No.209 幻の元伊勢・福岡市の檜原神社を求めて

 
宮原誠一の神社見聞牒(209) 
令和4年(2022年)12月8日  
令和4年(2022年)12月9日追記
 

前ブログ「No.207 福岡市檜原の天照大神奉祭氏族」2022年11月21日 にて、
福岡市南区柏原(かしわら)の丘に「亀甲に大字」紋を社紋とする羽黒神社があり、神武天皇(大伯太子)が居られたと云わり、その北隣の檜原(ひばる)に天照大神(卑弥呼) が居られたと云わります。
後に、神武天皇と卑弥呼は共に糸島の曽根に移られます。
伊勢神宮の前身の奈良県桜井市の檜原神社は福岡市南区の檜原(ひばる)の地名と同じです。
さらに時代は降り、卑弥呼と大幡主は、椎根津彦によって神霊東遷が行なわれます。
卑弥呼(天照大神)は奈良県桜井市の檜原神社に、大幡主は大和神社(おおやまと神社・奈良県天理市新泉町星山)に倭大國魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)として、一時鎮座され、最終地は、卑弥呼(天照大神)は伊勢神宮内宮に、大幡主は伊勢神宮外宮に鎮座されます。

 

檜原神社(ひばらじんじゃ) 奈良県桜井市大字三輪1422 (No.123)
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。「三輪明神・大神神社」から

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左は豊鍬入姫宮
※ 檜原を「ひばら」と称されていますが、「ひばる」が本当の読み方です。檜原は九州福岡市南部の檜原からの地名の移動と神霊の東遷となります。

 

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卑弥呼(天照大神)が居られたと云わる福岡市檜原地区に、卑弥呼の痕跡、関連神社等が見当たらなかったのです。
神霊東遷によって痕跡はなくなった、と思っていましたが、ようやく、現在の桧原一丁目、二丁目がその候補で、そこの旧檜原村に氏子の大神(おおがみ)さん等がお住まいであることがわかりました。
 
福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)の五社神社の由緒から、檜原一丁目藤ヶ丘(大字檜原字天神)に天神社(てん神社)があり、この天神社の祭神が垣安神と埴安神であり、埴安神は埴安彦(大幡主)、垣安神は埴安姫(大日孁貴=天照大神)であることが理解できました。
 
卑弥呼(天照大神)の痕跡を求めて、檜原の五社神社と天神社の探索です。
その報告となります。
 
 
天神社は、大正15年5月に五社神社の境内末社として藤ヶ丘から遷宮しています。
その天神社があったと見られる檜原一丁目藤ヶ丘は、1960年代の住宅地開発により削り取られていました。戦後間もない頃は、藤ヶ丘が残っていることが航空写真から確認できます。
航空写真から、藤ヶ丘は旧檜原村の北方向の近くにあり、廻りは畑となっています。

 

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現在の桧原一・二丁目空撮地図

 

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現在の桧原一・二丁目地図

 

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桧原一・二丁目空撮地図(1945-1950年)

 

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桧原一・二丁目空撮地図(1961-1969年) 藤ヶ丘は削り取られています
 
 
五社神社 福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)

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「五社大明神」しめ縄は五本綯い?しめ子は変わっています、金箔が巻いてあります

 

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一の鳥居からの上り階段

 

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二の鳥居

 

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比較的新しい六角台に六角灯籠、大幡主を感じます

 

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拝殿

 

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物部神額

 

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五社神社 福岡市南区桧原二丁目24-20(大字檜原字猿田)
祭神 住吉神 春日神 志賀神 香椎神 宝満神
由緒
創建は定かではないが、古来、五社大明神社と呼ばれていたのを、明治5年11月3日太政官布告に従って村社に治定されてからは五社神社と呼ばれるようになった
氏子区域及戸数 旧檜原村 58戸
 
天神社(末社)
埴安神 右側神(向かって左)
垣安神 左側神(向かって右)
由緒
大正15年5月大字檜原字天神(檜原一丁目藤ヶ丘)より現在の地所に御遷宮された由
 
 
福岡県神社誌

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外削ぎ千木に鰹木五本で男神を祀ります

 

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「あやめ紋」は仁徳天皇・大幡主の紋章
 
仁徳天皇と菖蒲の花
体調を崩し寝込まれた仁徳天皇の夢枕に味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネ神=大幡主)が立ち「枕元に菖蒲の花を祀ると治る」とお告げがあり、そのようにされたところ病気が平癒したという故事に因む

 

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日輪の釘かくし

 

 
 
五社神社の本当の祭神は?
由緒に見られる五社神社の祭神
住吉神、春日神、志賀神、香椎神、宝満神

五社神社の祭神は「五社」に合わせた寄せ集めに過ぎません。五社の祭神に相互関連性はありません。
本殿の屋根の外削ぎ千木に鰹木五本で男神を祀ります。
物部神額、仁徳天皇・大幡主の「あやめ紋」、地籍字の「猿田」、社殿の釘かくしに打たれた日輪紋章、拝殿のしめ縄の形式、これらは物部神社を象徴します。

近くの柏原の羽黒神社の境内社(向かって右)の綾部神社には仁徳天皇・大幡主を祀ります。
天照大神(卑弥呼)、神武天皇(大伯太子)を祀る羽黒神社神社ですから、五社神社に大幡主が祀られても自然です。

羽黒神社 福岡市南区柏原372

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 本殿の左脇殿に天神社(埴安命=大幡主)右脇殿に綾部神社(仁徳天皇 開化天皇 大幡主)
 
 
日輪紋章は朝倉市立野の天満神社の本殿にも打ってあります。
 
立野の天満神社 福岡県朝倉市宮野747 (朝倉郡宮野村大字宮野字立野裏)

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立野の天満神社は表向きであり、本質は「熊野神社」で、
三体のご神体の配祀は熊野神社そのものの神様でした。
 (左)事解男命(ことさかお) 金山彦
 (中)熊野速玉男命(くまのはやたまのお) 大幡主
 (右)熊野夫須美命(くまのふすみのみこと) 別名・天照女神で大幡主の妃
立野の天満神社は宮地嶽の麓にあり、宮地嶽には宮地嶽神社が鎮座です。その東の宮野には宮野神社があり、さらに東の久重には老松神社があります。

五社神社の日輪紋章は正八幡大幡主の紋章となります。
物部神額、仁徳天皇の「あやめ紋」、地籍字の「猿田」からすると、仁徳天皇と猿田彦(彦火々出見命)が考えられます。

拝殿の屋根には唐破風がなく流し造りで、龍の彫刻もあません。
立場上、正八幡大幡主を主祭神に、彦火々出見命(猿田彦)、仁徳天皇を祭神とする神社は物部神社そのものです。
 
 
 
境内末社の天神社
本殿両脇に鎮座の天神社は大正15年5月、檜原一丁目藤ヶ丘から五社神社の末社として遷宮しています。

 

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埴安神 右側神(向かって左)

 

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垣安神 左側神(向かって右)

 

天神社の祭神は埴安神(右)、垣安神(左) であり、埴安神は埴安彦(大幡主)、垣安神は埴安姫です。配祀の位置からして、向かって右の垣安神(埴安姫)が上格となります。大幡主の妹さんの埴安姫も考えられますが、それでは上格神とはなりません。埴安神を夫婦神とすれば、大幡主より上格の女神は大日孁貴(天照大神)となります。
大幡主と大日孁貴(天照大神)を夫婦神として祀る神社が、西隣の那珂川市導善の天神社(てんじんじゃ)としてあります。

さらに、福岡県に大幡主と大日孁貴を共に祀る神社が存在します。特に三社が糸島地方に鎮座です。大幡主の神は「国常立尊」あるいは「埴安命」の名で祀られています。
勿論のこと、博多の櫛田神社は大幡主(櫛田大神)と天照大神(大日孁貴)を主祭神とします。

 井田原神社(いだはらじんじゃ)福岡県糸島市志摩井田原1
 油比神社(ゆびじんじゃ)福岡県糸島市油比187
 荻浦神社(おぎのうらじんじゃ)福岡県糸島市荻浦144
 鷂天神社(はいたかてんじんしゃ)福岡県朝倉市上浦230 境内社 大神社
 櫛田神社(くしだじんじゃ)福岡市博多区上川端1-41

佐賀県神埼の櫛田神社も当初は大幡主(大若子命)と天照大神を祀ります。後に、祭神の大幡主と天照大神が消えて、素戔嗚尊(右)、櫛名田比売命(中)、足名椎手名椎尊(左)を祀る稲田神社(仮称)に変遷しています。

 

天神社 福岡県那珂川市(旧岩戸村)道善321 (No.123)
祭神:大幡主と大日孁貴(天照大神)

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境内の地紙紋の石造物

 
鷂天神社 福岡県朝倉市上上浦230 (No.103 208)
祭神:高皇産霊命(たかみむすびの) 大日霊貴命(おおひるめむち)=天照大神
由緒:元和年中(1681) 隼鷹神社(小郡市力武)より勧請
祭神の高皇産霊命は、実際は神皇産霊命=大幡主です

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境内社 大神社(埴安命=大幡主=神皇産霊神・大日霊貴尊)

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埴安二神(埴安神)ですが、私は今まで、勘違いをしていました。
 
 埴安神 → 埴安彦・埴安姫 → 大幡主とその妹の埴安姫
 
と見ていました。
考えてみれば、「きょうだい」揃って祀る神社はまれです。
二神では夫婦か親子が主に祀られています。
大幡主とヒミコ様を夫婦で祀る神社は広く多くあります。
今までの埴安神は大幡主とヒミコ様ではなかったのか、と思っています。

 

櫻庵幸縁のブログ(ミステリー「192」五社神社 2022-12-03)から
福井県大野市蕨生(わらびょう)の埴安神を祀る神社で見つけました
埴安姫神社「垣安比賣命」
ということは・・・埴安姫となります
外に出されておりますが、、、もともとは大幡主と天照大神のご夫婦を
お祀りする神社だったのでしょう

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※山形県鶴岡市羽黒町に埴山姫神社(埴山姫=埴安姫)があります。
 柏原の羽黒神社の古宮は埴安神社でした。なにか関連がありそうです。

 

29 大神(おおがみ)さんは54軒中22軒です

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福岡市早良区次郎丸の埴安神社(追記)
「No.122 那国の王様・大幡主を祀る野芥の櫛田神社」2019年9月19日
「2.次郎丸の埴安神社」から参照。
室見川のほとりの次郎丸五丁目に埴安神社が鎮座です。
祭神は埴安大神こと大幡主です。江戸時代には一時、「拾六天神社」(じゅうろく)とも呼ばれました。地禄(じろく)の訛りが十六(じゅうろく)です。
この神社の重要な所は由緒記にあり、『記紀』には表現されない大幡主と天照大神の関係が記されています。

  埴安神社縁起の一部
  以下由緒について「棟札の写し」より抜粋しここに記す。
                記
  一、御祭神 埴安大神 埴安大神は天照大神のご兄弟で土神様である。

由緒記の「記」の(一)に、「御祭神 埴安大神は天照大神のご兄弟で土神様である」とあります。主祭神・埴安大神(大幡主)と天照大神は「きょうだい」であると言うのです。大幡主と天照大神(=大日孁貴 オオヒルメムチ)は歳が近く、おそらく兄妹の関係かもしれません。
『記紀』に記載されていないことを、この神社は由緒記で堂々と述べておられるのです。 実のところ、その関係は「兄妹」でなく、夫婦なのです。大幡主と大日孁貴は一時夫婦でありました。そのお子様夫婦が伊勢外宮に関係する方なのです。

  次郎丸の埴安神社 福岡市早良区次郎丸五丁目4番41号

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「五社」は「御社」ではないか?
「No.137「五郎」は神の御子の隠し当て字であった 2020年03月17日」から

 

人名に「五郎」という名をよく見かけます。世間一般では、五男坊の意味にとられます。実は、この「五郎」の名は別の意味が隠されているのです。「五郎」は「御子 みこ」という意味で、御子の隠し当て字なのです。

 五郎(ごろう) → 御郎 → 御子(みこ) → 皇子(みこ) (単純な流れで見た場合)
 五郎(いつお) → 伊都男(いつお) → 稜威男(いつお) 神聖な男

御子神社 → 皇子神社(みこ)
五社神社 → 御社(おやしろ)神社
五道神社 → 御童神社・五郎神社 → 皇子神社(みこ)

 
五社神社の祭神は「五社」に合わせた寄せ集めに過ぎません。五社の祭神に相互関連性はありません。
五社神社の五社大明神の五社は「御社」ではなかったのか、と思うのです。
五社神社とは後の社号ではないでしょうか。
五社を御社(おやしろ)とすると、神社の意味が本質的に変わります。
檜原の御社とすると、檜原神社そのものになるのです。
 
 
 
栞(連理の枝)
参道の左に「夫婦円満」と「連理の枝」を案内する「栞」の立て看板がありました。

 

栞(しおり)
五社のやしろのこの庭に
奇しくも生を共にせる
モッコク・ナノミの情深く
仲睦ましく美しき
友愛の二字のしるしとして
お詣人に心添ひ
久遠のさかえを営まむ
 
左の二本の木(モッコク・ナノミ)は
相互に根がからまり、融合して見えることから
中国唐の詩人白居易の長恨歌の一節
 天に在らば 願わくば「比翼の鳥」
 地に在らば 願わくば「連理の枝」
 とならん
に その意を重ね
 恋人愛(縁結び)
 夫婦円満
の象徴の御神木として大切に見守って
いきたいと思います。
  五社神社 氏子 崇敬会一同

 

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当ブログ「春と岬 早く来い暖かい春」2022年2月2日 において
「火と水を飛ぶ比翼鶴」で、「比翼鶴」と「連理枝」を述べています。

 初春や     はつはるや
 陽と波に飛ぶ  ひとなみにとぶ
 比翼鶴     ひよくつる
 
 天に在(あ)りては 願わくば 比翼(ひよく)の鳥と作(な)らん、
 地に在(あ)りては 願わくば 連理(れんり)の枝と為(な)らん (白楽天)
 
 比翼の鳥
 地上ではそれぞれに歩くが、空を飛ぶ時は翼を並べて飛ぶ鳥、
 後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」と言った。
 連理の枝
 並んで生えている二本の木で、上の枝が繋がっている状態。

同じ趣旨の案内を読み、感慨深いものがありました。
この記事は元伊勢・檜原神社(五社神社)のために書かされたものかと。
 

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幻の元伊勢・福岡市の檜原神社とは
幻の元伊勢・檜原神社とは、福岡市南区檜原一丁目藤ヶ丘(大字檜原字天神)にあった神社ではないでしょうか。
福岡市の元伊勢・檜原神社は、奈良県桜井市大字三輪の檜原神社(ひばら神社) に遷宮していますので、時期は不明ですが、その藤ヶ丘の跡に二つの社の小さな天神社を創建されたのでは、と思うのです。その天神社は大幡主と大日孁貴(=天照大神)を夫婦で祀ります。

 比翼鶴 檜原の丘に 連理の枝

どこまで、ご縁は御縁を呼ぶのでしょう。ご縁の共鳴です。
いい神社探訪でした。良い御縁でした。良い御縁はいつまでも永遠に続きますように。

 

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東口の鳥居

 

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東側の駐車場