☀ 来談者中心療法(クライエント中心療法)はさまざまあるカウンセリングスタイルのなかでももっとも広く普及し、かつ影響した療法だと思います。
でも、なぜ来談者中心療法スタイルのカウンセリングで人は良くなるのか、問題が改善していくのか、クライアントの内面まで詳細に語っているものは僕は読んだことがありません。(逐語記録はありますが。)どこかにあるとは思うのですが。
創始者のカール・ロジャーズの著作をいくつか読みましたが3つの治療的パーソナリティについては書かれていてそれが患者が良くなるキーなのはわかるのですが、クライアントの心理課程にまでは詳細に踏み込んではいませんでした。
3つの治療的パーソナリティというのは、
1、一致(自己一致、カウンセラーの純粋性)
2、無条件の受容
3、共感的理解
です。(用語は訳書によって微妙に違います)
これらは来談者中心療法の療法者がクライアントに対して治療的効果をもつために必要不可欠な心理的要素で、どれかひとつが欠けてもうまくカウンセリングが機能しなくなります。
そして、これらはカウンセラー側が持つ心理要素です。
これらを高度にもつカウンセラーと接するとクライアントの心に良い変化をもたらします。
カウンセラーがほんとうの意味で自分の問題、ひいては存在を認めてくれた、自分は間違っていない、自分には価値があると心の奥底のもっとも純粋な部分で感じられると、クライアントの心の奥底でスイッチが入ります。
このことを僕は「共感のスイッチ」と勝手に呼んでいます。(ロジャーズの用語ではありません)
この「共感のスイッチ」がクライアントの心で作動すると、クライアントの心が本来持っている「心の自己治癒力」が発揮されはじめます。
そうなれば、カウンセリングは多少の紆余曲折があってもうまくいきます。
よくあることですが、それまで「自分には問題がない」「自分は間違っていない」「悪いのは○○だ」ということしか話さなかった人が、急に「自分にも問題があるのかも」「自分のこういう部分を変えたい」などいま現在~将来に関して改善していく話をはじめたりします。
よくある誤解で、カウンセリングは話を聞くだけ、話をするだけというようなものがあります。
たしかに表面的な部分だけをとりあげるとそう見えるかもしれません。
というよりも優秀な心理カウンセラー、来談者中心療法の療法者のカウンセリングはときに時折あいづちをうつだけ、うなずくだけだったりもします。
そして、それはごく初心のカウンセラーも形だけは同様だったりします。
でも、前者はあきらかに高度なレベルで機能しています。
それは小さなレベルでも少しずつ「共感のスイッチ」に影響を与えているからです。
でも、そうでない場合は「ただ話を聞くだけ」です。
それはある養成校のカウンセリングトレーニングで経験して感じたことで、それはそれで意味がありました。
「ああ、形は似ていても、中身が違うんだな」
と感じられたからです。
カール・ロジャーズの有名なカウンセリング映像を見たことがありますが、一番強く感じたことは「自然」だということです。
けして「完璧な会話」などではありませんでした。
ある場面では、クライアントの言葉に、自分の言葉を重ねてしまっていました。もちろんすぐにクライアントに譲っていましたが。
こういうことは日常でもよくあります。
日常での会話でも、仲の良い人同士ほどあるのではないでしょうか。
ただ違いはカウンセラーはかならずすっと譲るのですが。
カウンセリングが熱をおびてくると相互にやはり積極的な心理的関わりが増えるからです。
あるカウンセラー養成学院ではダメな事とこれを否定していました。
(天才といわれるカウンセラーがおそらく熟練した時期にやっているんですがー笑)
結果、そこの講師のカウンセリングはまるで「就職の面接」のような固い形式ばったカウンセリングばかりでした。
そこは「理想のカウンセリング」の姿を、「就職面接」や「ミスのない完璧な会話」に求めていたのだと思います。
僕のカウンセリングの当面の目的はクライアントの心に「共感のスイッチ」ができるだけ自然なかたちで入ることです。
「自然なカウンセリング」
カール・ロジャーズのカウンセリングは、まさにそうだと思います。
機械的、技巧的、支配的というのは真逆です。
そして、アニマルセラピーでクライアントが良くなっていくのもおそらくこの「共感のスイッチ」がクライアントの心で入ったからだろうと思うのです。
犬や猫、イルカなどは高度な共感能力があります。
そこにクライアントの心は反応するのでしょう。
人間のカウンセラーがほとんど何もできない自閉症などのクライアントでも、クライアントに良い影響を与えることができるのも、ここに理由があるのだと思います。
僕はけして天才カウンセラーではありません。
(改善され問題がなくなったクライアントの方のなかにはそう言ってくださる方もいるのですがー笑)
それは、僕は犬や猫、イルカほど「純粋」ではないからです。
彼らこそが「天才カウンセラー」のように感じています。
僕は、「足りない部分」を強く感じています。
だからこそプラスアルファでなにかより良い療法はないかと自分なりに勉強してはいます。
ただぐるりとまわって最終的にはこの「来談者中心療法」というのは極めて優れた心理療法だと思います。
それはきっと人間の心のもっとも深く純粋な機能である「共感能力」を良い意味で利用した療法だからです。
だからこそ「共感」を阻害する要素は来談者中心療法では可能なかぎり排除すべきと思います。
それにしてもこのような療法を創始したカール・ロジャーズはやはり「天才」のように思います。
☀ 先日、昔の塾時代の生徒3人と食事をしました!
彼女たちは3人とも結婚し、赤ちゃんもいます。
もう10数年以上も前の卒業生です。
これまでもピンポイントでそれぞれ数回会ってはいましたが、久しぶりに再会するとそれぞれ状況が変化していたりして、ちゃんと生きているんだなあと嬉しく感じました。
正直、これは「特別なこと」なのだと後になって感じました。
僕はもともと人間関係はあっさりしているので、「来るものは(とりあえず)拒まず、去る者は追わず」なのですが、それでもこうして「たかが塾講師として1,2年勉強を教えただけの人間」に会いたいといって赤ちゃんを見せてくれるというのはそうそうあることではないのかもしれないと感じました。
これが学校の先生ならば朝から夕方、部活でも関わっていれば夜まで、3年間毎日のように会っているわけですから物理的にもともと濃い関係ができますが、塾講師なんて1週間で正味2,3時間程度しか関わりません。
それでもこれまでに卒業後に会いたいと連絡をくれる卒業生は何人かいました。
今回は3人とも赤ちゃん付!!
大事な自分の子を、嫌だと思う相手には会わせたがらないでしょう。
わざわざこうして会いに来てくれるということに、正直後々「感謝」ばかりを感じました。
僕は塾講師時代、彼ら彼女たちにたいしたものは与えられていないと感じていました。
もちろん真剣に本気で勉強を教えていましたが、それは彼ら彼女らが受験という必要に迫られていて学力を伸ばしたいという気持ちを持っていると感じたからです。
ですから僕の担当で最終的に学力が落ちるというのは、習い事などを理由に塾にきちんと来ない子ぐらいでした。偏差で5程度伸びるのは当たり前、10以上伸びる子もかならずいるというぐらい。最高は17,18くらいでしょうか。
3年2学期の北辰偏差で学年平均60を切るなんてまれで、最高は63.8だったと記憶しています。
入塾審査はなくて、入塾時の偏差が40切る子もいる状況で、です。
自分なりにはそれなりに頑張ったとは思いますが、そんなのはほとんど自己満足です!
でも、こうして卒業から10数年経過しても会いに来てくれる(赤ちゃんもいて大変だろうに!)というのは、当時の自分の関わり方が必ずしも間違ってはいなかったのかもしれないと感じさせてくれます。
これはちょうど「来談者中心療法」がきちんと機能した時にクライアントがもつ「共感に対する反応」に似ています。
自分の存在が、「肯定」されたと感じるのです!
自分はこの世界に存在している価値があるのだという無言のメッセージです。
これはお金でも買えません(高級レストランやブティックなどでの接客は表面的なものが多く偽物です。証拠にそこには高額な対価が必要だからです。お金が発生しなくとも、素でそういう関わりができるというならば本物ですが)し、権力でも暴力でも得られません。
実際、承認欲求が得られずに苦しんでいる富豪も歴史的に多くいるようです。
そういう人は、先に挙げたかりそめの場所へ頻繁に出かけてとりあえず承認欲求を満たすようです。でも、これは偽物なので翌日には消え去ります。
だからこそ僕は「感謝」するのです。
もっとも僕がそのことを彼女たちに伝えることは今後ないでしょうし、このブログも知らないか読んでいないはずなので彼女たちが知ることはないでしょうけれど。
ここらへんは僕の天邪鬼な性格が理由です。~(◉ω◉)~
彼女たちは3人とも結婚し、赤ちゃんもいます。
もう10数年以上も前の卒業生です。
これまでもピンポイントでそれぞれ数回会ってはいましたが、久しぶりに再会するとそれぞれ状況が変化していたりして、ちゃんと生きているんだなあと嬉しく感じました。
正直、これは「特別なこと」なのだと後になって感じました。
僕はもともと人間関係はあっさりしているので、「来るものは(とりあえず)拒まず、去る者は追わず」なのですが、それでもこうして「たかが塾講師として1,2年勉強を教えただけの人間」に会いたいといって赤ちゃんを見せてくれるというのはそうそうあることではないのかもしれないと感じました。
これが学校の先生ならば朝から夕方、部活でも関わっていれば夜まで、3年間毎日のように会っているわけですから物理的にもともと濃い関係ができますが、塾講師なんて1週間で正味2,3時間程度しか関わりません。
それでもこれまでに卒業後に会いたいと連絡をくれる卒業生は何人かいました。
今回は3人とも赤ちゃん付!!
大事な自分の子を、嫌だと思う相手には会わせたがらないでしょう。
わざわざこうして会いに来てくれるということに、正直後々「感謝」ばかりを感じました。
僕は塾講師時代、彼ら彼女たちにたいしたものは与えられていないと感じていました。
もちろん真剣に本気で勉強を教えていましたが、それは彼ら彼女らが受験という必要に迫られていて学力を伸ばしたいという気持ちを持っていると感じたからです。
ですから僕の担当で最終的に学力が落ちるというのは、習い事などを理由に塾にきちんと来ない子ぐらいでした。偏差で5程度伸びるのは当たり前、10以上伸びる子もかならずいるというぐらい。最高は17,18くらいでしょうか。
3年2学期の北辰偏差で学年平均60を切るなんてまれで、最高は63.8だったと記憶しています。
入塾審査はなくて、入塾時の偏差が40切る子もいる状況で、です。
自分なりにはそれなりに頑張ったとは思いますが、そんなのはほとんど自己満足です!
でも、こうして卒業から10数年経過しても会いに来てくれる(赤ちゃんもいて大変だろうに!)というのは、当時の自分の関わり方が必ずしも間違ってはいなかったのかもしれないと感じさせてくれます。
これはちょうど「来談者中心療法」がきちんと機能した時にクライアントがもつ「共感に対する反応」に似ています。
自分の存在が、「肯定」されたと感じるのです!
自分はこの世界に存在している価値があるのだという無言のメッセージです。
これはお金でも買えません(高級レストランやブティックなどでの接客は表面的なものが多く偽物です。証拠にそこには高額な対価が必要だからです。お金が発生しなくとも、素でそういう関わりができるというならば本物ですが)し、権力でも暴力でも得られません。
実際、承認欲求が得られずに苦しんでいる富豪も歴史的に多くいるようです。
そういう人は、先に挙げたかりそめの場所へ頻繁に出かけてとりあえず承認欲求を満たすようです。でも、これは偽物なので翌日には消え去ります。
だからこそ僕は「感謝」するのです。
もっとも僕がそのことを彼女たちに伝えることは今後ないでしょうし、このブログも知らないか読んでいないはずなので彼女たちが知ることはないでしょうけれど。
ここらへんは僕の天邪鬼な性格が理由です。~(◉ω◉)~
ここのところ「依存」と関係のありそうなニュースが多いですね!
清原氏(薬物依存)、乙武氏(性依存)、バドミントン選手(ギャンブル依存)など。
依存は以前にも書きましたが、基本構造はその人の心の隙間(空虚感、虚しさ、悲嘆、劣等感など)を依存対象で埋め合わせる行為です。
それぞれに才能にあふれていて、活躍もしている。
それでも人間である以上、心の中になにか満たされないものがあるのでしょう。
それを埋めようと、依存行為を繰り返すのです。
そして、有名人であろうとなかろうと、かならず破滅(大事なものを失う)します。
その理由としては、依存行為はやめられないし(自分でやめられる=コントロールできるなら依存ではない)、かならずその行為はエスカレートするからです。
これは「依存」は、依存行為を通して脳内で分泌される快楽物質や興奮物質を究極的には欲しがっている状態なのですが、薬物はすべからく耐性ができますからより多くの物質を欲しがるようになるのです。
これは本人も気づいていないことが多いようです。
だから、エスカレートし、発覚。さまざまなものを失う。
というルートを辿ります。
そして、これは「依存症者」が辿る典型的なルートです。
そして、100%破滅。
ほんとうは早い段階で「依存」に詳しい専門家と関わったほうがよいのですが、現実は難しいようです。
本人が自分の心の問題に気づき、改善しなければならないと思うのは、大抵は多くのもの(社会的信用、家族、仕事、友人、お金など)をほとんど失ってからですから。
それにしても今回のバドミントン選手のケースは「もったいない」と思います。
オリンピックで活躍し、金メダルでもとればCMなどトータルで億単位の収入になったかもしれないのです。
とくに桃田選手はその可能性がかなりあったように思います。
桃田選手の使用金額は数十万円で、しかも負けていたようです。
冷静な頭なら、どちらが得か、人生を賭けるに値するか、わかるはずなのです。
桃田選手がそうなのかはわかりませんが、依存(依存脳の状態)であるならばこの判断はほぼできないものです。
回数や金額からすると「依存」傾向が強く感じられるのは田児選手のほうですが。
でも、ここに「依存」(ギャンブル依存)の怖さがあらわれてもいます。
どうでもよい「賭け」を優先、選択して、自分が本来やるべき人生にとって大事な「賭け」を見失う。
それだけでなく他人(今回は後輩)の人生も巻き込んで台無しにしてしまう。
依存症者はかならずしも「ダメ人間」というばかりではありません。
ある面では人間的に魅力的であったり、能力的には有能であったりもします。
でも、それらも台無しにしてしまうのが「依存」の怖さなのです。
野球選手の賭博の問題もありますし、スポーツマンにこそ「心を整える」という意味で優秀な心理カウンセラーを専属でつけたほうがよいと思うのですが、まあ無理でしょうね。
人間は、失わないと気づかないものなのかもしれませんから。
ただ、僕は人は変われるし、改善できると信じています。
ある面では、失ったものが大きいほど、その後に得る「心の力」は大きいものだとも感じています。
だからこそ、失ってしまった彼らも自分の心に向き合うことができれば今後も活躍(今とは別な形かもしれませんが)できるのではないかと思います。
そして、自分もまた自分の心を常にみつめなければと思います。
カウンセラーは、「傲慢」になりがちだからです。
クライアントは総じて深く傷ついていたり、悩んでいたりして精神的に弱っているからです。
「上から目線」になりがちなのは、お医者さんと似ています。
しかし、「上から目線」ではカウンセリングになりません。
とくに来談者中心療法者は、「傲慢」でも「卑屈」であってもいけません。
つねにニュートラルな状態が理想です。
と心がけているのですが、体調や疲労の影響を受けるのも事実です。
そういう時に、僕は呼吸法を併用した自己暗示法を使って改善します。
これはかなり強力なので、使えばすぐに改善します。体調や疲労自体が消えるわけではありませんが、心がポジティブな状態になります。
ただ問題がひとつ。
これは「依存」と同じなのですが、自分の心に問題が起きていて改善が必要だと自分で認識するタイミングが遅くなりがちだということです。
それに気づくためにも、常に自分の心に焦点を当てなければと感じています。
清原氏(薬物依存)、乙武氏(性依存)、バドミントン選手(ギャンブル依存)など。
依存は以前にも書きましたが、基本構造はその人の心の隙間(空虚感、虚しさ、悲嘆、劣等感など)を依存対象で埋め合わせる行為です。
それぞれに才能にあふれていて、活躍もしている。
それでも人間である以上、心の中になにか満たされないものがあるのでしょう。
それを埋めようと、依存行為を繰り返すのです。
そして、有名人であろうとなかろうと、かならず破滅(大事なものを失う)します。
その理由としては、依存行為はやめられないし(自分でやめられる=コントロールできるなら依存ではない)、かならずその行為はエスカレートするからです。
これは「依存」は、依存行為を通して脳内で分泌される快楽物質や興奮物質を究極的には欲しがっている状態なのですが、薬物はすべからく耐性ができますからより多くの物質を欲しがるようになるのです。
これは本人も気づいていないことが多いようです。
だから、エスカレートし、発覚。さまざまなものを失う。
というルートを辿ります。
そして、これは「依存症者」が辿る典型的なルートです。
そして、100%破滅。
ほんとうは早い段階で「依存」に詳しい専門家と関わったほうがよいのですが、現実は難しいようです。
本人が自分の心の問題に気づき、改善しなければならないと思うのは、大抵は多くのもの(社会的信用、家族、仕事、友人、お金など)をほとんど失ってからですから。
それにしても今回のバドミントン選手のケースは「もったいない」と思います。
オリンピックで活躍し、金メダルでもとればCMなどトータルで億単位の収入になったかもしれないのです。
とくに桃田選手はその可能性がかなりあったように思います。
桃田選手の使用金額は数十万円で、しかも負けていたようです。
冷静な頭なら、どちらが得か、人生を賭けるに値するか、わかるはずなのです。
桃田選手がそうなのかはわかりませんが、依存(依存脳の状態)であるならばこの判断はほぼできないものです。
回数や金額からすると「依存」傾向が強く感じられるのは田児選手のほうですが。
でも、ここに「依存」(ギャンブル依存)の怖さがあらわれてもいます。
どうでもよい「賭け」を優先、選択して、自分が本来やるべき人生にとって大事な「賭け」を見失う。
それだけでなく他人(今回は後輩)の人生も巻き込んで台無しにしてしまう。
依存症者はかならずしも「ダメ人間」というばかりではありません。
ある面では人間的に魅力的であったり、能力的には有能であったりもします。
でも、それらも台無しにしてしまうのが「依存」の怖さなのです。
野球選手の賭博の問題もありますし、スポーツマンにこそ「心を整える」という意味で優秀な心理カウンセラーを専属でつけたほうがよいと思うのですが、まあ無理でしょうね。
人間は、失わないと気づかないものなのかもしれませんから。
ただ、僕は人は変われるし、改善できると信じています。
ある面では、失ったものが大きいほど、その後に得る「心の力」は大きいものだとも感じています。
だからこそ、失ってしまった彼らも自分の心に向き合うことができれば今後も活躍(今とは別な形かもしれませんが)できるのではないかと思います。
そして、自分もまた自分の心を常にみつめなければと思います。
カウンセラーは、「傲慢」になりがちだからです。
クライアントは総じて深く傷ついていたり、悩んでいたりして精神的に弱っているからです。
「上から目線」になりがちなのは、お医者さんと似ています。
しかし、「上から目線」ではカウンセリングになりません。
とくに来談者中心療法者は、「傲慢」でも「卑屈」であってもいけません。
つねにニュートラルな状態が理想です。
と心がけているのですが、体調や疲労の影響を受けるのも事実です。
そういう時に、僕は呼吸法を併用した自己暗示法を使って改善します。
これはかなり強力なので、使えばすぐに改善します。体調や疲労自体が消えるわけではありませんが、心がポジティブな状態になります。
ただ問題がひとつ。
これは「依存」と同じなのですが、自分の心に問題が起きていて改善が必要だと自分で認識するタイミングが遅くなりがちだということです。
それに気づくためにも、常に自分の心に焦点を当てなければと感じています。