宮原誠一の神社見聞牒(076)
平成30年(2018年)09月14日

 

No.76 福岡県朝倉のイザナギとイザナミ ②


1.イザナギとイザナミの夫婦神

「古事記」によれば、三柱の神様と男女夫婦神の五組から「神代」が始まり、これらの神々を天神七代と呼んでいますが、男女夫婦神の五組のうち最後に現れたのがイザナギの神(伊邪那岐命・伊弉諾尊)とイザナミの神(伊邪那美命・伊弉冉尊)です。
 

日本書記の神世七代
第1 国常立尊  くにのとこたちのみこと 男神  大幡主
第2 国狭槌尊  くにのさつちのみこと  男神  金山彦
第3 豊斟渟尊  とよぐもぬのみこと   男神  豊玉彦
第4 泥土煮尊  ういじにのみこと    男神  素盞嗚尊
   沙土煮尊  すいじにのみこと    女神  櫛稲田姫
第5 大戸之道尊 おおとのじのみこと   男神  長髄彦
   大戸門辺尊 おおとまべのみこと   女神  伊香色謎
第6 面足尊   おもだるのみこと    男神  金山彦
   惶根尊   かしこねのみこと    女神  埴安姫
第7 伊弉諾尊  いざなぎのみこと    男神
   伊弉冉尊  いざなみのみこと    女神

古事記の天地開闢(てんちかいびゃく)の神 高天原の三柱
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)大幡主
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)  大幡主
神産巣日神(かみむすひのかみ)    大幡主
続いて二柱の神
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ) 月読命(大山祗)の父
天之常立神(あめのとこたちのかみ)  白山姫・菊理姫=天照女神

古事記の神世七代
第1 国之常立神  くにのとこたちのかみ 男神  大幡主
第2 豊雲野神   とよくもののかみ   男神  豊玉彦
第3 宇比地邇神  ういぢにのかみ    男神  素盞嗚尊
   須比智邇神  すいじにのかみ    女神  櫛稲田姫
第4 角杙神    つのぐひのかみ    男神  
   活杙神    いくぐひのかみ    女神  
第5 意富斗能地神 おおとのじのかみ   男神  長髄彦
   大斗乃弁神  おおとのべのかみ   女神  伊香色謎
第6 於母陀流神   おもだるのかみ   男神  金山彦
   阿夜訶志古泥神 あやかしこねのかみ 女神  埴安姫
第7 伊邪那岐神  いざなぎのかみ    男神
   伊邪那美神  いざなみのかみ    女神

 

古事記のイザナギとイザナミよる国生み(造り)の話は有名ですが、その概略です。
 

イザナギとイザナミは天浮橋(あめのうきはし)に立ち、矛の滴から島を造ります。イザナギとイザナミはこの島に降り、大きな柱を立て、イザナギはイザナミに尋ねる。
「成りて成り合わざる所一ヶ所あり」イザナミが答えると
イザナギは「成りて成り余る所一ヶ所あり」
そこで、私の成り余る所であなたの成り合わざる所を刺し塞いで、国土を生み創りたいと思う、いかに?」と、イザナミは同意します。
日本男女初のプロポーズと結婚です。
細かいところは略して、国々と神々が生まれることになります。
その後、イザナミは火の神を生み、大やけどを負い、病床に臥し、命を落としてしまいます。
イザナギは死んだイザナミに会いたいと、彼女の後を追って黄泉の国(よみのくに)に向かいますが、色々な出来事があり、結局、イザナギは逃げ帰ってくるのでした。
今度はイザナミ自身がイザナギを追い駆けてきます。
そして、向かい合ったイザナミに対して、イザナギは離縁を言い渡します。

 

イザナギとイザナミの結婚と離婚の話となりましたが、実際、イザナギとイザナミは離婚され、イザナミは大幡主の妃となられるのです。
結婚と離婚は神世の時代からあったのです。
(生身の人間として、ちょっぴり安心感が持てます)
元々、イザナミは金山彦の妹であったのです。
大幡主とイザナミの間に生まれた御子様が豊玉彦(水天龍王)と阿加流姫(耀姫 あかるひめ)です。この阿加流姫をスサノヲが半島から日本の但馬、大分の姫島へと追いかけ求婚するのです。その間に誕生されたのが市杵島姫となります。
宇佐神宮の比売大神は宗像三女神ではありません。



 

2.朝倉のイザナギとイザナミ

九州北部の筑豊、北九州市、行橋方面にイザナギとイザナミを夫婦神として祀る多賀神社があります。代表的な神社が直方市の多賀神社です。
 

多賀神社 (直方市)
所在地 福岡県直方市大字直方701
祭神 伊邪那岐大神
   伊邪那美大神
この神社の創建年代等については不詳。平安時代には既にあったという。
大内氏時代は妙見社と呼ばれた。元禄5年(1692)に妙見神社から社名を改めた。

 

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ところが、朝倉地方になりますと、イザナギとイザナミは夫婦神でなく、別神として祀られているのです。この状態を見出されたのが、五玉神社(福岡県朝倉郡筑前町(旧夜須町)三箇山(さんがやま)1144-1)での百嶋先生です。
 

久留米地名研究会における百嶋先生講演 2011年2月5日
九州王朝の泉、「スタートの泉」は佐賀県の久保泉、「中泉」は香川県及び大阪府の泉市です。そして、終点の泉は「新泉」と申します。これは現在の奈良県天理市のもとの名前、天理市丹波市町(山辺郡丹波市町)に天理教が在ります。イスラエルの系統の方々です。
天理教の祭神・天理王の神は博多の櫛田神社の神です、大幡主の神、別の名前、神結びの神です。そして、それに副として、イスラエルの方、何なんの方が入っています。そこに伊弉冉命(イザナミ)が入られます。
ここで、50年くらい前にどうも伊弉冉命はおかしいなと思った、そして、夜須高原五玉神社で伊弉冉命は博多の櫛田神社の神様の奥様ではないかと気がついた。最初の旦那さんは伊弉諾命(イザナギ)ですが、二番目の旦那さんが博多の櫛田神社の神様です。

 

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熊野速玉神は大幡主で、天忍稲根神も大幡主、五玉すべて大幡主です

 

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3.イザナギを単独で祀る伊弉諾神社

旧朝倉町菱野の妙見川の傍に伊弉諾尊を単独で祀る伊弉諾神社が鎮座されています。
伊弉諾尊を単独で祀る神社としては珍しい神社です。伊弉冉尊は祀られていません。
2年前の朝倉豪雨水害で横の妙見川が境内をえぐり取り、敷地の中程が陥没し、現在もそのままです。

 

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4.伊弉冉尊を祀る別所神社

前回紹介しました宮野神社のすぐ東200m程の下須川に伊弉冉尊他を祀る別所神社が鎮座されてます。実質的には熊野神社といったところです。
 

別所神社 旧朝倉町教育委員会
所在地 福岡県旧朝倉町大字須川字下須川3197-2
祭 神 事解男命(ことさかお)伊弉冊尊(いざなみ)速玉男命(はやたまのお)
西暦661年、斉明天皇は百済救済のため、中大兄皇子ら文武百官を従え「朝倉橘広庭宮」(あさくらのたちばなのひろにわみや)に入られた。ほどなく病にかかられたため、中大兄皇子は麻良山の朝倉社の祭神「伊弉冊尊」を別けて祀り、斉明天皇の御病気平癒を祈願されたのがこの別所神社である。
昔は須川村の氏神として祀られ、百年前までは、ここより南のお旅所(宮野幼稚園北側)まで御神幸が行われていた。
また、拝殿の柱の礎石は、非常に珍しい蓮華模様が彫られており、これは朝闇寺(廃寺)より持ってきたものではないかといわれている。

 

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祭神について、
 事解男命(ことさかお)
 伊弉冊尊(いざなみ)は大幡主の妃
 速玉男命(はやたまのお)は大幡主
となり、この祭神の配祀は熊野神社そのものです。

由緒記に「斉明天皇の御病気平癒を祈願のため中大兄皇子は麻氐良山の朝倉社の祭神・伊弉冊尊を別けて祀り」とありますが、これからすると、別所神社の元の祭神は大幡主と事解男となります。珍しい配祀となります。
斉明天皇の御病気平癒を祈願のために麻氐良山の朝倉社(麻氐良布神社)の祭神・伊弉冊尊を別けて祀ったとありますが、伊弉冊尊を別けて祀る理由が理解できません。
麻氐良布神社の祭神に伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冊尊(いざなみ)は離婚されているので、一緒に祀るのは良くない、これが斉明天皇に祟る原因として分祀されたとなれば、ひとつの理由になるのですが、日本書記にはそのような事は記載されていません。
また、遠く離れた下須川の神社に伊弉冊の神を遷す理由も不明です。
そもそも、朝倉地方では伊弉諾尊と伊弉冊尊は分離されて祀られているのです。

   麻氐良布神社(まてらふ)
   福岡県神社誌による祭神
   月読尊、天照大神、伊弉諾尊、素盞嗚尊、蛭子尊

イザナギ・イザナミ夫婦神とその子(蛭子)と三貴子(月読、天照、素盞嗚)という古事記の神代の配祀になりますが、イザナミだけが祀られていません。天智天皇によって分離されたとは考えにくいのですが。志波地区の記事に入った時、再トライします。

 

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別所神社拝殿向拝の両柱の礎石は蓮華模様が彫られていて、非常に珍しく、これは長安寺(朝闇寺)廃寺により持ってきたものではないかといわれています。長安寺廃寺の石碑が朝闇神社の前方にあり、ここの集落を「長安寺」といいます。
 

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5.熊野権現・大幡主

熊野神社の主祭神は大幡主ですが、一般表記として伊弉冉尊が主祭神として記載されています。熊野神社のご祭神・伊弉冉尊とくれば、和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社の主祭神・熊野夫須美命(くまのふすみのみこと伊弉冉尊と同一神)であり、熊野三神は、大幡主、伊弉冉尊、阿加流姫(あかるひめ耀姫)の三神ですが、時の政治情勢を憚って、大幡主の神名が外されていることがあります。
伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)の夫妻の王子が素戔嗚尊(すさのおのみこと)であることは古事記・日本書紀でも、百嶋神社考古学でも同じであり、伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦であったのは一年程度と云われる。その後、伊弉冉尊は博多の櫛田神社の祭神・大幡主の妃となられる。大幡主と伊弉冉尊の間の御子が阿加流姫(耀姫)とされる。
事解男命(ことさかおのみこと)は和歌山県新宮市の阿須賀神社の主祭神として祀られています。

 熊野本宮大社  和歌山県田辺市   主祭神・阿加流姫(耀姫)
 熊野那智大社  和歌山県那智勝浦町 主祭神・熊野夫須美命
 熊野速玉大社  和歌山県新宮市   主祭神・大幡主(速玉男命)
 阿須賀神社   和歌山県新宮市   主祭神・事解男命(ことさかお)

 

百嶋先生講演「宇佐神宮とは何か」 2012年3月17日
糸島の細石神社が三雲というところにあります。ご祭神は磐長姫ですが、その素性がごまかされている。この磐長姫の素性は龍・蛇であるが、何十年も蓋をされていた。この方のご出身地は朝鮮半島で、お父さんは博多の櫛田神社の神様で大幡主、お母様は伊弉冉尊です。伊弉冉尊は後々、伊弉冉ではまずいので別の名前に変わっている。それは熊野夫須美命(くまのふすみのみこと)に名前を変えていらっしゃる。
博多の櫛田神社の神様ご一統の熊野大社における配置を申し上げておく。
熊野夫須美神社即ち、熊野那智大社は熊野夫須美命、元は伊弉冉尊、熊野速玉大社は大幡主命(博多の櫛田神社の神様)、熊野本宮大社、これは秘密もいいところ、なんとかなんとか・・・・素戔鳴尊のお妃です。旦那は朝鮮半島から追いかけてきた天日槍(あめのひほこ 素戔鳴尊)です。日本に入られる前のお名前は阿加流姫(あかるひめ)です。
阿加流姫のコースを申し上げます。まず、日本に最初に入ってこられた場所は但馬国、現在の兵庫県です。それから大分県の国東半島の姫島です。そして国東半島に上陸します。そして奥の方に入られて安心院です。そして表に出て来られたのは神相撲をしている古表宮です。"古"は"胡"の意味です。

 

木花咲耶姫は福岡県田主丸町竹野に多く祀られていますが、別名、かぐや姫とも桜姫ともいわれ、大国主の妹さんです。世阿弥の桜川に『ああ、桜川、桜子や、桜の雪か涙かな、筑紫を離れ、海山越えて、花の名所の桜川、親子並びはつかぬものを』と詠まれています。

馬見山の北麓の馬見足白(現・嘉麻市馬見)に馬見神社が鎮座する。
祭神は伊弉諾尊(イザナギ)
   天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
   木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
です。

木花咲哉姫は別名、かぐや姫といわれるように日本一の美人女神です。
日本一才色兼備の女性が参拝されたら、かぐや姫とお互いにヤキモチを妬いたというエピソードがあります。
馬見山は大国主の山ともいわれ、馬見大明神は大国主です。その馬見山の麓が遠賀川の源流となっています。その遠賀川の名の由来が「おんがさま 大神様おおがさま」であり、義理の大物主・大国主となります。

 

福岡県田主丸町竹野の竹取物語
田主丸町竹野の地域は、八幡神社はなく、大山祗(月読命)、大国主、豊玉彦、木花咲耶姫を祀る神社が多くあり、月読命と豊玉彦(中将 小若子 コワクコ)と木花咲耶姫の関係は平安の物語「竹取物語」の舞台になっていると云われる。
それは、月読命を「竹取の翁」に、その娘姫・木花咲耶姫を「かぐや姫」に置き換えることが出来る。かぐや姫は月に帰るのでなく、中将の豊玉彦と木花咲耶姫が夫婦となり、富士山麓に子息と別れ旅にたたれるというストーリーです。

           馬見山を目的に撮ったものです(中央)

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