No.254 宗像大社辺津宮と織幡神社③

 
宮原誠一の神社見聞牒(254)
令和6年(2024年)07月01日
 

午後、大島を離れ、神湊に戻ります。
宗像大社辺津宮に関する寺社巡礼です。
 
鎮国寺 福岡県宗像市吉田966
大国主神社 福岡県遠賀郡岡垣町手野(ての)1306
織幡神社  福岡県宗像市鐘崎字岬224
宗像大社辺津宮 福岡県宗像市田島2331
 
鎮国寺は宗像大社の近くにあり、神宮寺で、五仏堂は本地堂といわれ、宗像三神の本地仏ほか織幡(おりはた)明神、許斐(このみ)権現の本地仏を合祀します。
 
大国主神社の社号を持つ神社は、岡垣町手野が唯一です。戦前、大牟田市に一社ありましたが、不明です。
 
織幡神社 (おりはた)は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社であるという。
織幡神社の祭神、志賀大神は天照女神で、住吉大神は天之御中主神の大幡主です。
宗像三神に織幡大明神と許斐権現(このみごんげん)を加えて宗像五社という。
本殿の向拝は四本柱の高良神社です。高良神社の祭神は武内宿祢ではありません。
宗像大社の本殿の向拝も四本柱で高良神社です。
宗像三女神は同一神で、天照女神であり、湍織津姫(せおりつひめ)です。許斐権現は熊野権現(天照女神・大幡主)です。

 

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鎮国寺
宗像大社の元神宮寺で、五仏堂は本地堂といわれ、宗像三神の本地仏ほか織幡(おりはた)明神、許斐(このみ)権現の本地仏を祀ります。
宗像三神に織幡大明神と許斐権現(このみごんげん)を加えて宗像五社という。
宗像五社の本地は、第一宮(大日如来)・第二宮(釈迦如来)・第三宮(薬師如来)・織幡宮(如意輪観音)・許斐宮(このみ・阿弥陀如来)。
第一宮(大日如来)垂迹は天照女神
第三宮(薬師如来)垂迹は大幡主
許斐宮(阿弥陀如来)垂迹は大幡主
これからしても、宗像大社は天照女神、大幡主(高宮)を祭神とすることが想定できます。
 
鎮国寺 福岡県宗像市吉田966

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本堂前の大幡主の六角灯籠

 

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本堂前の大幡主の蘇鉄

 

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フクロウとヒキガエル

 

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フクロウとヒキガエル

 
ヒキガエルは「記紀」で、大国主と少名彦が出会う場面で描かれています。

 

大国主が出雲にいた時、鷦鷯(さざき)の羽を縫い合わせた服を着て、こちらへ近づいて来る神が見えた。大国主は名前を尋ねたが、答えがない。従者の神々に問うても皆「知らない」という。そこにヒキガエル(多邇具久 タニグク)が、「山田の案山子(かかし・久延彦 クエヒコ)が、必ず知っている」と申し上げたので、すぐに案山子を呼び寄せて聞いてみると、「あれは神の子で、スクナビコナ(少名毘古那)の神です」と答える。そこで大国主が神皇産霊尊(大幡主)に尋ねたところ、「この神は確かに私の子で、小さな体なので、私の手からこぼれ落ちた子である。大国主と兄弟となり、一緒にこの国を作り固めよ」と言われた。
 
※久延毘古とは、「山田のそほど」つまり案山子(かかし)のこと。
ヒキガエルは多邇具久(タニグク)という。
大国主=大幡主=神皇産霊尊と考えると、日本書記の内容は自問自答になります。
八百万の神に翻弄されます。

 
 
 
大国主神社
大国主神社の社号を持つ神社は、岡垣町手野が唯一です。戦前、大牟田市に一社ありましたが、不明です。藤田天満宮(大牟田市藤田743) 駛馬天満宮(宮原天満宮 大牟田市宮原町1丁目191)
 
大国主神社 福岡県遠賀郡岡垣町手野(ての)1306

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東口の鳥居(車が入れます)

 

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東の山手から入ります

 

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北口の鳥居(車が入れません)

 

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大国主は大幡主です。
大国主神社を境内社に持つ神社があります。(No.08 44 57)  
 
伊勢天照御祖神社(大石神社)  福岡県久留米市大石町132

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神社表示の祭神は「天照国照彦天火明命」とされますが、寛文十年(1670)久留米藩社方開基よると、伊勢天照御祖神社の神殿のご神体は天照太神であり、大小2個の岩であると云う。
また、神殿の千木は平削ぎで女千木、鰹木は7本で男女神を祀り、主祭神は女神となります。考えられる祭神は、「天照大神」と「天照国照彦天火明命」の二神となります。赤司の八幡神社の「止誉咩神社本跡縁記」からすると、「天照大神」は「撞賢木厳之御魂」となっています。
 
末社 八坂神社 (素盞鳴尊)
   佐岐神社 (佐岐大明神)
   大国主神社(大国主命)
   大石霊社 (大石某の霊)
   事代主神社(事代主命)
   淡島神社 (少彦名命)
   天満神社 (菅原神)
 
佐岐神社の社殿の千木は平削ぎの女千木で女神を祀ります。佐岐神社(鷺神社)は本来、大国主=大幡主を祀りますが、女神となっていますので、ここの鷺神社は内宮の天照女神となります。八坂神社の祭神は素盞鳴尊となっていますが、大幡主の置き換えです。
 
大国主神社は岡垣町の「手野(ての)」に鎮座です。同じ地名「手野」に鎮座される有名な神社が阿蘇にあります。
 
 
国造神社 熊本県阿蘇市
一の宮町手野2100

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御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
雨宮媛の伝説には乾珠(干珠)・満珠の話が出てきます。
すると、干珠・満珠の説話は神功皇后の伝説でなく、天照女神の話となりますか?
 
※六角灯籠、本殿の向拝の柱は四本柱で高良神社造り、天照女神と大幡主が祭神
国造神社の一ノ宮・速瓶玉命は大山咋=大幡主
国造神社のニノ宮・雨宮媛は水神で天照女神
 
 早良区の諏訪神社 福岡県福岡市早良区原六丁目20番24号
 御祭神:八坂刀賣命(やさかとめのみこと)=奈留多姫
 奈留多姫が長野の諏訪に旅立つ前に、母・雨宮姫と共に過ごされた地です。
 その諏訪神社に許黄玉の石塔があります。雨宮姫を天照女神とみると理解できます。
 
ここ国造神社の案内所のおばちゃんに出会い
「上品な方ですね、お名前は」
「宮原です」
「あら、私は宮川です、同じ宮がつきます」
「お宅も上品な方です」
同じ年頃、もっと、もっと早く出会えばよかったのに!
残念、時のいたずら、静かに後にしました。

 

 
 
 
宗像大社境外摂社の織幡神社
「筑前国続風土記」では武内大臣・住吉大神・志賀大神の三神を祭神とする。
社記によれば、武内大臣は神功皇后の三韓征伐の折、軍隊を整え、御神力にて赤白2流の異敵退散の軍旗を織ったとされています。それを宗像大菩薩の竹竿に着け、異敵を退散させたのが「織幡」の由来とされています。
宗像三神に織幡大明神と許斐権現(このみごんげん)を加えて宗像五社という。
平安時代、織幡神社は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社であるという。
 
ここの由緒も武内大臣と神功皇后の伝説で混乱させられます。どれだけ、この伝説が神社由緒を圧倒するのでしょう。天皇でもない皇后の伝説が天皇を凌ぐとは不思議です。神功皇后は天照女神の置き換えとしか思えない。
 
織幡神社 (おりはたじんじゃ) 福岡県宗像市鐘崎字岬224

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一の鳥居と朱の玉垣(天照女神)

 

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二の鳥居と蘇鉄

 

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海女発祥の地・鐘崎
海女の出稼ぎ地が能登(輪島市海士町)長門、壱岐、対馬
筑前国鐘ヶ崎の人々が、良い漁場を求めて日本海側各地に赴いた。能登半島には1569年に男女13人が上陸し、漁期だけ滞在し、宗像と往来。その後、海女が能登に定住するようになった地が現在の海士(あま)町のルーツとされる。

 

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金埼が鐘崎になった由来「沈鐘と巨石」

 

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参道左手の今宮神社(大幡主)

 

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参道右手の高殿神社(織物の神)         
祭神は応神天皇となっていますが織姫の天照では?
すると、天照女神と大幡主が並んだ格好です   

 

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朱の玉垣が随分と目立ちます

 

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拝殿前から鐘崎港を見下ろす

 

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拝殿の「日輪」の釘隠し

 

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「筑前国続風土記」では武内大臣・住吉大神・志賀大神の三神を祭神とする。
現在は七神を祭神とし、そのうち武内大臣・住吉大神・志賀大神の三神を主神とする。
 
 社記によれば、武内大臣は神功皇后の三韓征伐の折、軍隊を整え、御神力にて
 赤白2流の異敵退散の軍旗を織ったとされています。それを宗像大菩薩の竹竿に着け、
 異敵を退散させたのが「織幡」の由来とされています。
 
宗像三神に織幡大明神と許斐権現(このみごんげん)を加えて宗像五社という。
宗像五社の本地は、第一宮(大日如来)・第二宮(釈迦如来)・第三宮(薬師如来)・織幡宮(如意輪観音)・許斐宮(このみ・阿弥陀如来)
平安時代、織幡神社は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社でした。

 

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本殿の千木は外削ぎの男千木、鰹木5本

 

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本殿の向拝は四本柱の高良神社

 

 
本殿の向拝は四本柱の高良神社です。高良神社の祭神は武内宿祢ではありません。
宗像大社の本殿の向拝も四本柱で高良神社です。
宗像三女神は同一神で、天照女神であり、湍織津姫(せおりつひめ)です。
許斐権現は熊野権現(天照女神・大幡主)
織幡神社は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社であるという。織幡神社の相殿祭神、志賀大神は志賀姫の天照女神で、住吉大神は天之御中主神の大幡主です。
織幡神社は宗像大社の境外摂社ですから、主祭神は水神と織姫神の湍織津姫(せおりつひめ)である天照女神でしょう。本殿の千木と鰹木は一致しませんが、それ以外は天照女神の形式を表現しています。

 
 
 
宗像大社辺津宮
訪問できたのは、閉門6時前の5時半ごろでした。
6年前の訪問報告は「No.106 宗像三女神と宗像大社と大国主」にあります。詳しくはこちらを参考に。

 

八咫鏡(Wikipedia)
宗像大社辺津宮の八咫鏡、筑前国風土記は現存しないが、逸文に明確に記述される。古代の記録で八咫鏡を依代とするのは、
伊勢神宮と宗像大社辺津宮だけであるとされる。

 
天照女神のご神体である八咫鏡を奉安するのは、伊勢神宮と宗像大社辺津宮だけであるとされ、宗像大社辺津宮の重要性が理解できます。また、宗像大社境外摂社の織幡神社が宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社であるという重みが理解できます。
 

メッセージ28 2024/06/14
天照女神がおられる所に地名「田島」がよくあります。
「島」は「志麻」「志摩」であり、「縞」にいきつきます。縞は織物です。
だから天照かと。
やはり、倭姫は天照で正解!(味島) 十一面観音がいました。
島がつく地名は天照です。
法則があるのを発見!
美野島、田島、味島、鹿島、糸島、広島、宮島、対馬、大島、厳島、姫島等々。
箱崎も箱崎縞があったんですよー。
箱崎縞は、かつて福岡市東区箱崎で織られており、戦後途絶えてしまいまった伝統的な織物。2年ほど前に復刻されました。その歴史や特徴、魅力、復刻し製造・販売するご夫妻の想い、直接手に取れる直売所兼カフェの「メゾンはこしま」があります。

 
 
宗像大社辺津宮 福岡県宗像市田島2331

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夕方で参拝者はいなくて、写真は少々暗いです

 

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天照女神と大幡主の橋が架かっています。前訪問の時はそこまで気づきません
帰る時、この池(左)でも天照の鯉が跳ねました(感激)

 

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神 門

 

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拝殿の神勅「奉助天孫而為天孫所祭」(天孫を助け奉り、天孫に斎祭られよ)
天孫を助けて、自分たちも神として祀られようではないか

 

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本殿屋根の千木は外削ぎの男千木、鰹木は5本で、主祭神は大幡主(高宮)となりますが、
朱と白の配色は天照女神(湍織津姫)の社殿です。

 

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本殿の向拝は四本柱の高良神社で、天照女神と大幡主を祀ります

 

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本殿前の大幡主の対の六角灯籠

 

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本殿右手の境内社群

 

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本殿右手後の境内社群

 

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本殿左手後の境内社群

 

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本殿右手の境内社群

 

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駐車場横の一の鳥居
6時過ぎて閉門になりましたが、年配の夫婦が来られまして、言われることには
「イノシシが私たちの前を横切っていきました、ビックリしました」
福岡県田川郡香春町の古宮八幡神社を訪問した時と同じです。
宗像市東郷に、猪に乗った摩利支天(天御中主=大幡主)の神社があります。

 

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楚の屈原の「せいくらべ」があります
大幡主は楚国と滇(てん)国の昆明(こんめい)と黎族白族に関係します(No.251)
 
 
宗像神社の神様
宗像大社は、水神で織姫神の湍織津姫(せおりつひめ)である天照女神と
高宮の大幡主(天忍穂根命・大根の神)を祀ります。
 
宗像三女神(田心姫・湍津姫・市杵島姫)は天照女神の三分神です。
綿積三神も志賀大神(志賀姫)の天照女神の三分神です。
造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)は大幡主の三分神です。
住吉三神も大幡主の三分神です
 
祓戸大神(はらえどのおおかみ)
天照大神(内宮)→八十禍津日神=神直日神=湍織津比咩=天照女神
豊受大神(外宮)→ 大禍津日神=大直日神=氣吹戸主 =大幡主(天忍穂根・大根の神)
※八十禍津日神=倭禍津日神

 
 
 
宗像大社辺津宮拝殿の祭祀線
辺津宮拝殿は、大島の沖津宮遙拝所付近を通り、沖ノ島西近くを通り、対馬北端をかすめ、釜山を通り、金海伽耶にたどり着くようです

 

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金官伽耶 https://indiaindia-27.amebaownd.com/posts/4501440 2018.07.07
金首露の妃・許黄玉の船で一緒について来た兄のアユタ国王子「宝玉仙人」は首露王につかえるのではなく、洛東江を遡った伽耶山を修行の場所とします。
首露王には十男二女の子供がいたが、宝玉仙人はその中の七人の王子を呼んで伽耶山中にて修験者の生活を一緒に送った。その七人はこの地で成仏し、それを知った首露王がここに「七仏寺」を建立したという。また、娘の妙見王女もこの地で修行に励んで「妙見信仰」の祖になったと伝えられている。
※長男は金海金氏(金官伽耶)となり、二人の息子は許氏(ほ)を名乗ったという。
世代が数代下り、その許氏伽耶姫と姫氏帥升の王女が大日孁(おおひるめ)=天照女神とします。

 
宗像大社辺津宮拝殿の祭祀線は金官伽耶の許(ほ)黄玉と大日孁(天照女神)に行き着きます。

 

天声人語
今までの経験値そのものを
先ずひっくり返して頂けると
本来の姿が見えます
完全に捨てないと
全部ひっくり返ります
玉垂は天照です
玉がついたら、天照だと、お伝えしてます
私の意見も耳を傾けて下さい

 
「玉」が付く神名は、許黄玉と玉垂命の天照女神に因みます。
豊玉彦、豊玉姫、玉依姫・・・
高良玉垂命の高良神は大幡主、玉垂命は天照女神です。
安心院の三女神社、宗像神社、その摂社・宮地嶽神社、宝満神社は水沼君の高良玉垂命神社に行き着くのです。