No.240 熊野大社・正論覚書

 
宮原誠一の神社見聞牒(240)
令和6年(2024年)02月27日
 

私の実家の田主丸町柳瀬の北側に畑がありますが、この地を「舞鶴 まいづる」と言いました。(No.02) 「舞鶴」は京都府若狭湾の舞鶴(港)が有名です。
宮原と三宅(陰陽二段地紙紋)の関係を調べていた時、この舞鶴港の近くに三宅神社があることを教えてもらいました。この三宅神社は豊宇気姫と多遅麻毛理(配祀)を祀ります。祭神の別表記は「豊宇賀姫 とようかのひめ」と「田道間守 たじまもり」です。豊宇賀姫はわかりやすく言えば天照女神です。田道間守は三宅連(三宅氏)の祖で、現在では菓子の神・菓祖と言われているようです。田道間守は田島守とも書け、田島は市杵島姫=天照女神に関係する地名です。神紋は五七桐紋で、祭神は天照女神で間違いありません。
 
参考までに、田道間守は佐賀県伊万里市岩栗山に非時香菓(ときじくのかぐのこのみ 橘のこと)を一株植えたという伝説があります。この伝説を聞いた橘嶋田麻呂が、橘氏の祖・橘諸兄を思い、称徳天皇の御代770年、橘諸兄を祀る社殿を創建したという伊萬里神社(香橘神社 佐賀県伊万里市立花町84) があります。田道間守は天照女神と橘族と関係が深いと言えます。

 

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240-02

 

三宅神社 京都府舞鶴市北吸751
祭神 豊宇気姫命 多遅麻毛理命
江戸時代は「荒神」「北吸神社」と称していた
明治22年三宅神社と改称
かっては旧北吸村にあつて「荒神」さんと呼ばれた。
明治22年舞鶴鎮守府設置により、旧社域(現市営三宅団地)一帯は軍港用地として買収され、同24年に現在地に遷座した。元の北吸は軍用地(射撃場)になって立ち退きとなり、全戸が糸谷(現在の北吸谷)や浜地区に移住した。

三宅神社は、江戸時代には「荒神」「北吸神社」と称し、明治15年三宅神社と改称しています。三宅神社は別名、三宅荒神社と言われています。

ここで、荒神社のおさらい

荒神社の祭神は火神と竈神二柱で構成されます。

荒神社の祭神は百嶋学では
 火結尊(ひむすびのかみ)=火之迦具土神(金山彦)
 奥津彦(おくつひこ)=大山咋神(おおやまくいのかみ)
 奥津姫(おくつひめ)=鴨玉依姫(かもたまよりひめ)
とされます。

福岡県太宰府市の宝満宮竈門神社の祭神は表記上
 大山咋神
 鴨玉依姫
ですが、
実際の宝満宮の祭神は大幡主、天照女神であり、迦具土神は大幡主ですので、

荒神社の祭神は
 火結尊(ひむすびのかみ)=火之迦具土神(大幡主)
 奥津彦(おくつひこ)=大幡主
 奥津姫(おくつひめ)=天照女神
となります。

それで、大幡主は橘の太祖であり、三宅連、田道間守、橘の宮原、大幡主、天照女神は繋がってくるのです。

 
 
筑紫三宅連得許(みやけとくこ)
さらに、三宅連を調べているうちに、天智天皇の御代663年白村江戦いで三宅氏が関わっていたのがわかりました。

筑紫三宅連は部隊長クラスで出征されていました。
筑紫三宅連得許(つくしのみやけのむらじとくこ)と言います。
三宅得許は663年白村江戦いで捕虜となり、684年(天武13年)猪使連子首(いつかいのむらじこびと)と共に、遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)・白猪史宝然(しらいのふびとほね)らと共に、新羅経由で帰国しています。

その三宅連得許は、福岡県みやま市瀬高町古島で、長島大神宮を奉祀しています。
また、三宅氏は壬申の乱(672年)では宗像氏とともに天武天皇方についています。


長島大神宮 福岡県みやま市瀬高町太神(古島)2011
祭神 天照大神

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社紋は八日足紋(やつひあしもん)で、草野氏、龍造寺氏、大幡主に関係します。
 
南西近くの長島(おさじま)地区には物部田中神を祀る「田中の宮」があります。「田中の宮」は正光土木事務所の裏庭、田中氏個人宅の庭に鎮座です。
「田中の宮」と長島大神宮の中間に釣殿宮があり、境内社「西の宮」に物部阿志賀野神が祀られています。

 

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田道間守の橘と常世国
田道間守が常世国から持ち帰った橘株を佐賀県伊万里の岩栗山に植えたという。
その常世国も不明で明確に記載されたものは見かけません。
三宅連得許は、福岡県みやま市瀬高町古島の長島大神宮を奉祀しています。その「長島」と柑橘が関連する所があります。

 

ウンシュウミカン(Wiki)
温州蜜柑は鹿児島県が原産とされる柑橘類の一種で、原産地は日本の鹿児島県長島町の長島(天草下島の南)と考えられており、温州(中国浙江省温州市)から伝来したというわけではない。ウンシュウミカンの名は江戸時代の後半に名付けられたが、九州では古くは仲島ミカンと呼ばれていた。
橘とみかん(密柑)は見た目が似ているけれど別物。橘は日本古来からある柑橘の在来種で、見た目は小ぶりで、味は酸っぱく、そのまま食べることはできない。

 
田道間守が常世国から持ち帰った橘が日本古来の在来種とすれば、食べることができず、もっと食用に適した柑橘ではなかったのかと思うのです。
八代海に面した長島は「ながしま」であり、福岡県瀬高町の長島は「おさじま」であり、呼称が異なります。出水郡長島は現在の鹿児島県に属していますが、古代は肥君(火の君)の勢力下にありました。瀬高町長島は物部族の基盤、出水郡長島は橘の肥君の勢力下で、大幡主を根底する同じ基盤と考えます。
 
 
結宮(むすびのみや)
「天照女神と三宅と宮原はつながっているようです」
「赤い糸はほどけないで、しっかりと結ばれています」
「天照女神は結宮(けつみや、むすびのみや)です」

と連絡を入れた所、返事が返ってきました。

「結宮で検索したら那智大社が出てきました」
「ハリヤってハリヤー鷹の意味ですかね」

ハリヤ、ハリヤと掛け声をかける祭りがあります。
熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の例大祭である扇祭(那智火祭)です。

「ハリアー(harrier)は鷹ではないですか。大幡主の鷹ですよ」
「それで、ハリア、ハリアと叫んでいるのは」
「大幡!大幡!とさけんでいるのと同じです」

「鷹」と「鷹の羽」の紋章は阿蘇氏の専用紋章ではありません。大幡主の紋章です。

熊野那智大社は熊野牟須美大神、すなわち結宮の天照女神を祀る神社です。
扇祭・那智火祭は、天照女神が火の神・大幡主を迎える祭りと、私は解釈しています。
火の神は大幡主、水の神は天照女神で、ここでも、扇・火、那智滝・水がそろっています。
有名な火祭、久留米市大善寺玉垂宮の鬼夜、山鹿市大宮神社の山鹿燈籠祭、那智火祭、これらは「大幡主を迎える祭りだ」と思っています。
扇神輿に見られる扇も大幡主の象徴です。王城(扇)神社の祭神も大幡主です。
それで、大善寺玉垂宮の主祭神は天照女神(玉垂神)で、大幡主は高良大神として祀られています。山鹿市大宮神社も大幡主、天照女神を祀ります。

 

扇祭 那智火祭り https://ja.wikipedia.org/wiki/扇祭
扇祭(おうぎまつり)または扇会式法会(おうぎえしきほうえ)とは、熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の例大祭。熊野那智大社の例大祭は、那智火祭りの通称で知られるが、正式には扇祭または扇会式法会である。今日では例年7月14日に執行されるが、古くは6月14日・18日に執行された。
しかし、扇祭は例大祭当日の祭礼に見られるように火と水の祭りである。
那智山の信仰は、那智の滝を大己貴命(大国主命)の御霊代として祀ったことに始まります。
※大己貴は大幡主です。

仁徳天皇の頃、那智山中腹にその社殿を移し祀ったのが今の熊野那智大社の起源で、全国三千有余社の熊野神社の御本社でもあります。
この例大祭は、熊野那智大社から御滝前の飛滝神社への年に一度の里帰りの様子を表したものです。(Wikiから)

 
 
和歌山県新宮市の新宮(にいみや)No.233
和歌山県新宮市の熊野速玉大社の主祭神・速玉男命は大幡主であり、
また、熊野牟須毘命であり、結宮と呼ばれる。
 
 熊野本宮大社 和歌山県田辺市   主祭神・阿加流姫(耀姫)
 熊野那智大社 和歌山県那智勝浦町 主祭神・熊野牟須美命=天照女神(結宮)
 熊野速玉大社 和歌山県新宮市   主祭神・速玉男命(大幡主)=熊野牟須毘命(結宮)
 阿須賀神社  和歌山県新宮市   主祭神・事解男命(ことさかお)
 
熊野若王子神社(京都市)の由緒からわかった熊野十二所権現 (No.217)
 
社殿       神座      祭神名       本地仏
上四社  第一殿 西御前(結宮)  天照女神(白山姫)   十一面千手観音
     第二殿 中御前(速玉宮) 速玉大神(大幡主)   薬師如来
     第三殿 証誠殿     家津御子大神(耀姫)  阿弥陀如来
     第四殿 若宮(若一王子) 彦穂々出見尊     如意輪観音
中四社  第五殿 禅児宮     忍穂耳命      地蔵菩薩
     第六殿 聖宮      瓊々杵尊命     龍樹菩薩
     第七殿 児宮(このみや) 彦穂々出見尊     如意輪観音
     第八殿 子守宮     鵜草葦不合命    聖観音(天照女神)
下四社  第九殿 一万宮十万宮  軻遇突智命     文殊菩薩・普賢菩薩
     第十殿 米持金剛    埴安姫命      毘沙門天(大幡主)
    第十一殿 飛行夜叉    彌都波能賣命(罔象女) 不動明王(?)
    第十二殿 勧請十五所   稚産霊命(細姫イヨ姫) 釈迦如来(?)

牟須美(むすみ)、牟須毘(むすび)は「結 むすび」という意味を持っています。
「結宮 むすびのみや」は通称名です。
※結宮の天照大神=熊野牟須美大神
※結宮の大幡主 =熊野牟須毘大神
「結宮」は「産霊宮 むすびのみや」が正称か。

 

※福岡県太宰府市の宝満宮竈門神社は結宮です
去年(2023年)の秋、宝満宮竈門神社を訪問した時、若い女性、カップルの参拝が多いことに驚きました。聞けば、この神社は縁結びの神社であるという。若い人たちは感覚がいいですね。私は神社祭神の解析で、この神社が結びの宮であることを、ようやく知るくらいですから。それにしても、この神社の大幡主のお守り「フクロウの結び守」は強烈でした。

 
 
英彦山神宮の摂社・産霊神社
福岡県では有名な産霊宮があります。英彦山神宮(福岡県田川郡添田町英彦山1)の摂社・産霊神社です。

  産霊神社(むすび)の祭神
  高皇産霊神(たかみむすびのかみ)= 大幡主
  玉依姫(たまよりひめ)= 天照大神
  熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)= 大幡主

神宮由緒によると、天村雲命(あめのむらくものみこと)によって、本宮は創立されたとありますが、天村雲命は大幡主です。祭神・天忍骨尊(建御雷之男神)も大幡主で、由緒にちょっと無理があると思うのですが。
明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、戦後、昭和50年「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
花菱紋を社紋とする神社は、祭神名がいずれであろうと、天照女神、大幡主を祀る大神宮です。
英彦山神宮の神紋は「抱き鷹の羽に二つ引き」です。いずれのお神の神紋でしょう?

熊野大神は、英彦山から石鎚山、諭鶴羽山(ゆずるはさん)を経て熊野・神倉へ渡られたとされる説があるという。「福岡の英彦山神宮が元宮です」とは本当でしょうか?

 

240-05

熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。