No.214 羽黒神社・五社神社・幻の檜原神社トレッキング資料

 
宮原誠一の神社見聞牒(214)
令和5年(2023年)01月29日
 

大宰府地名研究会主催による「福岡市に神武と天照を探るトレッキング」が1月29日実施されました。その時の配布資料です。
 
五郎は神の御子の隠し当て字であった(No.137)
人名に「五郎」という名をよく見かけます。世間一般では、五男坊の意味にとられます。
実は、この「五郎」の名は別の意味が隠されているのです。
「五郎」は「御子 みこ」という意味で、御子の隠し当て字なのです。

 五郎(ごろう) → 御郎 → 御子(みこ) → 皇子(みこ) (単純な流れで見た場合)
 五郎(いつお) → 伊都男(いつお) → 稜威男(いつお) 神聖な男

御子神社 → 皇子神社(みこ)
五社神社 → 御社神社(おやしろ)
五道神社 → 御童神社・五郎神社 → 皇子神社(みこ)
 
 
神武天皇を祀る福岡市南区柏原の神社(No.136)
福岡市南区柏原(かしわら)の丘に「亀甲に大字」紋を社紋とされる羽黒神社が鎮座です。
社頭の前を樋井川が流れます。樋井川(肥の川)は「ひ」の川 と言い、「とてつもなく貴い川」という意味を持ちます。神武天皇(大伯太子)が居られたと云われる「柏原 かしわら」に羽黒神社があります。その北隣が天照大神(卑弥呼) が居られたと云われる「檜原 ひばる」です。
神社表記の祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)で大国主となっています。
境内社として、本殿の左脇殿に天神社(埴安命)、右脇殿に綾部神社となっています。
羽黒神社は本来、誰を祀るのでしょうか。

羽黒神社 福岡市南区柏原372

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      社頭前の川は樋井川
 
神社表記の主祭神は大巳貴命=大国主命ですが、大国主の紋章は「二重亀甲に剣花菱」紋です。神社表記の紋章は「亀甲に大字」紋です。この紋章は神武天皇の大伯太子の紋章です。そうであれば、主祭神は大伯太子(神武天皇)となります。(亀甲に囲まれた紋は、大幡主(埴安命=国常立神)に庇護されていることを意味します。)
しかし、本殿の屋根には女千木、鰹木五本があります。本殿には女神が主祭神で、男女神を祀ります。
主祭神の女神とは誰でしょう。
(古宮は埴安神社です。一の鳥居の扁額は「埴安大明神」です。階段を登った所に対の蘇鉄があります)

羽黒神社 福岡市南区柏原372

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 本殿の左脇殿に天神社(埴安命=大幡主)右脇殿に綾部神社(仁徳天皇 開化天皇 大幡主)
 
 
五郎神社ならぬ福岡県糸島の五道神社(No.139)
福岡県糸島の志摩東部の福岡市西区富士見一丁目に、五郎神社ならぬ五道(ごどう)神社が鎮座です。公式の神社表記の祭神は大己貴命(大国主)となっています。
ところが、福岡市南区柏原の羽黒神社と同じく、「亀甲に大字」紋を社紋とされています。
亀甲に大の字の紋章から「大」の字は大国主の「大」の字と勘違いされやすいでしよう。この紋章は神武天皇の大伯太子の紋章です。大国主の紋章ではありません。
 
五道神社 福岡市西区富士見一丁目23-1(糸島郡元岡村大字田尻字上川原1499)
祭神 大己貴命

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五道神社由緒
この神様は、この他に大国主神や大黒様など四十二ものご神名をお持ちで、ご神徳は広く、縁結び・家内円満・交通安全、特に農耕祖神として知られている。
創建の年月は不詳だが棟書きの最も古いものは、元文五年七月(1740)とあり、それ以前に上川原集落が誕生し、守護神として祭るようになったと思われる。この神社の氏子は、泉・太郎丸川・上川原の広い地域に及んでいる。

糸島郡誌
旧社号・五道天神社 元岡村大字田尻字上川原にあり。
初は周船寺小川の側なる五道の森にありしと。

 
語呂合わせで、「五道」を「五郎」としますと、「神の御子」となります。
いずれにせよ、この五道神社は神武天皇を祀る神社です。さらに、大幡主が合祀されているようです。

 

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  博多櫛田神社と同じ「稜威 いつ」        庚申神(猿田彦神)と大幡主

本殿には宇佐津彦(生目入彦・垂仁)の二つ巴紋が打ってあります。神武天皇を祀る神社ですが、神武僭称の崇神帝と思い違いされているようです。(仮説)
 
 
福岡市檜原の天照大神奉祭氏族(No.207)
那珂川市の伏見宮の北の道善に標高60m程の小高い丘があり、中腹に天神社が鎮座です。檜原の近くにあり、大幡主と大日孁貴(天照大神)を共に祀ります。大日孁貴の伝承の地です。
鳥居の額縁には勾玉が彫刻され、境内に大幡主家系の地紙(扇)紋の石造形物があります。鳥居額縁に勾玉の彫刻を持つ神社は数える程しかありません。(小郡市の佐野古大神宮等)

天神社 福岡県那珂川市(旧岩戸村)道善321

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檜原(ひばる)の北にヒミコと隣あわせに、神武天皇は福岡市南区柏原(奈良の橿原ではありません)に居られ、後に、ヒミコと共に糸島曽根に移られました。
伊勢神宮の前身の奈良県桜井市の檜原神社は福岡市南区の檜原(ひばる)の地名と同じです。
その後は糸島市の曽根(ソネ)の平原(ひらばる)です。「檜原」も「平原」も同義語で「高貴な丘」という意味です。
後に、卑弥呼(天照大神)と大幡主は、椎根津彦によって神霊東遷が行なわれます。
卑弥呼(天照大神)は奈良県桜井市の檜原神社に、大幡主は大和神社(おおやまと神社・奈良県天理市新泉町星山)に倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)として、一時鎮座されます。最終地は、卑弥呼(天照大神)は伊勢神宮内宮に、大幡主は伊勢神宮外宮に鎮座です。
 
 
福岡市檜原地区の大神姓(おおがみ)
卑弥呼(天照大神)が居られたと云わる福岡市檜原地区に、卑弥呼(天照大神)の痕跡が見当たらなかったのです。
羽黒神社の氏子さんの地区名に山田(上下)組があり、「山田」は卑弥呼に因む地名ですが、他に痕跡が見当たらなかったのです。神霊東遷によって痕跡はなくなった、と思っていました。

福岡市檜原地区に大神姓(おおがみ)で、卑弥呼(天照大神)奉祭の氏族が残っておられることがわかりました。
「名字由来net」で、大神姓の日本分布を調べました。確かに、檜原に大神姓(おおがみ)が日本で一番集中する地域となっています。関係の方々が今もその周辺(一、二丁目付近)に居られるのがわかります。

 

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五社神社の氏子さん 大神(おおがみ)さんは54軒中22軒です

 
 
幻の元伊勢・福岡市の檜原神社を求めて(No.209)
福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)の五社神社の由緒から、檜原一丁目藤ヶ丘(大字檜原字天神)に天神社(てん神社)があり、この天神社の祭神が垣安神と埴安神であり、埴安神は埴安彦(大幡主)、垣安神は埴安姫(大日孁貴=天照大神)です。
天神社は、大正15年5月に五社神社の境内末社として藤ヶ丘から遷宮しています。
その天神社があったと見られる檜原一丁目藤ヶ丘は、1960年代の住宅地開発により削り取られていました。戦後間もない頃は、藤ヶ丘が残っていることが航空写真から確認できます。
航空写真から、藤ヶ丘は旧檜原村の北方向の近くにあり、廻りは畑となっています。

     現在の桧原一・二丁目地図       桧原一・二丁目空撮地図(1945-1950年)

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五社神社 福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)

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五社神社 福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)
祭神 住吉神 春日神 志賀神 香椎神 宝満神
由緒 創建は定かではないが、古来、五社大明神社と呼ばれていたのを、明治5年11月3日太政官布告に従って村社に治定されてからは五社神社と呼ばれるようになった
氏子区域及戸数 旧檜原村 58戸

天神社(末社)
埴安神 右側神(向かって左) 垣安神 左側神(向かって右)
由緒 大正15年5月大字檜原字天神(檜原一丁目藤ヶ丘)より現在の地所に御遷宮された由

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天神社の祭神は埴安神(右)、垣安神(左) であり、埴安神は埴安彦(大幡主)、垣安神は埴安姫です。配祀の位置からして、向かって右の垣安神(埴安姫)が上格となります。大幡主の妹さんの埴安姫も考えられますが、それでは上格神とはなりません。埴安神を夫婦神とすれば、大幡主より上格の女神は大日孁貴(天照大神)となります。

 

櫻庵幸縁のブログ(ミステリー「192」五社神社)から

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福井県大野市蕨生(わらびょう)の埴安神を祀る神社で見つけました。埴安姫神社の祭神は「垣安比賣命」、ということは・・・埴安姫となります。外に出されておりますが、、、
もともとは大幡主と天照大神のご夫婦をお祀りする神社だったのでしょう
※山形県鶴岡市羽黒町に埴山姫神社(埴山姫=埴安姫)があります。柏原の羽黒神社の古宮は埴安神社でした。なにか関連がありそうです。

 
 
「五社」は「御社」ではないか?
五社神社の祭神は「五社」に合わせた寄せ集めに過ぎません。五社の祭神に相互関連性はありません。
五社神社の五社大明神の五社は「御社」ではなかったのか、と思うのです。
五社神社とは後の社号ではないでしょうか。
五社を御社(おやしろ)とすると、神社の意味が本質的に変わります。
檜原の御社とすると、檜原神社そのものになるのです。
 
 
大幡主と大日孁貴(天照大神)を共に祀る大神宮(仮説)
福岡県には大幡主と大日孁貴(天照大神)を共に祀る神社があり、福岡県筑前町(旧三輪町)には四社の大神宮(太神宮)があります。その中でも知られていない神社が、弥永の大巳貴神社です。
現在の大巳貴神社の祭神表記は大巳貴命、天照皇大神、春日大明神ですが、古宮は大幡主と大日孁貴(天照大神)を共に祀ります。後に、祭神「大幡主」は「大巳貴 大国主」と差し替えです。さらに、大山咋神と差し替えです。春日大神は後の大三輪神社の大山咋神(大神(おおが)大明神)からの記述変更でしょう。鳥居の扁額は「大神大明神 おおがだいみょうじん」「大神神宮 おおがじんぐう」です。大神大明神は「大山咋神」です。
しかし、本殿の神額は「
大神宮」です。本来なら鳥居扁額により「大神神宮」となるべきです。
この大神宮の古宮は大幡主と女神の天照大神を祀る神社のようで、いわゆる大神宮です。大幡主は消されて、大国主となっています。神功皇后伝説により大神(おおが)神宮(大三輪神社)が上塗りされています。
拝殿の唐破風には、波、龍、亀(亀蛇きだ)、鳳凰の彫刻があります。鳳凰は開化天皇のシンボルです。さらに、対の松と蘇鉄があります。恐らく、昔は対で蘇鉄が植えてあったと思われます。二の鳥居の後には大幡主の六角台の六角灯籠です。
大巳貴命と事代主は本殿後に祀られていました。

大巳貴神社 福岡県朝倉郡筑前町弥永696

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埴安神社 福岡市南区柏原四丁目20-41
祭神 埴安比古命(大幡主) 埴安比売命(天照女神)
末社 貴船神(左) 若国大明神(右 健磐龍命)

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古くは南方にあったが、現在地の社日神(大幡主)の丘に遷宮。

 

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真鍋大覚著「儺の國の星」
「有明海と玄界灘を結ぶ釆水(はんすい)を雲漢天の川に見立てていたならば、博多櫛田神社だけに残る大幡主命の神名が思いだされます。天照大神の御手を引いて、西なる高来島から東なる宇佐島に遷し奉ったと云う物語は、何か牽牛と織女の七夕祭(海幸彦と市杵島姫の七夕祭)のはるか以前の神話ではなかったかと想像されます。」