宮原誠一の神社見聞牒(088)
平成31年(2019年)01月03日

 

No.88 八幡神・誉田別命の両親の痕跡を残す小江八幡神社 ⑬

 

1.東小江の八幡神社

前回、福岡県(筑前)朝倉志波の筑後川対岸の橘田の竃門神社を紹介しました。その東南東約1Km の吉井町東小江(おえ)に八幡神社が鎮座です。
往古は、橘田の竃門神社の北、約300mの筑後川の辺の童子丸に鎮座であったものが、度重なる洪水により被害を受け、現在の東小江に遷座されたと云う。
橘田の竃門神社の近くであり、八幡神社と一体運営だったと考えられます。この旧鎮座地・童子丸は筑後川の橘田の中島にある地です。

 

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           小江八幡神社より志波地区・高山を望む

八幡神社 福岡県うきは市吉井町千年(東小江)637

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八幡神社から志波地区の高山を間近に望むことができます。
「八幡宮」扁額の鳥居を抜けますと参道の両側は杉並木です。
長い参道を進みますと楼門があります。格式が高いのでしょう。楼門の北には境内社三社が並び鎮座です。更に進みますと拝殿です。拝殿の両側には松の木が植えてあります。この形式は大幡主・豊玉彦を祀る神社でよく見かけます。
拝殿には「右三巴」紋の賽銭箱。天井には羅針盤があります。向拝の屋根は唐破風でその上は千鳥破風となっていて右三巴紋の神紋があります。この神社の古宮が正八幡・大幡主を祀る神社であったことがわかります。唐破風には「猿」と「ぶどう」の彫刻、梁には荘厳な龍の彫刻が施されています。
拝殿の基壇は玉石組です。物部神社でよく見かけます。

 

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2.境内社三社

楼門の北側には境内社三社が並んでいます。
 雷神社(鳴雷神)=賀茂別雷神(かもわけいかづち)
 太神宮(天照大神)
 若宮神社(仁徳天皇)
 秋葉神社(軻遇突智神)=大幡主

由緒書きには若宮神社(仁徳天皇)が記載されていますが、実際には存在しません。
八幡神・応神天皇の若宮のつもりだったのでしょうか。若宮神社(仁徳天皇)は開化天皇の若宮です。都合が悪くなったので潰されたのでしょうか。ここの氏子さんは応神天皇の若宮が仁徳天皇でないことをご存知だったのでしょう。

 

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3.賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)

注目すべき境内社は北端の雷神社(いかづちじんじゃ)の祭神・鳴雷神(なるいかづちのかみ)です。別名、賀茂別雷神(上賀茂社)で、またの名を崇神天皇です。父は大山咋神、母は鴨玉依姫です。
筑後で崇神天皇を祀る神社は珍しいです。この橘田に崇神天皇を祀る神社が何故あるのでしょう。崇神天皇も鴨族の一門なのです。
鳴雷神は佐賀県旧七山村の藤川の鳴神山に鎮座の賀茂神社(がもじんじゃ)の祭神です。
よく賀茂神社、宝満神社の由緒書では、「神武天皇とその母・玉依姫」と記載されていますが、「崇神帝(賀茂別雷命)とその母・鴨玉依姫」が本当の祭神の在り方です。
本当の賀茂神社の祭神の配神は次のようになっています。

 賀茂別雷神社[かもわけいかづちじんじゃ](通称「上賀茂神社」)
  祭神 崇神天皇 (父 大山咋 母 (鴨)玉依姫)
 賀茂御祖神社 [かもみおやじんじゃ](通称「下鴨神社」)
  (鴨)玉依姫とその父の賀茂建角身命(豊玉彦)が下鴨神社に祀られている

 

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 二葉葵の紋章 賀茂御祖神社(通称「下鴨神社」) 賀茂別雷神社(通称「上賀茂神社」)

藤川の賀茂神社 佐賀県唐津市七山藤川2281

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由緒 社伝にいわく。仙覚万葉注釈風土記「景行天皇巡狩の時、国造、饗膳を奉らんとする時、にわかに天暗瞑となり昼夜を別けたず降雨雷鳴す。ここにおいて勅して鳴神をこの地に祀らしむ云々」とある。
延暦15年(796)、岡本山城守長種、肥前守に任ぜられ、下向した時、京都の上加茂社および下加茂社のご祭上三柱のご分霊を勧請し、この地にご鎮座になったお宮です。村内最古の創建なる古社です。


春日神社について・葵紋と橘紋 百嶋先生講演 2011年4月23日
福岡県旧那珂川町に現人橋というのがあります。現地に現人神社があります。福岡市の住吉神社はこの現人神社の分社です。本当の御祭神は俗称・神武天皇こと祟神天皇。第10代となっていますが、これは藤原が勝手に作ったことで、藤原の言うことはあてになりませんが、一応10代となっている祟神天皇です。祟神帝は、一生懸命、神功皇后に仕えておられたが、神功皇后よりも祟神帝のほうがずっと年上、おじいさんです。おじさんだけど、若い神功皇后に仕えていた。

次は、昔の安徳村、旧那珂川町安徳、ここには日本最大超極秘とされていると申し上げた裂田溝があります。裂田神社がある。これは開化天皇及び神功皇后ご夫婦のお宮です。違うじゃないか、神功皇后の檀那様は仲哀天皇ではないか。神功皇后と仲哀天皇のご夫婦であった期間は1年間、その後の何十年かは開化天皇が神功皇后の旦那様です。このことは日本最大の超極秘事項です。

次に、浅間神社の葵の紋章です。この方々は複数の葵の紋章を暗号として使っている。安曇野礒良グループは洲浜の紋章を暗号に使っている。洲浜は海濱にジャージャーと波が押し寄せて洲浜を作ります。その紋章です。
葵の紋章の場合は、春日大神も関係上、葵の紋章に入らないとまずいような、周囲が自分よりも格式の高い人たちばかりで、どうにもこうにも、自分はあのお姫様たちの家来にならないといけないような状態で、結論は、静岡浅間大社のこの方(木花開耶姫)の意見と春日の神(ミズハノメの神)の檀那様(豊玉彦)の両方の意見で、こんな葵の紋章ができた。そして、この方々は複数の種類の葵の紋章を暗号としてやり取りしていらっしゃいます。

そして、その時の一族の名前を橘一族といいます。橘一族、筑後川方面多いですね。例えば、福岡県田主丸、吉井、あそこにユダヤ系のお宮があります。あそこは相当橘一族がいますよ。これは縁組ではなくて、場所柄ですね。そういう関係で、最初は橘一族もこの葵の紋章を使っていた。しかし、後々に橘の紋章に変えた。その現在変えた橘の紋章は、京都の梅宮(官幣大社)です。ここは橘一族独特のお宮です。

 

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4.小江八幡神社の由来記

まず、福岡県神社誌による由緒をご覧ください。

福岡県神社誌

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(小江)八幡神社 浮羽郡千歳村大字千歳字宮ノ本
祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 菅原神
由緒
社伝に人皇54代仁明天皇嘉祥3年(850)、大宮柱を太敷に立て、春日大明神を斎き奉る。その後、56代清和天皇御宇(858-)、八幡大神、気比大神を斎き奉り、八幡三社と号す。
一説に、人皇60代醍醐天皇の御宇(897-)、昌泰年中(898-)に豊前国宇佐大神を奉り勧請す。春日大神、気比大神を相殿に斎き奉り、八幡三社と号す。勧請の人相知らず。供奉の大宮司・吉田左京進藤原政善云々。
付記 本社の祭神は古文書に春日神ありて、現在明細帳に無し。しかれども、これを除きたる理由判然せず。よって、祭神は現在の儘(まま)とす。当社往古は西北の十町余、筑後川の辺(今童子丸の池と云う)にありしが、年々洪水のため社地を崩壊せらるるにより、今の地に移せりと云う。その年代、祥ならず。
明治41年、橘田字上中島の無格社・天満神社を合祀す。
境内社 雷神社(鳴雷神)=賀茂別雷神(かもわけいかづち)
    太神宮(天照大神)
    若宮神社(仁徳天皇)
    秋葉神社(軻遇突智神)=大幡主

 


小江八幡神社の由来が福岡県神社誌に記載されています。

 人皇54代仁明天皇嘉祥3年(850) 春日大明神を斎き奉る。
 その後、56代清和天皇御宇(858-) 八幡大神 気比大神を斎き奉り八幡三社と号す。

古宮は大幡主を祀る正八幡神社でした。
後に、仁明天皇の御代に春日大明神を祀っています。
また、その後、清和天皇の御代に八幡大神、気比大神を追祀し、八幡三社と称しています。

「No.85 福岡県朝倉市杷木志波の宝満宮と志波彦 ⑪」で述べていますように、仁明天皇、清和天皇は物部族と橘族に深く関わられた天皇です。その御代に正八幡神社の祭神が春日大神に取って変わっている。
その後、八幡大神=誉田別命=応神天皇、気比大神=ツヌガアラシト=崇神天皇を追祀し八幡三社としている。春日大神、崇神天皇、応神天皇が八幡大神であると云う?その後、60代醍醐天皇の御代に宇佐八幡神を主祭神に、春日大神、気比大神を相殿に祀っている。
要は、小江八幡神社は、古宮は大幡主を祀る正八幡神社であったが、春日大神、崇神天皇、応神天皇を祀る神社になったと云う。珍しい八幡神社です。
醍醐天皇の御代(897-)に崇神天皇系に大きく変更されている。強い表現をすれば、崇神天皇系に乗っ取られたということでしょう。
といっても、天忍穂耳命も大山咋神も崇神天皇も直接の血筋ではないが、橘族鴨族の一員です。
よって「乗っ取り」とはならないかもしれません。

 

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   宮司・熊抱家          伊藤家           中野家

小江八幡神社の北となりの墓地に宮司・熊抱家、伊藤家、中野家の墓石があります。
宮司・熊抱家の家紋は「抱き鷹の羽」で春日大神系、伊藤家の家紋は「二重亀甲」で大幡主系、中野家の家紋は「剣唐花(剣花菱)」で高良物部系、小江八幡神社の氏子を代表するような家柄となっている。


草部吉見神社 熊本県阿蘇郡高森町草部2175 祭神:日子八井命(別名国龍神・天児屋根命)

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5.八幡神誉田別命の出生の秘密

八幡神である誉田別命の出生について、色々な説が提起されています。
 1.仲哀天皇と神功皇后の御子
 2.武内宿禰と神功皇后の御子
 3.開化天皇(高良玉垂命)と神功皇后の御子
 4.大山咋神と鴨玉依姫の御子
 5.大山咋神=誉田別命=応神天皇
 6.祟神天皇=誉田別命=応神天皇
と色々ありますが、どれも最ともらしいです。

正統天皇であれ、別王天皇であれ、○○天皇の血筋を引き継ぐ必要があります。
「天皇の血筋を引き継ぐ」ということは、正統天皇・神武天皇か別王天皇・祟神天皇の流れをいいます。神武天皇も祟神天皇も「はつくにしらすすめらみこと」です。

「1.仲哀天皇と神功皇后の御子」
仲哀天皇が亡くなったのが、出生が「十月十日」310日で日本書記に作為があります。よって、ありえません。実際の胎内日数は九ヶ月十日=40週です。
誕生日から逆算すると、受胎は仲哀帝の死後となります。

「2.武内宿禰と神功皇后の御子」
仲哀天皇と神功皇后と武内宿禰が密室のなかで天皇が亡くなっています。皇后と臣下の武内宿禰が密室の仲とは思えません。日本書記の仄めかし過ぎですが、孝元天皇の血筋です。

「3.開化天皇(高良玉垂命)と神功皇后の御子」
もし二人の御子であれば、九体皇子の中に名を連ねています。誉田別命の名はありません。

「4.大山咋神と鴨玉依姫の御子」「5.大山咋神=誉田別命」
正統天皇、別王天皇の血筋ではありません。

「6.祟神天皇=誉田別命=応神天皇」
二人の天皇は全く別人として日本書記は記します。

なかなか実際の出生関係まで行き着きません。神功皇后の御子であることは確かです。父親が判らないのです。
別書の住吉大社の『神代記』に「是に皇后、大神と密事あり」とあり、住吉大神との関係を示唆しています。住吉大神とは誰なのでしょう。

 

高良玉垂宮神秘書 第435~440条
彦波瀲武鵜草葺不合尊と申すは住吉大明神のことなり。この御子に住吉の五神がおわします。
嫡男 表筒男尊 日神垂迹 玄孫大臣物部大連のことなり。これより大祝の家の初まりなり。
表津少童尊 女神におわします。
次男 中筒男尊 崇神天皇のことなり。
中津少童尊 女神におわします。
三男 底筒男尊 月神垂迹 高良大菩薩におわします。

高良玉垂宮神秘書 第1条
(前略) 彦波瀲武鵜草葺不合尊は住吉大明神なり。
この御子に住吉の五神として、御子おわします。二人は女子、三人男子にておわします。
二人の女子の御名は、表津少童命、中津少童命なり。
男子三人おわします。嫡男大祝の先祖で御名は表筒男尊なり。次男崇神天皇の御名は、中筒男尊なり。三男高良大菩薩の御名は、底筒男尊なり。次男中筒男尊はこの地に留りて、崇神天皇となり給うなり。住吉大明神は明星天子の垂迹、大祝先祖 表筒男尊は日神の垂迹なり。高良大菩薩 底筒男尊は月神の垂迹なり。

高良玉垂宮神秘書 第1条
(前略) 異国征伐の時、幕の御文これなり。四方に光を放ちたまう故に門光と名付けたり。月神現れ給いて、半時後、明星天子の垂迹、住吉の明神、七句老翁と現れ給う。この御子嫡男、日神の垂迹、表筒男尊、二人あらわれ給う。
三男、月神の垂迹、底筒男尊、四王寺の山において、三人共に立ち給う。
皇后の前にて、住吉の明神のたまう。我子の三男月神垂迹底筒男尊は、応作天大将軍の再誕にして、天上の大力士なり。大将軍に就くとありければ、住吉高良両名を大将軍と定め給う。皇后日く、日神垂迹表筒男尊、副将軍定め給いて、三韓を攻め給う。

 

住吉三神=綿津見(わたつみ)三神といえば、底津綿津見神、中津綿津見神、表津綿津見神と代名詞的に語られています。「わたつみ」は「海祗」であり、「海 わた」は朝鮮語で「パタ」からきています。
志賀大明神の安曇磯良、豊姫、大海姫はいずれも鵜草葺不合命の子であり、この三神を総して、海祗(わたつみ)三神といっています。
鵜草葺不合尊は住吉大明神と呼ばれ、後に引退され、三人の男子に住吉の神祗をお渡しになる。

住吉三神を整理すれば
(嫡男) 表筒男尊 日神垂迹 玄孫大臣物部大連(おおつら)・安曇磯良
(次男) 中筒男尊 (贈)崇神天皇
(三男) 底筒男尊 月神垂迹 高良大菩薩・大政大臣物部保連(やすつら)・高良玉垂命
となります。

福岡県旧那珂川町仲3丁目に現人神社(あらひと)があります。福岡市の住吉神社はこの現人神社の分社となります。本当の祭神は(贈)祟神天皇です。祟神天皇は別名「ツヌガ アラシト」です。



 

6.宇佐八幡神について

(鴨)玉依姫と応神天皇の関係は、「No.67 豊姫縁起からみる誉田別尊と八幡大神」に述べていますように、宇佐八幡神の誉田別天皇は単なる人皇天皇であり、その神霊は正八幡「大幡主」です。人格者と神霊が憑依一体となっていて、難しい説明です。
孫の誉田別命に「十字剣」の紋章を授け、別王に神格化されたのが(鴨)玉依姫です。
(鴨)玉依姫は母・櫛稲田姫から金山彦の「十字剣」の紋章を引き継がれました。櫛稲田姫の父が金山彦です。

 

誉田別命に十字剣をバトンタッチ
久留米地名研究会 百嶋先生講演 2011年2月5日
高良大社の神紋はユダヤ系統の紋章・高格式ユダヤ系統の紋章・イスラエル系統の紋章といってよい。横幅が長いなと思われたら花菱、四角いと思われたら剣花菱です。必ず剣でないといけません。一番最初に親衛隊長をなさった金山彦は熊本の山鹿地方です。櫛稲田姫の生まれた場所、お姉さまの吾平津姫が生まれた場所も同じ場所です。吾平津姫は本当の神武天皇のお后です。そして、偽・神武天皇(崇神天皇)のお后は荒木のシズちゃん(五十鈴姫)、福岡県久留米市荒木です。更にそれに割り込んでいる勇ましい方がいます。その代表が贈・応神天皇です。
現在の糸島市前原町に応神天皇の神社がある。贈・誉田別(ホンダワケ)のみこと、別王です。天皇の祖先であることには間違いありませんが、正当皇統ではありません。この誉田別に十字剣をバトンタッチした、彼らのシンボルであるユダヤイスラエルの紋章を、宗像三姫の一番若い姫、鴨玉依姫から、この紋章(ユダヤイスラエルの剣)を誉田別・(贈)応神天皇にバトンタッチされたのです。それで別王の座、兼、八幡宮の祭神の座を取得された。
宇佐八幡宮は決して、八幡宮では有りません。宇佐神宮が本当です。配列を申し上げますと、宇佐の大親分はここにおられます。大元宮です。田の神様、タノカンサーと呼ばれています。田の神様は那国の王様大幡主と大山祗の神様のお二人です。そして下の方に、三人の女神さんです。宗像の三女神と同じです。そして後で追加したのが贈・応神天皇です。そして神功皇后です。



 

7.(贈)仲哀帝の死後、神功皇后の身近にいた中臣烏賊津使主

(贈)仲哀帝がなくなると、神功皇后は中臣烏賊津使主(ナカトミイカツオミ)を審神者(サニワ)として召して、仲哀天皇に祟った神を聞き出す「くだり」があります。その神が、神風の伊勢の国の度逢県(ワタライノアガタ)の五十鈴の宮にまします神、名は撞賢木厳之御魂(天照大神)であるという。
福岡県久留米市北野町赤司の八幡神社の止誉比咩神社本跡縁記(トヨヒメジンジャホンジャクエンギ)では、「撞賢木厳之御魂」は伊勢天照御祖神社(イセアマテラスミオヤジンジャ)の祭神・天照大神であり、「天疎向津媛」は道中(大城)の道主貴(ミチヌシノムチ)の田心姫(タゴリヒメ)である、という
神功皇后は、仲哀天皇に祟った神が天照大神の撞賢木厳之御魂とわかり、御魂を鎮めるために、伊勢天照御祖神社を建立されます。その神社が、赤司の八幡神社の南の今寺区に鎮座される「四柱神社」です。
今では、「四柱神社」が、伊勢天照御祖神社の元宮であるということが、すっかり忘れ去られています。今寺の四柱神社は「伊勢天照御祖神社」の本宮・元宮です。
(「No.57 撞賢木厳之御魂と天疎向津媛と福岡県北野町大城の四柱神社」参照)
審神者の中臣烏賊津使主は(贈)祟神帝です。記紀によって天皇に着かれた贈天皇です。
祟神帝は、一生懸命、神功皇后に仕えておられたが、神功皇后よりも祟神帝のほうがずっと年上、約30歳上おじいさんです。おじさんだけど、若い神功皇后に仕えておられました。


ここまで来れば、神功皇后のお相手が誰であるか自ずとわかります。
仲哀天皇、武内宿禰、開化天皇(高良玉垂命)ではありません。
神功皇后はその後、開化天皇のお后となられます。第一子が斯礼賀志命(しれがし)=大鷦鷯尊(おおさざき)、後の若宮・仁徳天皇です。(贈)応神天皇の若宮ではありません。


これで、八幡神社の三神の流れがスム-ズになりました。
祖母・(鴨)玉依姫(宗像三女神の一人)
 母・神功皇后(息長帯比売命)
八幡神・誉田別命(贈・応神天皇)

現在の宇佐八幡宮、筥崎八幡宮の祭神となります。
曾祖母は市杵島姫と櫛稲田姫となり、市杵島姫は宗像三女神の一人です。
よって、宇佐二女神は(鴨)玉依姫と市杵島姫となります。
神社の神様の配神は母系表示が多いようです。古代は母系社会だったのでしょうか。それとも、女神の格上神が多かったのでしょうか。

八幡神を父系でみますと、
曾祖父・天忍穂耳命(海幸彦、春日大神、天児屋根命)
 祖父・大山咋神(日吉様、大物主、佐田大神、松尾大社、天葺根命、国造速瓶玉神)
  父・(贈)崇神天皇(ツヌガアラシト、御間城入彦)
八幡神・誉田別命(贈・応神天皇)
となります。

この父系の流れでは、藤原氏、阿蘇氏が天皇家に幅を利かすのも道理です。




 

        大宰府地名研究会による神社トレッキングの案内
        2019年1月20日(日)
        旧那珂川町安徳台を中心に神功皇后ゆかりの神社
        天御中主神社・現人神社・裂田神社・伏見神社等
        を巡ります。

 

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