No.249 大分県の久住神社と健男霜凝日子神社②

 
宮原誠一の神社見聞牒(249)
令和6年(2024年)05月25日
 

久住山の麓に久住神社(竹田市久住町久住)があり、かつて祭神は、久住山頂に上宮として山神の姫神を、麓に下宮として健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)を祀っていました。
久住神社の祭神は「久住の神」であり、「くすみのかみ」で、結びの神でした。健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)は霜宮(天之御中主神)でした。彦五瀬命は後の追祀となります。

 

1

 

2

残念ながら、久住中岳には雲がかかっています

 

3

 
 
久住神社 大分県竹田市久住町久住6499

4

県道に面した一の鳥居「久住神社」

 

5

 

6

二の鳥居「久住神社」

 

7

猿田彦の石塔

 

8

三の鳥居

 

9

拝殿前の両側に大幡主の松の木

 

10

 

 

11

本殿の男千木に、鰹木四本

 

12

 
祭神 健男霜凝彦神 姫神 彦五瀬命(追祀)
由緒 往古から久住山頂の山神の姫神を斎祈した上宮と、桐迫村に農耕神・健男霜凝彦神を社祠した下宮を併祀した神社であった。
大化元年(645)彦五瀬命の心霊が紀州竈山神社から飛来して桐迫村宮田鉾の木に鎮座され、寛徳元年(1044)白丹南山城主・志賀義天が下宮の地にこれを勧請し、従来のまま健男霜凝彦神社と尊称併祀した。
天文2年(1533)平摩大明神と尊称し、天正14年(1586)島津兵乱以後仮宮であった頃は別に久住大明神とも尊称、寛文6年(1666)日守(現在の飛森)に遷座し、新宮を久住宮と尊称、肥後藩久住手水の氏神として崇敬された。その後、久住神社と改称、現在に至っている。  後藤是美 謹撰文 社前由緒碑

 
祭神・健男霜凝彦神(たけおしもこりひこ)は天之御中主神の大幡主、姫神は天照女神、彦五瀬命は紀州竈山神社からの飛来鎮座となります。

 

13

拝殿の屋根の高良神社・伊勢神宮の花菱紋

 

14

本殿向拝の四本柱は高良神社造りです

 

15

本後ろの摂社、手前左・八坂社、奥右・年徳社

 
 
神紋は高良神社・伊勢神宮の花菱紋、本殿向拝の四本柱は高良神社造りです。
本殿の屋根には、外削ぎの男千木に、鰹木四本で、ここは男神が主祭神で、男女神を祀ります。祭神は健男霜凝彦神(たけおしもこりひこ)の天之御中主神=大幡主、姫神は天照女神となります。由緒では、姫神の天照女神が上宮となっています。
 
この久住神社の祭神は竹田市神原の健男霜凝日子神社を分かりやすく表現しています。

 

 

16

 
 
祖母山北麓の健男霜凝日子神社
祖母山の北麓に健男霜凝日子神社があります。神社構成は、祖母山山頂の上宮、祖母山北麓の下宮・神幸所、及び穴森神社(No.248)からなります。
祖母山は大幡主と天照女神を祀る山です。「祖母」に注目するならば、祖母山は天御祖神(あまつみおやのかみ)の母神でしょう。祖母山は別名「姥岳 うばだけ」「嫗岳 うばだけ」と呼ばれて、本来祀る神は男女神であり、男神は「しおこりひこ おうじ」、女神は「しおこりひめ おうな」で、男女神は老人となって「翁姥岳(おじうばだけ)」の神となりました。
 
健男霜凝日子神社の祭神(祖母山の神)が変化したのが、穴森神社の伝説で伝えられる大蛇とされます。大蛇神は大神惟基(これもと)の父で大神庶幾(これちか)ですが、これは後のことです。本来の大蛇神は天之御中主神の大幡主です。

 
健男霜凝日子神社 神幸所(里宮)  大分県竹田市神原2477

17

 

18

当社は上宮、下宮、神幸所とあり、上宮は神代より山頂に鎮座し健男霜凝日子神として奉祀す。下宮は当所より西方500mの岩窟内に鎮座し、白雉二年(651)建立し、豊玉姫命、彦五瀬命、鵜葺草葺不合命を合祀す(略)神幸所として現用す。

 

19

 

21

神門にすき塀

 

22

男千木に鰹木三本、拝殿の向拝は四本柱の高良社です

 

23

赤白のシャクナゲ(本殿左手)

 

24

大幡主のしめ縄です

 

25

県指定天然記念物「トチノキ 栃の木」
樹齢550年と言われる、周辺に自生樹がないことから植栽ものと、この大きさ珍しいです。
種子は栗に似ています、蜂蜜の栃蜜が採れます。
 
本殿には男千木に鰹木三本、拝殿の向拝は四本柱で、高良社です。
高良玉垂社の祭神は天照女神(玉垂神)と大幡主(高良神)を祀ります。
 
 
健男霜凝日子神社下宮 大分県竹田市神原1822

26

 

27

摂社・嫗嶽稲荷神社

 

28

 
健男霜凝日子神社(下宮)
当社は上宮、下宮、遥拝所ありて、上宮は神代より祖母山頂に鎮座し、健男霜凝日子神を奉祀す。下宮は当所岩窟内にありて、白雉二年(651)社殿を建立す。中古、豊玉姫命、彦五瀬命を配祭せり。晴雨風雪等天候の守護神として近郷に信仰篤し。
※神幸所には祭神・鵜葺草葺不合命が記載されていましたが、ここには書かれていません。

 

29

随分と高く急な階段です

 

30

 

31

社殿は岩窟内にあります、神紋は「違い鷹羽」

 

32

社殿は朱(柱)白(壁)で男千木ですが、天照女神の様式です

 

33

大幡主のしめ縄です

 

34

摂社・嫗嶽稲荷神社

 

35

荒木神社(大分県由布市湯布院町川北)にもマムシ草が生えていました

 
 
当神社は健男霜凝日子神(大幡主)と天照女神を祀ります。
祖母山に祀る神は大神庶幾(おおがこれちか)を嫗嶽大明神としていますが、これは後のこと、祖母山は別名「姥岳 うばだけ」「嫗岳 うばだけ」と呼ばれ、祀る神は「天嫗」の天照女神です。よって、天山も、嫗嶽も、白山も、天照女神の山です。
 
天照女神は、
卑弥呼(ひみか)=大日女(おおひるめ)=大日靈(おおひるめ)であり、天照女神です。
 
天照女神は、宗像大社の大島中津宮の女神では湍津姫(たぎつひめ)で祀られ、湍津姫は湍織津姫(せおりつひめ)です。「湍津姫」は織姫の「織」が消されています。「湍 せ」は「早い瀬」のこと、「たぎ」とは読みません。
湍織津姫は水神であり、織姫神です。

 
 
 
覚書メモ
織幡神社 (おりはたじんじゃ) 福岡県宗像市鐘崎字岬224
宗像大社境外摂社
「筑前国続風土記」では武内大臣・住吉大神・志賀大神の三神を祭神とする。
現在は七神を祭神とし、そのうち武内大臣・住吉大神・志賀大神の三神を主神とする。
社記によれば、武内大臣は神功皇后の三韓征伐の折、軍隊を整え、御神力にて赤白2流の異敵退散の軍旗を織ったとされています。それを宗像大菩薩の竹竿に着け、異敵を退散させたのが「織幡」の由来とされています。
宗像三神に織幡大明神と許斐権現(このみごんげん)を加えて宗像五社という。
宗像五社の本地は、第一宮(大日如来)・第二宮(釈迦如来)・第三宮(薬師如来)・織幡宮(如意輪観音)・許斐宮(このみ・阿弥陀如来)
平安時代、織幡神社は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社でした。
 
※織幡神社 新見解
本殿の向拝は四本柱の高良神社です。高良神社の祭神は武内宿祢ではありません。
宗像大社の本殿の向拝も四本柱で高良神社です。
宗像三女神は同一神で、天照女神であり、湍織津姫(せおりつひめ)です。
許斐権現は熊野権現(天照女神・大幡主)
織幡神社は宗像大社に次ぐ社格で、大阪の住吉大社以上の社であるという。織幡神社の祭神、志賀大神は天照女神で、住吉大神は天之御中主神の大幡主です。
 
鎮国寺 福岡県宗像市吉田966
五仏堂の本地仏由来 五仏堂または本地堂といわれる所以は、宗像三神の本地仏ほか織幡(おりはた)明神、許斐(このみ)権現の本地仏を合祀するところから呼称されるようになった。