命(阿蘇津彦)と阿蘇津姫が一緒に祀られることが多いのですが、この社では合祀とはいえ、何故か宗像神(宗像三女神、天照女神)が祭られています。
宮地嶽神社は神功皇后を祀ることが多かったのですが、実は宗像神を祀っていたことが分かり、それは収穫でした。
八女の星野村には麻生池、麻生神社、中島弁財天社があり、麻生(あそう)は阿蘇のことではないか、実際に、阿蘇の神・健磐龍命(阿蘇津彦)が祀られています。

星野の麻生神社 福岡県八女市星野村10874
祭神:建磐龍命、柿本人麿 由緒:不詳
境内社:中島弁財天社 祭神:市杵島姫命

ここでも阿蘇津姫の代わりに宗像神(市杵島姫)が出てきます。健磐龍命は阿蘇津姫と一緒に祀られるケースがほとんどです。市杵島姫命を祀ると言うことは、阿蘇津姫と市杵島姫は同神の可能性があります。(※阿蘇津姫=市杵島姫=天照女神)


No.04 2021/11/16 高良玉垂命(瀬織津姫)
大善寺玉垂宮 福岡県久留米市大善寺町宮本1463−1
祭神:玉垂命、八幡大神、住吉大神

赤司八幡宮 福岡県久留米市北野町赤司1765
祭神:道主貴(三女神)
   止誉比咩命・與止比咩命・息長足姫命
   八幡大神・高良大明神・住吉大明神

筑後国神名帳には「玉垂媛神」とあり、高良玉垂命は女神ということになります。
道主貴(宗像三女神)=豊姫(止誉比咩命)=高良玉垂命は与止姫(淀姫・與止日女命・與止比咩命)にもなります。『肥前国風土記逸文』には、欽明天皇の25五年、肥前の国の佐嘉の郡に与止姫の神が鎮座なされた。一名豊姫、一名淀姫。
そして、佐賀の與止日女神社(別称:河上神社)に祀られる與止日女命は、和歌山県の川上神社に勧請され、本来の瀬織津姫命に戻ります。

川上神社 和歌山県田辺市上秋津1509
祭神:瀬織津姫命、速秋津姫命
由緒:天文16年(1547)、大阪河内の国野村郷の野村久太夫好久が、秋津の里に定住すると同時に佐賀県川上村の河上神社より、川中口の「右衛門平」に勧請したのが始まりと伝えられる。

高良大社 福岡県久留米市御井町1番地
祭神:高良玉垂命、八幡大神、住吉大神

筑後国神名帳にも「玉垂媛神」との記載があり、高良玉垂命は男神ではなく女神ということになります。その上、住吉の神と高良玉垂命(玉垂媛神)は深い関係にある神々のようです。まるで一対の男女神のように。
(※住吉大神=正八幡大幡主、高良玉垂命=天照女神)


No.09 2021/11/27 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神荒魂・瀬織津姫)
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀る神社

和布刈神社(旧・隼人社)  福岡県北九州市門司区門司3492
祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
   日子穂々手見命、豊玉比賣命、鵜草葺不合命、安曇磯良神

この神社は、かつては「隼人社」を名乗っており、隼人が南九州だけではなく、北九州全域でも活動していたようだ。『肥前国風土記』にも「五島列島の海士は容姿が隼人に似ており、騎射を好み、言葉も俗人と異なっている」という記述がある。隼人は、阿多・大隅に居住したとされるが、その固定観念を覆す必要がある。


No.10 2021/11/29 草部氏(日下部・草壁)
高良大神社の神職は丹波・物部・安曇部・草壁・百済の五姓がある。
なにやら、古代の謎を解く重要な氏族ばかりですね。
その中でも今一番注目してるのが草部氏(日下部・草壁)です。
おそらく火の国阿蘇から移動してきたと思いますが、草部吉見神社から調べていけば、何かが見えてくるのではないかと思います。

草部吉見神社 熊本県阿蘇郡高森町草部2175
祭神:日子八井命(国龍神・草部吉見神)、比咩御子命 他
(※日子八井命=国龍神=草部吉見神、比咩御子命=天照女神)

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No.14 2021/12/24 雨宮媛命(瀬織津姫)
雨宮神社、雨宮媛命を祀る神社は全国にありました。その名から明らかに水神だと分かります。

国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮

雨宮神社 熊本県熊本市東区健軍本町13
祭神:雨宮大神

雨宮神社 熊本県球磨郡相良村川辺5886
御祭神:天之水分神、国之水分神、久比邪持神(久比奢母智神)、高於加美神(高龗神)、舟玉命

雨宮神社 愛知県名古屋市中川区中郷二丁目164
祭神:高龗神、志那都比古神、天照皇大神

雨宮神社 滋賀県東近江市市子殿町443
祭神:素盞鳴尊(滋賀県神社庁ホームページより)
ヤマトの得意技、女神・瀬織津姫から男神に性転換されています。

磐上神社、雨宮神社 宮城県仙台市青葉区堤通雨宮町1-1
祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神
由緒:勧請年月不詳。
元、住吉大明神と称されていたが、荒廃もしていた。
明治維新の頃、磐上神社と改称し、明治25年現在地に移転に至る。

磐上神社は磐船神社 (祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)を思い出させる神社名です。
磐上神社には住吉大神が三分身化され祀られているようです。一対の雨宮神社に祀られた神はヤマトに消された女神ということになります。
瀬織津姫は水神の性格から、ミズハノメ、クラオカミなどの水神名に変えられている。
(※瀬織津姫=水神=闇龗神=水波能売=天照女神)


No.15 2021/12/26 蒲池姫(瀬織津姫)
「筑後屈指の名族」である蒲池氏。
阿蘇神社関係の古文書によると、阿蘇氏の祖とされる多氏は神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみたまのみこと)の奥方(妃神)が郡浦神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)

郡浦神社 熊本県宇城市三角町郡浦2666
祭神:蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇

甲佐神社 熊本県上益城郡甲佐町上揚876
祭神:八井耳玉命、健磐龍命、蒲池媛命神、
   日本磐余彦尊(神武天皇)、媛蹈鞴五十鈴媛命、猿田彦命

国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮

阿蘇郡誌にはこう書かれています。
国造神社 社格 県社
一の宮 国造速瓶玉命
二の宮 雨宮媛命 「速瓶玉命の妃 本宮は宇土郡郡浦神社なり」

郡浦神社の祭神は蒲智比咩命(蒲池姫)、雨宮媛命は蒲池姫と同神のようです。
そうなると別記事で雨宮媛命=瀬織津姫だと分かりましたので、蒲池姫は瀬織津姫ということにもなります。(※雨宮姫=蒲池姫=瀬織津姫=天照女神)


No.16 2021/12/26 健磐龍命(住吉大神)
江戸期の「久留米藩社方開基」を読んでいたら、気になるところがありました。

上岩田村 氏神 (小郡市上岩田の老松神社)
老松大明神、高良大菩薩、阿蘇大明神
とあり、何故この地に阿蘇大明神が祀られているのかと興味が湧きました。
今の祭神名表記は以下のようになっています。

老松神社 福岡県小郡市上岩田1374−1
祭神:菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神

神仏習合時の高良大菩薩は、明治期の神仏分離で高良玉垂命となっています。
老松大明神とは何でしょう?

老松神社 福岡県三井郡大刀洗町上高橋1543
祭神:菅三品眷属神、應神天皇、武内宿禰、大山咋神

老松神社 佐賀県三養基郡鳥栖町大字眞木字高田
祭神:菅原道真

老松神社 佐賀県三養基郡旭村大字下野(現・鳥栖市下野2587)
祭神:菅原道真

老松大明神とは、祭神名を信じるなら、菅原眷属神(菅三品眷属神)は菅原道真のようです。
そうしますと、残る阿蘇大明神は住吉大神となります。

(久留米藩社方開基)
干潟村 氏神 阿蘇大明神

干潟阿蘇神社 福岡県小郡市干潟594(旧・三井郡立石村大字干潟字下屋敷)
祭神:健磐龍命、素盞嗚尊、菅原神、(多紀理姫命、市杵島姫命、多紀都姫命)、天照御魂神

2つの神社が一つにつながっている珍しい神社がありました
地主神社・阿蘇神社 福岡県八女市立花町谷川1461
地主神社
祭神:大国主命、天児屋根命、住吉大神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)
阿蘇神社
祭神:健磐龍命、阿蘇津姫、少彦名神
住吉大神と健磐龍命が同神であると言いたげな祀られ方です。
(※住吉大神=健磐龍=正八幡大幡主)


No.17 2021/12/27 阿蘇津姫(瀬織津姫)
阿蘇津姫を祀る主な神社

筑後国・阿蘇神社 福岡県みやま市高田町海津1642
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命

田主丸の阿蘇神社 福岡県久留米市田主丸町地徳2808
祭神:健磐龍命、阿蘇都比咩命

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地主神社・阿蘇神社 福岡県八女市立花町谷川1461
祭神:地主神社(大国主命、天児屋根命、三筒男命)
   阿蘇神社(健磐龍命、阿蘇津彦命、阿蘇津姫命、少彦名神)

太刀緒阿蘇神社 熊本県玉名郡和水町大田黒1147
祭神:建磐龍神、阿蘇都比咩神

小島阿蘇神社 熊本県熊本市西区小島3丁目5 御坊山頂
祭神:阿蘇津媛命

健軍神社 熊本県熊本市東区健軍本町13−1
祭神:健磐龍命、天御中主神、仲津彦神、仲津姫神
   神渟名川耳命(綏靖天皇)、阿蘇津姫命、草部吉見神、速甕玉命
   彦御子命、比咩御子命、新彦命、若比咩命、若比古命、新比売命、弥比咩命

草部吉見神社 熊本県阿蘇郡高森町草部2175
祭神:日子八井命、比咩御子命
   天彦命、天比咩命、阿蘇都彦命、阿蘇都比咩命、新彦命、彌比咩命
   速瓶玉命、若彦命、新比咩命、彦御子命

阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命(阿蘇都彦)、阿蘇都比咩命、国龍神(吉見神・彦八井神)、比咩御子神
   彦御子神(阿蘇惟人)、若比咩神、新彦神、新比咩神
   若彦神、弥比咩神、速瓶玉神(国造神)、金凝神

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阿蘇津姫と一対で祀られる健磐龍命は、過去の書き込みから住吉大神のようです。
住吉大神は雨宮媛命(瀬織津姫)と一対で祀られてますから、当然ながら健磐龍命と雨宮媛命(瀬織津姫)は一対神
阿蘇を中心として健磐龍命と一対で祀られる阿蘇津姫の正体は瀬織津姫と言うことになります。
(※健磐龍= 住吉大神=正八幡大幡主)
(※阿蘇津姫=瀬織津姫=天照女神)


No.19 2022/01/10 毘沙門天と水神
高良山山頂近くに高良大社の奥宮である「水分神社」があります。そこには毘沙門天がまつられています。

水分神社 福岡県久留米市御井町
祭神:毘沙門天、水分神

高良山から近い北野町の毘沙門天神社でも、毘沙門天と水分神(水神)の二神がまつられていました。

毘沙門天神社 福岡県久留米市北野町十郎丸1591
祭神:毘沙門天、水神

同じ「水分神社」でも、奈良では、水分神は瀬織津姫の名でまつられています。

水分神社 奈良県吉野郡東吉野村大字平野1091
祭神:瀬織津姫

毘沙門天の方にはどんな地主神が隠されているのだろう。

天台宗 石垣山 観音寺 福岡県久留米市田主丸町石垣271ー1
本尊:十一面観世音菩薩を内蔵した聖観世音菩薩

本堂には毘沙門天像が安置されている。
創建 白鳳二年(673)
673年といえば「壬申の乱」の翌年、天武天皇即位の年である。


No.21 2022/01/18 阿蘇山西巌殿寺と十一面観音
天台宗阿蘇山・西巌殿寺 熊本県阿蘇市黒川1114
本尊:十一面観音菩薩

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阿蘇山西巌殿寺(さいがんでんじ)のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。
当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まりでした。(中略)
そのような意味で、火を噴く山・阿蘇も当時の朝廷から関心を寄せられておりました。
そこで、神の住む阿蘇の湯溜まりのもとで修行せんと、天竺から来朝していた最栄読師という僧侶が阿蘇山にやって来ます。読師は噴火口めざして山を登り、修行に励みました。
火口から中を覗き込んでみると、目の前に九つの頭を持つ大きな龍が天空をついて現れ、「火口の中を見てみなさい」と読師に告げました。その龍は阿蘇神社の祭神、阿蘇津姫の変化した姿でした。それは慈愛に満ちた十一面観世音菩薩の姿でもあったのです。
あまりに尊いその姿に心打たれた読師は、登山途中見つけた霊木に心を込めて十一面観世音菩薩お姿を一心不乱に彫りました。そして火口の西の洞窟(巌殿)に安置してご本尊として祀り、毎日法華経を読んで修行に励んだのです。人々は、そこを西の巌殿の寺と呼び、崇めました。これが、西巌殿寺の寺号の由来です。
(公式ホームページ)


No.24 2022/01/20 仏にされた高良玉垂命
太田亮『高良山史』の中で、高良大社の縁起として高良玉垂宮本地垂迹の記述があります。

当社の縁起には、
左宮 一殿 八幡大菩薩  本地釈迦牟尼仏
中宮 三殿 玉垂宮大菩薩 御本地得大勢至菩薩、或説十一面云々
右宮 二殿 住吉大明神  本地阿弥陀如来、或虚空蔵菩薩
としている。(後略)

ここでは玉垂宮大菩薩(高良玉垂命)の本地は勢至菩薩のようですが、後に十一面観音に入れ替わったようです。
拝殿に毘沙門天をまつる毘沙門堂があります。
高良山山頂近くには高良玉垂宮の奥宮「水分神社」があり、そこには水分神=水神とともに『毘沙門天』がまつられていました。

勢至菩薩は月天子と同体とされ、要するにお月様ということになる。
古来より特定の日に集まって飲食し、寝ずに会話して月の出を拝む「月待ち」の風習がある。 江戸時代の文化・文政の頃に流行し、その中で旧暦二十三日の夜を二十三夜といい、
いつ頃からか、その日に月とともに拝むのが勢至菩薩となった。これは二十三夜の月が勢至菩薩の化身と考えられていたことによる。
一方、神道では月読命を祀った。今でも田主丸の月読神社では新暦の正月、五月、九月の二十三日を祭日としており、通称「三夜さま」と親しみをもって呼ばれている。(「高良さん」編集委員会編『高良さん玉垂本宮由来記』)

筑後三十三所観音霊場の第一番札所は、当初は高良山にある本地堂であったが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、福聚寺が一番札所に改められた。(『筑後三十三所観音霊場/HP』)
廃寺となった後の十一面観音は合川町の福聚寺(ふくじゅうじ)に安置されています。

臨済宗慈雲山・福聚寺 福岡県久留米市合川町2−1
本尊:釈迦如来、十一面観世音菩薩(観音堂)
(※十一面観世音=瀬織律姫=水神=天照女神 高良大神=正八幡大幡主 玉垂命=天照女神)


No.26 2022/01/22 月姫大明神と高良玉垂命
福岡県小郡市を流れる宝満川の東側に松崎地区があり、そこの民家への通り道に月姫大明神の鳥居がある。「月読命」を思い出させる神名ではある。(※月読命≠月姫=玉垂命=天照女神)

倉稲魂神社 福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

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敷地内には、バランス良く配置された、倉稲魂神社、天満神社、祇園神社がある変わった神社です。小郡市史によると、倉稲魂神社は別名:月姫稲荷神社となっており、かつてはそこに月姫大明神をまつっていたのだろう。
倉稲魂神社は、寛文8年(1668)に松崎藩主有馬豊範が城の鎮護として京都の伏見稲荷神社から分霊を勧請したもの。
天満神社は元禄2年(1689)、小郡市下岩田念島にあった氏神として祀られていた天満神社を、当時の代官服部六左衛門が松崎宿の鎮守として、松崎宿の北側筒ヶ池(現在の大添池の東側)字古原に遷してきた。

※現在、古原の天満神社、城山の愛宕神社は城山の倉稲魂神社の境内に合併され、社号を天満神社として、小郡市松崎(字城山)704に三社が配置されています。

福岡県神社誌によると
天満神社 福岡県三井郡立石村大字松崎字城山704
祭神:豊受姫命、菅原神、軻遇突智神

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由緒不詳
菅原神は字古原に村社天満神社として、軻遇突智神は字城山に無格社愛宕神社として祭祀ありしを、大正四年(1915)、字城山無格社倉稲魂神社に合併の上、村社天満神社と変更許可。

郷土史家の柳勇氏は、「筑後松崎史」のなかで、
「古来松崎駅には盛夏七月頃となれば、厄除けの為『お汐井取り』と『獅子舞』の行事があった。お汐井取りとは、松崎町から二軒づつが一組となって、順番に氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮のある朝妻に下り、『朝妻の井』より小石を拾ふて持ち帰り、是を小桶の水につけ、其水を杉の小枝で松崎の各家に振り歩くのである。

月姫大明神をまつっていた松崎の人々が氏神の高良玉垂宮まで詣でるのが引っかかる。そこは距離があるからだ。高良玉垂命は月姫大明神と同じく月神であり、朝妻の井には水神・水波能売命をまつる。

味水御井神社 福岡県久留米市御井朝妻1丁目5
祭神:水波能売命

(※味水御井神社の元宮は水沼君の高良玉垂命神社)
(※高良玉垂命は月神であり、月姫神と同じで天照女神)
(※輝夜姫のモデルは天照女神(=木花咲耶姫)であり、天照女神は二人の夫を相手)


No.28 2022/01/30御手洗水神と日子神
阿蘇神社の西側約3キロ離れた役犬原地区の湧水群の側に霜神社がある。阿蘇の「火焚き神事」が行われる重要な神社である。

霜神社 熊本県阿蘇市役犬原9
祭神 鬼八

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現地の神楽殿掲示版には祭神名が書かれ、
霜宮 大御中主命と高皇産霊命の文字が大きく、
他の祭神は小さな文字で書いてある。
国狭槌命  山の神
岡象女命  水の神
軻遇突智命 火の神
旬旬逎馳命 木の神
金山彦命  金山の神
速秋津日命 水分の神 垣山姫命  山の神
神殿に二躰の神像ありと付け加えてある。

主祭神と思われる大御中主命(=天御中主)は愛知の石座神社でもまつられている。

愛知の石座神社 愛知県新城市牛倉菅沼30
祭神:天之御中主尊

別の石座神社では「天火明命」をまつる。

石座神社 愛知県岡崎市石原町宮ノ入3
祭神:天火明命
天火明命の正式名称は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」

岡象女命という水神名の元神は「瀬織津姫」
霜神社には「御手洗水神」をまつる末社「御手洗社」があり、それは宮崎県高千穂でもまつられ、近くには「瀬織津姫神社」があります。

御手洗水神社 宮崎県西臼杵郡日之影町七折

阿蘇山からの水は五ヶ瀬川とともに大野川へも流れていき東の別府湾、瀬戸内海へと注がれます。その大野川の下流の両側にも御手洗神社と阿蘇神社があります。

御手洗神社 大分県大分市松岡6033
阿蘇神社  大分県大分市宮河内298

霜神社の由緒を読んでみます。
(前略)按に此の社は北斗七星祭られしと傳ふれども、我が国の上古は星を祭れることなし。星を祭れるは漢上の風の移れるなり。
後世齊内親王降り座せし時京畿伊勢近江等の(中略)
豊後国直入郡建男霜凝日子神社を昔より阿蘇末社と云えば、此社につきて、由緒あるにはあらざるかとは三位惟馨大宮司の説なりと。
因に、建男霜凝日子神社は今の九住神社のことにして祖母山上にも之を祀れり
是も阿蘇大神、風水の神を祭られしと、同様農耕を重んぜしむる上より、早霜の害を除かんとの神事に起因せるものならんか(後略)

建男霜凝日子神社には関係社が複数あります。

健男霜凝日子神社(上宮) 大分県竹田市神原
祖母山頂上 祭神:嫗嶽大明神
健男霜凝日子神社神幸所(里宮) 大分県竹田市神原2447
健男霜凝日子神社(下宮) 大分県竹田市神原1822
穴森神社 大分県竹田市大字神原1432
祭神:嫗嶽大明神

近くには神福寺薬師堂もあります。
薬師堂にまつる薬師如来の裏には消された男神が隠れています。
同じ『日子神社』が英彦山神社から勧請された福岡県小郡市の日子神社、小郡市唯一の山、花立山の中腹に鎮座されている。
(※健男霜凝日子=霜宮=天御中主=正八幡大幡主)


No.30 2022/02/06 阿蘇神社と十一面観音
九州の中央部、熊本県阿蘇市にある肥後国一宮である阿蘇神社。

阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神、比咩御子神、彦御子神、若比咩神
   新彦神、新比咩神、若彦神、彌比咩神、速瓶玉神、金凝神

現在は十二神をまつっているが、十世紀当時は
健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神の三神だったようだ。(『阿蘇神社』阿蘇惟之)

平安時代には阿蘇神社の境内にも神護寺(神宮寺)が建てられていたが、現在は移転している。

天台宗金剛山青龍寺 熊本県阿蘇市一の宮町宮地165
本尊:十一面観音菩薩

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平安時代の永長元年(1096)、阿蘇神社の境内には神護寺(神宮寺)として建てられた。
明治元年(1868)の神仏分離令により青龍寺は廃寺となり、一の宮町坂梨にあった大山寺に統合され本尊は遷された。その大山寺も明治12年ころに廃寺。紆余曲折を経て、現在地に十一面観音菩薩は安置されている。薬師如来もどこかにあるはずなのだが、どこに行ったのだろうか?


No.32 2022/02/09 住吉神社と薬師如来
博多湾から那珂川に入り、川筋をたどっていくと櫛田神社が見える。
その先には住吉神社、さらには曰佐住吉神社、さらにたどっていけば、住吉神社の総本宮といわれる現人神社にたどりつく。

住吉神社 福岡県福岡市住吉町大字若久字住吉大明神(現・博多区住吉3丁目)
祭神:(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、天照皇大神、息長足姫命
宗像女神が三分神化されたように、住吉大神もまた三分神化されている。

現人神社 福岡県那珂川市仲3丁目6-20
祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命
境内には住吉三神誕生之宮の石碑あり

現人神社は福岡県田川郡香春町や熊本市にもある。

現人神社 (お申様) 福岡県田川郡香春町採銅所1797
祭神 都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)・原田五郎義種尊
意富加羅国(=大加羅・大加耶)の王子をまつる。

現人神社 熊本県熊本市中央区出水3丁目2
祭神 現人大神 地元では火の神さんと呼ばれる。

住吉神社の話に戻るが
住吉神社の神護寺(神宮寺)は『松花山円福寺』だった。
神社関係者に確認すると境内にあった円福寺はおそらく廃寺になっただろうと。
櫛田神社の神護寺(神宮寺)と同じケースで、
「本尊を薬師如来から庚申尊天へと変えるならば寺の存続を許そう」
明治の神仏分離の際に明治政府から、このような圧力があったことは大体の想像はつく。
しかし、円福寺は断固拒否し廃寺となったのだろう。
本尊の薬師如来は円福寺から東光院に移された。

薬王密寺東光院跡 福岡県福岡市博多区吉塚3丁目20番37号
寺伝によると、大同元年(806)最澄により天台宗の道場として開山。正保4年(1647)には、福岡藩2代藩主黒田忠之により密寺東光院と合併され、真言宗薬王密寺東光院となった。
今は廃寺となっている。
本尊の薬師如来は福岡市美術館に移管されている。


No.34 2022/02/12 阿蘇神社の健磐龍命と瀬織津姫
大分県日田市に流れる三隈川から下って、筑後川につながった杷木に阿蘇神社がある。
『阿蘇山』の地名もある。

阿蘇神社 福岡県朝倉郡杷木町大字穂坂字尾迫(現・福岡県朝倉市杷木穂坂396)
祭神 健磐龍命、中山祇命、高龗神
由緒 不詳(昭和二十年発行『福岡県神社誌』)
境内神社に稲荷神社(宇賀魂命)、山神社(大山祇命)がある。

熊本県阿蘇地方でよくみられる健磐龍命(阿蘇津彦)と一対の『阿蘇津姫』の名は消え、代わりに高龗神(タカオカミ)という水神名がみえる。高龗神の裏には、消された女神・瀬織津姫が隠されている。
川を下ると西日本各地に多い謎の古代山城の一つ杷木神籠石があり、その近くの筑後川支流の赤谷川を上っていくと伊勢大神宮があり、その先には汐井神社がある。

汐井神社 福岡県朝倉市杷木松末705
祭神 瀬織津姫
 
汐(塩・潮)井神社は阿蘇周辺にもいたるところにある

塩井神社 熊本県阿蘇市一の宮町北坂梨
塩井神社 熊本県阿蘇市一の宮町三野
塩井社  熊本県阿蘇郡西原町小森1886
塩井神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽
草部吉見神社(塩井社)  熊本県阿蘇郡高森町草部2175
潮井神社 熊本県上益城郡益城町杉堂

さて、赤谷川の話に戻るが、さらに川を上ると、宮地嶽神社、高木神社がある。
そこから先には赤谷川の水源、さらに約600メートル先には佐田川の水源がある。
さらに進むと、神功皇后と『羽白熊鷲』の伝承が残る美宜木神社に行きつく。
日本書紀の中で「翼がありよく高く飛ぶことができる」といわれた熊襲の羽白熊鷲、「鷹」にまつわる話が多い高木神社の高木神、鷹羽紋がある英彦山(日子山)神社、同じく鷹羽紋がある阿蘇神社、鷹羽紋をもつ菊池一族(かつては日足紋)。


No.36 2022/02/25 国龍大明神(草部吉見神)と阿蘇大明神(健磐龍命)
私は、阿蘇では水神と火神=阿蘇大明神(健磐龍命)が一対神としてまつられていると思っていた。
しかし、阿蘇神社の末社である白川吉見神社の祭神名をみて、今一度深く考え直さなくてはいけないと思っている。

白川吉見神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川
祭神 国龍大明神(草部吉見神)と罔象女命

罔象女命という水神名に変えられたのが瀬織津姫。この神社では阿蘇大明神(健磐龍命)ではなく、国龍大明神(草部吉見神)がまつられている。

阿蘇惟之編『阿蘇神社』に阿蘇神話と伝説が記されていますので、一部を読んでみます。

「古代の日向の国は日向神話で知られている。天孫降臨の地、高千穂は宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島の二説がある。
阿蘇神話は宮崎県高千穂町に隣接する熊本県高森町草部から始まる。
神話の主人公は草部吉見社の祭神・国龍命(くにたつのみこと)である。
国龍大明神(草部吉見神)の神話に阿蘇大明神(健磐龍命)を被せた可能性がある。
(※国龍神(草部吉見神)=阿蘇大神(健磐龍命)=正八幡大幡主)


No.37 2022/02/26 阿蘇津姫から健磐龍命への入れ替え
阿蘇の山岳信仰においては、
阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏は十一面観音とされているようです。
このことは、わたしにとって強い違和感を感じる。
阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏は薬師如来、もしくは大日如来であり、
阿蘇比咩神(阿蘇津姫)の本地仏が十一面観音であろう。

現在、阿蘇高岳の神は阿蘇比咩神と理解されており、高岳という名称が示すように、10数メートルの大石柱がそそり立っている。
阿蘇品氏によれば、これが「竪岩立つ」=健磐龍の原形だという。
阿蘇比咩神はもともと中岳の神霊池の神だったが、『日本後紀』や『続日本後紀』にみられるように、神霊池の涸渇や沸騰は、国家的な災いをもたらすものとして畏怖され、たびたび祈祷などがおこなわれた。
こうした神霊池の凶兆を重視した人々は神霊池の神を阿蘇比咩神から健磐龍命に入れ替えていく。
そして、『続日本後紀』も記すように、「健磐龍命神霊池、涸渇三十丈」と表現されるようになったというのである。

阿蘇比咩神(阿蘇津姫)がもともと中岳の神霊池の神であり、本地仏が十一面観音だった。 神霊池の神を阿蘇比咩神(阿蘇津姫)から健磐龍命に入れ替え、いつのまにか阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏が十一面観音と伝えられるようになった。

阿蘇品氏の説に従えば辻褄は合う。ただ、神霊池の凶兆を重視し神霊池の神を阿蘇比咩神(阿蘇津姫)から健磐龍命に入れ替えたのはいったい誰なのかという問いは残る。
そして、阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏はどこにいったのだろうか?


No.39 2022/03/01 白川吉見神社と国龍大明神
阿蘇の白川水源地に、阿蘇神社の末社、白川吉見神社がある。

白川吉見神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川2040
祭神 国龍大明神と罔象女命

国龍大明神とは草部吉見神社の『国龍神』のことである。罔象女命という水神名の裏には瀬織津姫が隠されている。
国龍神=国龍大明神の裏には、消された男系太陽神が隠されている可能性が高い。
国龍神=国龍大明神には『年祢神=年祢明神』という別名がある。
その年祢神=年の神(歳の神)であるが、大年神(大歳神)を連想させる。
その神は三輪山の神=大物主神であり三輪氏の祖である。三輪氏といえば『日本書紀』での三輪山伝説が有名。同類の伝説が大分県竹田市にもある。阿蘇の末社の健男霜凝日子神社。

健男霜凝日子神社(下宮)  大分県竹田市神原1822
祭神 健男霜凝日子大神、豊玉姫命、彦五瀬命、
   大太夫夫婦、華御本姫、大山祇尊、奥津彦尊、奥津姫命、
   少彦名尊、猿田彦命、菅原道眞、木花開耶姫命、大巳貴尊、面足尊、惶根尊

穴森神社(中宮)  大分県竹田市大字神原1432
祭神 嫗嶽大明神

宇田姫神社 大分県豊後大野市清川町三玉(宇田)1493
祭神 華ノ本(はなのもと)姫


No.40 2022/03/05 火の国・水の国の「天照大神」と「瀬織津姫」
阿蘇神社の北東約300メートル先にある『年祢神社』

年祢神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地
祭神 国龍神

年祢神社にまつられるので国龍神は年祢神でもある。
その国龍神(年祢神)は以下の神社で分かるように大年神でもあるようだ。

室園年禰神社 熊本県熊本市中央区室園町17-24
祭神 大年神(オオトシノカミ)、若年神

小山御領神社(歳袮神社)  熊本県熊本市東区御領5-4-3
祭神 大年神、御年神(ミドシノカミ)、若年神

さらには、国龍神(年祢神・大年(歳)神)に関する興味深い話がある。

菊池展明『エミシの国の女神』
「筑紫氏『アマテラスの誕生』には、「とびあがるほどびっくりするはなし」として、アマテラスの前の神は「男性の蛇」であるが、伊雑宮の神もまた「蛇」であった伝承を載せている。その神の別名は大歳神と呼ばれていたことは『古事記』に記述がある。」

天照大神はもともと男神であり別名大歳神である。
火の国熊本の国龍神(年祢神・大年神)は源初の男系『天照大神』ということになる。
阿蘇の白川水源地に、阿蘇神社の末社、白川吉見神社がある。

白川吉見神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川2040
祭神 国龍大明神と罔象女命

国龍大明神とは、草部吉見神社の『国龍神』のことである。
国龍神は別名『草部吉見神』と呼ばれ、年祢神、大年神とも呼ばれる。
その正体は源初の太陽神、男系『天照大神』である。その『天照大神』と一緒にまつられているのが罔象女命という水神名で隠された『瀬織津姫』という太古の縄文の姫神なのである。 阿蘇から離れた宇土市にも大歳神社はある。

大歳神社 熊本県宇土市網津町馬門(まかど)
祭神 大歳神、石作神、豊玉姫

「石作神」という奇妙な名の神が挿入されているが、大歳神と豊玉姫の一対神であることが考えられる。男系天照大神(大歳神)と一対の瀬織津姫の別名が「豊玉姫」である。

大歳神社 熊本県宇城市不知火町松合744
祭神 豊受大神、大歳神、住吉大神  (※三柱の神は正八幡大幡主の別名)

肥前国(佐賀・長崎)でまつられる「淀姫」もまた瀬織津姫である。
菊池郡大津町に淀姫をまつる神社がある。

平川淀姫神社 熊本県菊池郡大津町平川234
祭神 淀姫 比咩御子神 竹内宿禰  (※比咩御子神=瀬尾律姫=天照女神)

当然ながら「豊玉姫」=「淀姫」
淀姫神社は佐賀県に多く分布し、淀姫(=与止日女・世田姫・豊玉姫)を祭神とする神社です。ここの淀姫神社は『菊池郡神社誌』によると、戦国時代に創建されたそうです。
当時、この地域一帯は広く肥前の龍造寺勢力と豊後の大友勢力との対決の舞台となりました。伝説も、ここを舞台に肥前の勢力と豊後・阿蘇との関わりを示しています。
9月の「願成祭」で子供相撲の奉納があります。11月の秋祭りには、平川合志神楽と浦安の舞が奉納されます。現在、地域の5つの地区が、交替で祭りのお世話をしています。また、一宇太鼓がここを拠点に活動しています。

瀬織津姫の異名同神として、
佐賀、長崎では「淀姫」が
熊本では「阿蘇津姫」「雨宮姫」「蒲地姫」としてまつられている。


かつて佐賀、長崎は肥前国、熊本は肥後国、さらに時代をさかのぼれば、肥前国と肥後国は合わせて「火の国」と呼ばれた。雄大な阿蘇からは膨大な水が、白川、筑後川、五ヶ瀬川、大野川へと流れている。熊本は「火の国」であると同時に「水の国」でもある。

古代中国の古文書に倭国のシンボル山として阿蘇山が記録されている。
では倭国のシンボル神はいったい何だったのだろうか?
それが、アマテラス以前に男女神一対としてまつられ庶民にも愛された火の神・天照大神、水の神・瀬織津姫だったのである。


※以上を総合すると、私の自論・結論として次のようになります。
※火神=正八幡大幡主(天照男神)=月読命=健磐龍=大歳神=年祢神=国龍神=草部吉見神
※水神=瀬織津姫(天照女神)=月姫=淀姫=豊姫=阿蘇津姫=雨宮姫=蒲地姫