「信じる」から「信頼」そして「行動」

 
W13 宮原誠一の「神椿の杜」
令和6年(2024年)06月14日 
 

「信じる」という言葉は、相手にとっても、自分にとって、心地よい言葉かもしれません。 私も随分と乱発しました。そして、不快と失望を与えてきました。
しかし、「信じる」という言葉をよく吟味してみると、
何を信じているのですか?相手の何を信じているのですか?と投げかけられれば、
信じている相手の実態が、はっきりと心の中に描かれますか?と返ってきます。
実態がはっきりしない「信じてる」は妄信的信心と言ってよいのです。
 
私は、信じている相手の実態をはっきりと描くことができませんでした。
相手の理解が無いから、実態への自覚が無智だから「信じるしかない」のでした。
相手が解からないから「考察」するのです。
 
実際に交流していても、相手を「信じている」ようでは、相手を信じている事の中身を実感することはありません。「信じる」ということは、妄想です。
中身を確かめもせずに、自分の妄想を相手に押付けているだけです。
想像している間は、相手を理解しようとしません。
 
こんなこと、十分に、しっかりと心に受け止めていたのですが。
 
 
1年半の間に、過去のほとんどを、良し悪しに係わらず包み隠さず聞き、実態をしっかりと把握し、信じるに足りる、頼るに足りる(依存ではありません)という「信頼」の次元に移り、そのまま行動に繋がったのでした。実に心の風通しの良い方でした。
さらに、理解が進むほどに、心が共鳴し合い、お互いに適切な手助けができ、それは「良いご縁」でした。
 
しかし、時間が過ぎると、記憶も薄れ、イメージしている実態がボケだすのです。
これは、年を重ねるにつれて、避けて通ることはできません。
さらに、妻への過酷な介護と別れは、これに拍車をかけました。
そして、目の前の実態しか見えず、それは「信じてる」の復活でした。
 
 
ある時、なにげもなく投げかけた言葉、「失望しました」
それは、自分への失望であり、相手の失望ではありません。
言葉足らずでしたが、反撃となって返ってきました。
驚きでした。相手にとっても驚きでした。
 
結果として、「良いご縁」は、私にとって、都合の良い関係となってしまいました。
 
言い訳に聞こえるかもしれませんが、
記憶もイメージも薄れることは、心の共鳴も薄れることであり、相手への夢と希望、感謝が薄れることでもあります。(今一度、確認し合えば、なんとか維持できるのですが。)
 
すると、人は「縁が切れた」となって、離れていくことになります。
縁切れはお互いの心の不調和・不共鳴です。お互いの失望と無感謝です。
当然のことです。
縁が切れて、さっぱり分かれられる関係は、まだ心が健全な証拠です。
心が健全でないと、さっぱりと分かれられません。色んな利害、依存が絡み合っているからです。
 
以前の記事の繰り返しになります。

 

日本は古くから「ご縁」を大事にしてきました。
惚れあって結婚した二人、見合いで結婚した二人。ふと出会って結婚した二人。
後に何気なく、ご先祖様の話をしいたら、お互いのご先祖は繋がっていた、遠い昔、互いのご先祖は協力し合っていた、ということがあります。そして、私たちは「ご縁」があったのだと確認します。
二人が結びつくまでに、見えない力の作用により導かれ続けていたのです。出会いは偶然ではなかったのです。
 
「ご縁」を別の見方からしますと、二人の「心の共鳴」でもあるのです。
心の共鳴は二人の心と心の波動の一致した状態、心が共鳴し合っているのです。
よいご縁は、お互いが喜び合える関係。
よいご縁は、相手に夢や希望を見出せる状態。
喜び合える心が、さらに共鳴し合って、二人は「愛している」となります。心が「愛している」と言っているのです。
この歓喜はお互いに「感謝」していることになります。
何に感謝しているのか、私たちを導いてくれたご先祖様にです。
ご先祖様も良き二人の状態に歓喜され、二人に感謝されているのです。
この時、二人の霊もご先祖様のご霊も向上され、ご霊は光輝いています。
 
ひと昔の日本では、「ご縁」で結婚しました。
今の日本では、「契約」で結婚する人が多くなりました。
結婚するからには、・・・・をする。・・・助け合う。
「ご縁」で結婚する二人には、契約の内容は暗黙の了解があります。
日本の多神教の神の前での契約結婚は絶えず見捨てられる状況にあります。
それは、相手を十分なまでに相互理解し結婚することは不可能だからです。その対処を誤ると離婚の危機に遭遇します。
結婚してから相互理解していくのが大多数でしょう。そのうちに不一致に遭遇します。
問題は、これからです。二人がお互いにどう対処していくかです。
利害が一致での結婚は、利益が損なわれれば終わりです。
 
でも、「ご縁」での結婚は、ご先祖様の繋がりも大事にします。ご先祖様の繋がりがあるということは、お互いのご先祖様の霊が「けんか」をしていないということになります。
それで、思い違い、すれ違いがあったとしても、周りが助けます。ご先祖様が助けます。
思い違い、すれ違いは、お互いが理解し合って、努力して、すり寄ることができます。

 
私たちの縁は、一つの目的と志向が合った出会いの縁でした。
それに、ご先祖様の繋がりの縁からの出会いでした。
そう簡単にはつぶれません。

 

2024(R6).06.10

 
今年も相変わらず、ベランダ横の紫陽花たちは花を咲かせてくれました。
大自然は時折、大きな乱暴を働きますが、
小さな自然は、ちいさな和みを与えます。