ただただ、自分の心の浅さを恥じるのみ


宮原誠一の神社見聞牒(つれづれ)
令和3年(2021年)12月24日
 

太田道灌(おおたどうかん)の山吹伝説
太田道灌が武蔵野に狩りに出た時、にわか雨に会い、茅葺きの家があり駆け込んだ。
そして、「急な雨にあい、蓑を貸してもらえぬか」と、蓑を借りたいと頼んだ。
それに対応した少女は無言のまま、山吹の一枝を差し出した。
少女は無言のまま、花も語らず、道灌は意味がわからず、「花が欲しいのではない」とぶつぶつ。
ご機嫌悪く城に帰った後、近臣の一人から、この状況に合った古歌の由来を聞きます。

後拾遺和歌集の醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王

「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき」

その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか、と臣下。
山吹は、花は咲けども実を結ばず実もなければ、それと同じく、私は蓑ひとつ持ちません。

歌にうとかったことを多いに恥じた道灌、これを機会に歌道に精進したという。


花に花言葉があることは知っていました。
でも、無頓着でした。

赤い花なら、曼珠沙華(まんじゅしゃげ) ♪
白い花をも、曼珠沙華(まんじゅしゃげ) ♪

ちょっと、古い歌で、
クリスマスには更にちょっとですけれど。

 

https://youtu.be/-xHIJ9nfphs

長崎物語 Sò chu Julia
歌 谷 真酉美
作詩 梅木三郎
作曲 佐々木俊一
昭和13年

 

ポルトガルの奴隷貿易
16〜17世紀を通じ、宣教師は奴隷商人と結託し、日本で日本人を奴隷として買い付ける人身売買が行われています。戦国時代、合戦の後には捕虜の売買が日常的に行われており、人買いという商売も成立していました。豊臣秀吉は国内での人身売買を許さず、天正15年6月伴天連追放令を発布し、宣教師に海外に売られた日本人を直ちに帰国させるよう命じており、まだ日本の港にいる日本人奴隷は買い戻すよう命じています。
慶長元年、イエズス会は奴隷商人への破門を議決。慶長2年4月、インド副王はポルトガル国王名で、日本人奴隷の売買、日本刀の輸出を禁じた。イエズス会も日本人売買禁止令を出したが、従うポルトガル人は少なかった。
こういった事は日本歴史教科書では教えません。

 
 
バラにはもっと多彩な花言葉があることを知りました。

  バラの花言葉
  薔薇(ばら)全般の花言葉は「愛」「美」
  赤いバラの花言葉は「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」
  白いバラの花言葉は「純潔」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」
  ピンクのバラの花言葉は「しとやか」「上品」「感銘」
  青いバラの花言葉は「夢かなう」「不可能」「奇跡」「神の祝福」
  黄色いバラの花言葉は「愛情の薄らぎ」「嫉妬」「友情」
  赤いバラのつぼみの花言葉は「純粋と愛らしさ」「純粋な愛に染まる」
  白いバラのつぼみの花言葉は「恋をするには若すぎる」「少女時代」


教養のない男って、ペラペラですね。
心の中をも読みきれない男、風に吹かれ飛んで行け~!
それにひかえ、花で意志を伝える心と知識の深さ。
ただただ、恐れ入るのみ。
のぞき見れば、何と深きことか。

太田道灌に例える自分は、もっと横着ですね。(拝)