No.190 戦没三兄弟を悼む直方の劔神社⑪


宮原誠一の神社見聞牒(190)
令和4年(2022年)01月29日
 

「No.186 仁徳天皇、今は平野大明神と表わし給う⑦」2021年12月14日 にて、福岡県直方市下新入の劔神社とその祭神・高倉下神(たかくらじのかみ)、別名、倉師の神(くらじのかみ)を述べました。今回は補足資料です。
劔神社(直方市)の由緒を調べましたら、この神社の由緒がかなりの精度で正しいことがわかりました。ただし、主祭神が倉師の神でなく伊弉諾命(いざなぎ)となっていました。ここでも、主祭神が伊弉諾命に置き換えられていました。しかし、由緒本文では、主祭神は倉師の神とされています。安堵しました。
剣神社関係の祭神は素盞鳴尊or伊弉諾尊、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛尊(みやずひめのみこと)が多いのですが、ここ直方市下新入の劔神社の創祀の祭神は倉師の神で、日本武尊他八柱は後の追祀です。
由緒では、「倉師の神」は「鞍手」の地名の起源とされています。

劔神社(直方)福岡県直方市下新入(亀丘)2565

 

 

 

社殿は「亀岡」の丘にあります

 

 

本殿の屋根には外削ぎの男千木に鰹木7本は伊勢外宮に次ぐ格

 

 

神紋「下り亀」略章は亀甲紋

 

福岡県神社誌 直方の劔神社
祭神
伊弉諾命 日本武尊 石拆神 根拆神 石筒之男神 甕速日神 樋速日神、
建御雷之男神 闇御津羽神 闇淤加美神
由緒

劔神社は往古は倉師大明神と号せしよし斎祀る 始祖は田道命の裔孫長田彦と言ふ人也 当村枝村に長田と言ふ所有り 居住の地と云へり 天文録の頃粥田城主杉氏粥田の庄と号して敷村領するの時 鎮守の宗廟として 信敬したる事旧記に有り 永禄元年粥田城主連並再建棟札あり 元禄十五年黒田長清再営す 明治五年十一月三日村社に被定。
又社説に曰く 往古倉師大明神と称へ、鞍手郡名発祥の神社と称せられ、筑紫国造田道命(成務天皇の朝)筑紫物部を率ひて祭祀の事あり、以後其系武家大宮司として奉仕す。
往古は六ヶ岳の東嶺天上岳に鎮座まし、他神は得 行かざりしを僧行基 御分霊を三叉川畔に勧請して衆庶の參拝に便にす。
妙見社今の県社多賀神社之なり。
中古 足利義満高向兵部卿良舜を奉行として社殿を造営し奉り、降つて戦国の世粥田城主杉氏社殿を紫竹原頭に遷座造営奉り、日本武尊を相殿に奉祀して八劔大神と称へ奉りしも、後寛永五年の今の亀岡の地に鎮座ましまし十大明神と称へ奉る。天上岳には上宮座し 紫竹原には中宮と祓所とを存す。
延宝三年黒田隆政支封を受け山辺村東蓮寺村の古町新町を挙げて多賀神社の氏子となす。
元禄十五年直方藩主黒田長清当社は本邦太守の釆邑に在れども直方多賀宮の本社たるの故を以て社殿を造営し奉り、継高本藩に帰るに至るまで累代屢々社参の事あり。古来粥田荘宗廟新入郷(上下新入知古山辺直方五邑)産土氏紳として奉祀する處なり。

氏子地域及戸数 新入郷 約三千五百戸
境内神社 須賀神社(素戔嗚命 玉依姫命 大汝命 稲田姫命 八種雷紳)
     春日神社(武甕槌神 日孁貴神 罔象女神 応神天皇 神功皇后 仁徳天皇)
     天満宮(菅原神)
     貴船神社(闇龗神)
摂 社  境内稲荷神社
     亀被社
     境外天上岳上宮
     紫竹原中宮祓所
     天上山神社
     大久保天満宮
末 社  境内塞神社
     庚申社
     境外別田祇園社
     引切山稲荷社
     打向水神社
     池の上貴船神社

 
主祭神は伊弉諾命となっていますが、由緒本文では、主祭神は倉師の神とされています。
日本武尊他八柱は後の追祀です。
創祀は、田道命(たみちのみこと)の裔孫長田彦とあり、長田に居住。
「倉師の神」を祀るこの劔神社が「鞍手」の郡地名の起源とされています。
往古は「倉師大明神 (くらじだいみょうじん)」と称えられ、六ヶ嶽(むつがたけ)の東嶺「天上嶽」に鎮座されていたという。
室町時代、足利義満は高向兵部卿良舜を奉行に社殿を造営。
戦国時代、粥田城の城主杉氏は、社殿を紫竹原に遷座造営し、日本武尊を相殿に奉祀して「
八劔大神」と称えられた。
江戸時代、直方藩主・黒田長清は「直方多賀宮の本社たるの故を以て社殿を造営し奉り」と現在の「亀岡」に遷宮され、
十大明神と称える。

この由緒では、直方の
多賀神社は妙見社と記しています。そして、この劔神社は「直方多賀神社の本社」と解釈していいのでしょうか。
「高倉下」という名前は「高い倉の主」の意である、という文章をどこかで読んだことがありますが、「高倉下」は「多賀の倉を治める」という意味です。

 祭神
 1.伊弉諾命(いざなぎのみこと)
 (以下は後の追祀の神々)
 2.日本武尊(やまとたけるのみこと)
 3.石拆神(いはさくのかみ)
 4.根拆神(ねさくのかみ)
 5.石筒之男神(いはつつのをのかみ)
 6.甕速日神(みかはやひのかみ)
 7.樋速日神(ひはやひのかみ)
 8.建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)別名は建布都神、豊布都神(とよふつのかみ)
 9.闇淤加美神(くらおかみのかみ)
 10.闇御津羽神(くらみつはのかみ)

倉師大明神は、別名、高倉下神(たかくらじのかみ)で、天村雲命(あめのむらくものみこと)と同一神となります。
主祭神は倉師の神でなく伊弉諾命となっています。ここでも、主祭神が伊弉諾命に置き換えられていました。

※日本書紀によれば田道命は仁徳天皇の将軍となっている。名前からして正八幡大幡主のご一統と考えられます。また、神紋「下り亀」「亀岡」の地の亀も大幡主に繋がります。

 

 

境内社・天満宮&稲荷神社(左) 八幡宮(右)

 

境内社・塞神社(左) 八龍神社&須賀神社(右)

 

第二鳥居を出ようとしたところ目が右に・・・

 
 
香田三兄弟の英霊に敬礼
退社しようと第二鳥居の手前で、常夜燈の碑文に目がいきました。
目立ちにくい燈籠の後ろに碑文があります。読んで立ち止まりとなりました。さらに思わず数回読み返し。香田年生氏の奉納の由来が刻まれていました。

  太平洋戦争
  異国に散った
  兄三人
  赤涙見せぬ父と母
  為す術なくただ寂し
  せめてここ
  ゆかりの宮に
  その名をとどむ
  長男 香田二四郎
  次男 香田敬助
  三男 香田新十郎
  父  香田三平
  母  香田トシエ

先の大戦で一度に息子(兄)三人を失った追悼の句でした。

 太平洋戦争 異国に散った兄三人
 赤涙(せきるい)見せぬ父と母
 為(な)す術(すべ)なく ただ寂(さみ)し
 せめてここ ゆかりの宮に その名をとどむ

香田年生氏は悲しみの表情を見せぬ父母に代わって、大戦で逝った兄三人の惜別を、この神社の常夜燈に刻まれ、その栄誉を留められました。
息子を戦事に送り出す父母は皆の前では威勢よく「お国のため頑張って来い」と言いますが、やはり心では「無事帰って来てくれ」と祈ります。一度に息子(兄)三人を失われた無念と悲しみ。
私の父は四兄弟三姉ですが、四名共に復員しました。何と運命の別れ道か!
香田三兄弟の英霊に敬礼!

 

 

 
香田は「こうだ」と読むようです。別名「かた」とも読めます。「かた」の読みは事代主に因みます。「片の神 かたのかみ」は事代主の神です。事代主をどうして「片の神」と呼ぶのか、事代主はどうして「事代主の杖」を持っておられるのか。

事代主は、境内で子供達が大声で騒いで遊んでいるのを見るのが楽しいと言われます。
ただし、「蛭子」は事代主を貶(おとし)めた呼び方から、「蛭子」の呼び方を嫌われます。
自らの病を通じて、子供達の元気で遊ぶ姿を見るのが嬉しかったのでしょう。
事代主ゆかりの神社では、参拝者は境内で愉快で楽しく語らったらよいのです。

また事代主は尾張国造で、尾張と鞍手は繋がりがあります。事代主・尾張・鞍手・物部・天村雲剣等がヤマトタケル尊に全て置き換わっているように思えるのです。ヤマトタケル尊と事代主は同世代です。仲足彦(仲哀天皇)の父がヤマトタケル尊となりますが、遠賀川一帯が物部の地、その東が景行天皇(大足彦)・ヤマトタケル尊の地と住み分けがあるようです。ヤマトタケル尊・遠賀物部については全くの手付かずですので、これから追々調べていきます。
 
 
 
福岡県北野町大城の筒井天満宮境内に天村雲命を祀る観音堂があります
益影井(北野町大城)がある大城小学校の南に筒井天満宮が鎮座し、その境内にある観音堂は豊姫神社の本寺堂であり、「天眞名井」を「潟の渟名井」として、ここにおさめられたという天村雲命(あめのむらくものみこと)の地蔵尊が祀られています。
赤司八幡宮の豊姫縁起では、天孫降臨の時に従った神様に「熊野忍蹈命 くまのおしほみのみこと」がおられ、別名、熊野久須毘命(くすびのみこと)であり、大幡主です。
熊野夫須美命(ふすみのみこと)は伊弉冉命(いざなみのみこと)の置き換えであり、天照女神です。地蔵尊は愛宕勝軍地蔵と呼ばれ、大分県天瀬の高塚地蔵尊で知られています。愛宕勝軍地蔵の制作者は聖徳太子であり、大幡主の別称の一つです。

 

大城村郷土読本
天孫降臨に際し高天原から持伝えた霊泉という由緒を持つ益影井は、神功皇后の皇子出産にも重大な役をにない、御井の県の名の起源と伝え、長く豊比咩神社の神井として、又庶民の産湯の霊水としてほめたたえられました。今は小学校校庭に廃井として千古の歴史を秘めて静かに眠っています。
益影井に近い筒井天満宮境内の観音堂はかつて豊姫神社の本寺堂であり、天眞名井を潟の渟名井として、ここにおさめられたという天村雲命も、路傍の地蔵堂に祀られて永遠のほほえみを含んでいます。東筒井・中筒井・西筒井・三井田という字名は益影井と深い関係を持っています。

 
観音堂と筒井天満神社 福岡県久留米市北野町大城(筒井)126

 
益影井(中央の後方)と観音堂

 
観音堂の天村雲命地蔵尊

 
天村雲命地蔵尊は大幡主で、筒井天満神社の境内観音堂に祀られています。西隣に益影井があり、地蔵尊観音堂の後方には大三輪神社(大幡主)が鎮座です。
「蚊田(かた)の渟名井」「天村雲命地蔵尊」「大三輪神社(大幡主)」「筒井天満神社」「蚊田宮 かたのみや」と、ここ大城には大幡主名物がそろっています。

益影井(大城小学校グラウンド南) 福岡県久留米市北野町大城(筒井)