宮原誠一の神社見聞牒(074)
平成30年(2018年)08月31日

 

No.74 鶴と亀をひっくり返したら何になる?


日本列島を東に45°傾けたら、双対の龍になるのだそうです。九州と北海道が双対の龍の頭だそうです。なるほど、古代の日本列島は天皇家を中心にヤタカラス(豊玉彦=龍王)によってまとまった時期がありました。日本列島を龍の形に捉えることは、私は考えもつきませんでした。
高良玉垂宮神秘書241条には「黒龍の紋」が記載されています。高良大菩薩(高良玉垂命=開化天皇)の紋に使う事もあるという。この紋は天皇(江戸期)の下着の裾に描かれている龍と同じ構造をしているという。

 

高良玉垂宮神秘書241条
表筒男尊・玄孫大臣(安曇磯良)の異国への対外向けは、ご紋は黒龍にて、五か所巻いたる龍なり。・・・御兄弟の流れなれば、高良大菩薩のご紋・門光を今に大祝職の紋にいたすなり。大祝職の紋・黒龍を高良大菩薩のご紋にいたすこともあり。高良大菩薩、大祝職は同体異名たる故なり。門光を五か所書き、龍をかくのごとく書くなり。

 

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大祝日往子(ひゆきこ)は安曇磯良(あずみいそら)と豊姫(ゆたひめ)の子であり、安曇磯良は彦火々出見尊の孫であり、高良大菩薩とは義兄弟という間柄でもあります。

さらに、日本列島(45°傾斜)は、見方を変えると、女性の子宮の形をしているという。
九州と北海道が左右の卵巣であり、信州信濃は子宮の中心であると言われる。
いろんな見方ができるものです

信州には、九州からの移住者がたくさん居られる。開拓で出向いた一族、戦いに敗れて追いやられた一族等。地域名でいえば、糸魚川上流の安曇野、松本、諏訪。信濃川上流の千曲川沿いの長野、上田、千曲である。
高良玉垂命と安曇磯良は古代日本史から消された人物と言われる。
安曇磯良の子孫で有名なのが、「白村江の戦い」で第一陣の司令官であった安曇比羅夫(あづみのひらふ)がおられる。

白村江の戦いの倭国軍 
  第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津
  第二派:2万7千人。主力軍。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫
  第三派:1万余人。指揮官は廬原君臣(いおはらのきみおみ廬原国造の子孫)

西暦663年8月27,28日
白村江(錦江・クムガン河口)で、唐軍と百済・倭国連合軍が激突。
倭国軍は唐の水軍によってはさみうちにされ、軍船400隻は燃え上がり、倭国軍は大敗してしまう。


穂高神社(長野県安曇野市穂高6079)
長野県安曇野市に穂高神社が鎮座する。境内社・若宮社に安曇比羅夫が祭神として祀られています。その境内の石碑に次のように記されているという。

 

大将軍大錦中安曇連比羅夫(だいきんのちゅう あづみのひらふ)は、662年天皇の命を受け、船師170艘を率いて百済の王子豊璋を百済に護送、救援し王位に即かす。663年、新羅・唐の連合軍と戦うも白村江で破れ、8月申戌27日戦死する。9月27日の例祭(御船祭)の起因であり、安曇氏の英雄として若宮社に祀られている。
 

白村江の戦いで倭国軍は破れ、安曇連比羅夫は戦死、穂高神社の御船祭は白村江の戦いの安曇比羅夫に因むといわれる。
その他に重要な神様が祀られています。

  中殿:穂高見命(ほたかみのみこと)
     別名、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)
  左殿:綿津見命(わたつみのみこと) 海神で、安曇氏の祖神
  右殿:瓊々杵命(ににぎのみこと)
  別宮:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  若宮:安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)
  若宮相殿:信濃中将(しなのちゅうじょう)
       御伽草子のものぐさ太郎のモデルといわれる

海神で、安曇氏の祖神といえば安曇磯良であり、安曇磯良は別宮:天照大御神の曾孫に当たります。
綿津見命は海神(わたつみ)で安曇氏の祖神とされ、綿津見命・海神は「豊玉彦」で、その息子はなく、娘婿(養子)は彦火々出見命となります。
安曇氏の流れは、大幡主→豊玉彦→彦火々出見命(豊玉姫婿)→鵜草葺不合尊→安曇磯良となります。

彦火々出見命は正式には天津日高日子穂々手見命と綴ります。
「穂」の字を神名に使用する一族は、天照大神と高木大神の流れに見られます。高木大神は「許(ほ)氏」の流れでもあり、「ほ」の字を使用します。
また、「見」「美」は海人族大幡主豊玉彦系の神名に見られます。「海」は「み」とも読むことに因みます。

 

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「かごめかごめ」の歌
「鶴と亀」といえば、「かごめかごめ・・・だあれ」の「かごめかごめ」の歌があります。

  かごめかごめ
  籠の中の鳥は
  いついつ出やる
  夜明けの晩に
  鶴と亀が統べった
  後ろの正面だあれ?

この歌も豊玉彦=龍王=ヤタカラス=中将様 を忍ばせた歌といわれています。

「かごめ」
籠目、すなわち竹で編まれた半円紡形の大きな籠で、この中で鶏を飼った。

「かごのなかのとり」
「籠の中の鳥」であり、ヤタガラス・豊玉彦を表わす。豊玉彦は別名大鳥神です。

「いついつでやる」
「何時、何時、出やる」であり、「何時になったら出るのか?」

「よあけのばんに」
「夜明けの番人」であり、籠の中の鳥は鶏であるが、これもヤタガラス・豊玉彦を表わす。

「つるとかめがすべった」
「鶴と亀が統(滑)べった」であり、鶴は大山祗系・物部一族、亀は大幡主系・主に橘一族を意味し、豊玉彦によって二つの部族が連合したことを意味する。

「うしろのしょうめん だあれ」
正面から見た後(うしろ)、単純に(当事者の位置)の背後

中国南部の白族は大幡主ご一統と呼ばれ、竹細工の技術を日本列島に持ち込みます。
その最たる技術品がバンブーボートと呼ばれるメナシカゴ(目無籠)です。
長い竹ベラを円筒系に編みこむ「かごめ」「六つ目編み」があります。この編み目が、見方によっては、六角形、「タビデの星」の形、紋でいえば籠目紋に見えます。


 

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六角形の紋、亀甲紋は大幡主系の紋です。その他の大幡主系の紋に「切り竹」「笹」紋がありますが、亀は大幡主、その子・豊玉彦の象徴紋です。
大山祗系・物部族は鶴紋を使用しますが、有名な紋が島根県大田市にある物部神社の日負鶴紋(ひおいつるもん)です。物部系の神社の向拝の破風、神殿には鶴の彫刻が打ってあります。

 

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「かごめかごめ」の歌の趣旨を要約すれば、
大山祗系・物部一族と大幡主系・橘一族が豊玉彦によって部族連合をなし(大幡主と大山祗は義兄弟の契りを結ばれました)、古代天皇家(初期九州王朝)を支えた。その物部一族は物部守屋の乱により衰退、橘一族は橘諸兄(もろえ)の子・奈良麿(ならまろ)の乱により衰退してしまいます。結果、豊玉彦はヤタカラスの名に貶(おとし)められ、日本古代史から消されてしまいます。同族が作くる籠目に閉じ込められてしまったということです。そして、歴史の表舞台に再び日の目をみるのは何時かと歌っているのです。
歴史から消された古代の有名人(神)は、高良玉垂命、大幡主、豊玉彦、安曇磯良、月読命(大山祗)、金山彦が上げられます。これらの古代の神々が再び歴史の表舞台に出ていただくように願っております。

 

参考資料 向正面(むこうしょうめん)
相撲用語で向正面があります。正面の向かい側を指し、取組で行司が立っている側になります。地図上の方位とは無関係に、正面側は北に位置し(神様が見ておられる位置)、向正面は南に位置し、正面から見て左側が東方、右側が西方となります。