No.253 大島の沖津宮遙拝所・安倍宗任の墓②

 
宮原誠一の神社見聞牒(253)
令和6年(2024年)06月20日
 

御嶽宮を降りてくると沖津宮遙拝所が海岸に見えます。
沖ノ島に向かって、「思いは、どこまでも飛んでけー」「戻って来いよー」
沖ノ島を越え、対馬北端をかすめ、釜山を通り、金海伽耶にたどり着くようです。

 

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宗像大社HP沖津宮
https://munakata-taisha.or.jp/about_okitsu.html
沖津宮(おきつぐう) 祭神:田心姫神(たごりひめのかみ)

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末社(福岡県神社誌)
太神宮(天照皇大神)
飯盛神社(飯盛大神、他)
犬王丸神社、濱宮神社
正三位神社(少童三神)
荒船神社(住吉三神)
事代主神社
 
※篠栗の太祖神社と福岡西区の飯盛神社
東の若杉山に坐す太祖神社(伊弉諾尊)と西区の飯盛山に坐す飯盛神社(伊弉册尊)は夫婦山であって対面され、古代より国産み伝説の基であります、と云われます。若杉山と飯盛山は夫婦山であり、大幡主(若杉山)と天照女神(飯盛山) が対面されています。伊弉册尊・伊弉諾尊は天照女神・大幡主の置き換えです。
 
飯盛神社 創始貞観元年(859)
東王子 天照皇大神 → ニギハヤヒ(猿田彦) 木瓜紋
相殿  八幡宮 → 正八幡大幡主
主神  伊弉册大神 → 天照女神 女千木鰹木六本
相殿  宝満宮 → 大幡主・天照女神
西王子 月読大神 → 大幡主、猿田彦 木瓜紋

 

 
沖津宮遙拝所
大島の北側にあり、沖ノ島の沖津宮を遥拝する拝殿として昭和8年に再建。天気晴朗でなく霞がかかっていましたが、沖ノ島を小さく見ることができました。

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沖ノ島を暗く強調しています

 

 
沖津宮遥拝所 宗像市大島字伊東1293

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手前は正三位神社

 

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正三位神社 (しょうさんいじんじゃ)
祭神: 正三位大神(綿積大神)
※正三位大神は綿積大神であり、志賀大神であり、天照女神です

 

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沖津宮遥拝殿

 

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沖ノ島望観地点から遥拝殿を振り返る(遥拝殿後部)

 
 
安倍宗任の墓
中津宮の北東近くに安昌院があり、そこに安倍宗任の墓があります。
安倍宗任は奥州奥六郡(岩手県内陸部)を基盤とし、父・頼時、兄・貞任とともに源頼義と戦ったのが前九年の役(源頼義の奥州赴任の1051年)から安倍氏滅亡の1062年)。
貞任らは最北の砦・厨川柵(岩手県盛岡市)で殺害されるが、宗任らは降服し一命をとりとめ、源義家に都へ連行されます。
四国の伊予国に流され、現在の今治市に3年間滞在し、勢力をつけたために、1067年に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流されます。

 

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車は入れない路地です

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安倍宗任は奥州での前九年の役に敗れて、京都に連行され、
伊予国からさらに大島に流罪され、1108年2月4日77歳で、
この地に没した。法名は安昌院殿海音高潮大居士     

 
安倍宗任の墓 福岡県宗像市大島1610 安昌院(大島1613)

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当山開基の安昌院殿海音高潮大居士

 

 
九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流の折、自らの守り本尊として奉持した薬師瑠璃光如来と毘沙門天像を安置する安昌院を建て、その後、嘉承3年(1108年)2月4日に77歳で亡くなった。 (Wikipedia)
 
安倍宗任は奥州の役で源頼義に敗北、都へ連行され、四国の伊予国に流され、筑前大島に再配流されている。その長男・安倍宗良は秋月氏に仕えている。三男・安倍季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり水軍松浦党を構成する一族になっている。
現代に至って、山口県の衆議院議員の外務大臣の安倍晋太郎氏、その子の内閣総理大臣の安倍晋三氏がおられ、その子孫とされ、ここ大島の安倍宗任の墓に墓参されています。
 
福津市宮司元町の宮地嶽神社の祭神は、阿部丞相、天照女神、勝村大神、勝頼大神とされるが、阿部丞相は正八幡大幡主です。その子孫が安倍貞任、安倍宗任といわれています。その故地に近い宗像大島に宗任が戻ってこられたということは、時代の因縁を感じます。

 
 
 
厳島神社(弁財天社)
市杵島姫(天照女神)と蛭子神(大幡主)を祀ります。

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厳島神社(弁財天社)  福岡県宗像市大島177
祭神:市杵島姫神(天照女神)

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厳島神社(右)、蛭子神社(左) 実際は男女神を祀る

 
十一面観音のお堂

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厳島神社階段口の先にあります

 

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十一面観音(中央)の天照女神

 
稲荷社

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右手の阿弥陀如来堂(大幡主)

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大島漁港内の「夢の小夜島」
さよ姫、佐用姫は市杵島姫の別名=天照女神、小夜島(さよしま)は厳島となります。
 
総じて、宗像大島は天照女神(湍織津比咩)を主に、大幡主(天忍穂根命)と共に祀る島でした。

 
 
 
覚書メモ(百嶋メモの市杵島姫)
百嶋メモ「阿蘇ご一家」神代系図の右横に、市杵島姫の別名が列記されています。
 
家都美御子(けつみこ) 家都御子・熊野本宮の主神・結宮
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
沼河姫 (ぬなかわひめ) 奴奈川姫
八上姫 (やがみひめ)
幸姫 (さいひめ) 「塞の神=幸神」は大国主=大幡主
美御前 (うつくしごぜ) 八坂神社の末社
西日天王 (にしひてんのう) 賣沼神社(めぬま)祭神ひめぬのかみ
弁財天 (べんざいてん)
三十八姫 (みそやひめ)
佐用姫 (さよひめ)
 
沼河姫(ぬなかわひめ) 奴奈川姫
翡翠(ひすい)の神とされる女神。「古事記」では、大国主に求婚され結婚します。
 
八上姫(やがみひめ)
因幡の白兎の導きで、八上姫は大国主と結婚。
 
三十八姫(みそやひめ)
罔象女神=天照女神 三十八神社(奈良県天理市檜垣町南郡神94)
身曾岐神社 祭神・天照女神 山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401 氏神神社ではありません
 
佐用姫(さよひめ)
百済(くだら)救援におもむく大友狭手彦(おおとものさでひこ)は佐賀松浦の佐用姫と恋仲に。羽衣伝説、浦島太郎伝説と日本三大伝説の一つ。大友狭手彦を大幡主に置き換えると、三伝説は天照女神と大幡主に関係の伝説となります。
 
※大国主は大幡主に置き換えて、よろしいかと。
 

※市杵島姫=天照大神ならば、熊野本宮の主神・結宮も天照大神
 
※七夕姫異称 天の川の異称「百子の池」に因む「百子姫」→ 桃子姫
 
※許黄玉は蟠桃(ばんとう)を伽耶国に持ち込んでいます。蟠桃は「仙桃」とも呼ばれ、現在の日本の桃とはかなりことなりますが、形は桃です。この桃は天照女神によって、日本に持ち込まれたとみています。それで、天照女神のあるところ、神社の彫刻に桃があるのです。
 
※熊野神社奥宮は玉置神社
玉置神社は玉木神社、玉木の玉は天照女神、木は男or夫、それで、安曇の州浜紋が神紋

 

百 嶋 メ モ

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