スイカとメロン!

俺は離島に来てからは毎朝朝食を作るのが面倒なので、果物を食べている。

 

春秋季(12月~5月)は、週1回「宮古シティ(最大のショッピングモール)」でバナナとリンゴとオレンジを買い置きして食べる。

夏季(6月~11月)は、週1回「あたらす市場(宮古島特産品を売る中規模のスーパーマーケット)」でスイカを買って食べる。

 

スイカの大きさは小・中・大とあるが、俺は中を買う。大だと冷蔵庫に入りきらないので1週間の後半には腐るからだ。ハハハ。

 

勿論宮古シティでもスイカは売っているのだが「今帰仁(沖縄本島北部)」のものだけで、タネが少なくて食べやすいのだが、色が薄くて、味も水っぽかったので、以降俺は買わない。

 

 

去年あたらす市場で見つけた宮古島産のスイカ「夏爽赤」という品種は、色が赤く・甘みも濃く・食感はシャリシャリで、俺的には最も美味かった。

 

 

5月下旬、今年も期待してあたらす市場に探しに行ったがまだ入荷されていなかった。

6月初旬、毎週見に行ってついに見つけた。今年は「夏きらら」とか言う品種だった。

 

 

すぐに購入して、冷蔵庫で冷やした。翌朝食べてみたら、色が赤く・甘みも濃いが、食感はシャリシャリではなく、「今帰仁産」よりは俺の好みに近いが、去年の「夏爽赤」の方が美味かったなー。

 

翌週、買いに行くと「夏きらら」は売り切れで、小玉で「品種表示のない無名」のスイカが5つ位並んでいた。値段は全て1300円。

1つだけ中玉があったが何故か値段が小玉と同じだった。不思議に思いひっくり返してみると、裏側に5円玉位の大きさの凹みキズがあり、少し茶色く変色していた。

これはお得だなと思いキズのある中玉を買ってみた。

 

家に帰り冷蔵庫で冷やし、翌朝切ってみたら「パシューっ」という炭酸水のような音がして液体が飛び散った。中が腐って発酵が始まっていたようだ。味を一口試してみたら、ヨーグルト的な味だった。ハハハ。

結局、ひとかけらも食べれる部分が無いので、その日の朝食はアセロラジュースのみになった(涙)

 

宮古島(あたらす市場)まで車で30分。クレームに行くのも面倒なので、中玉スイカは破棄した。

俺の故郷(関西)ではこういうのを「安物買いの、銭失い」と言って、思いっきりバカにされるのだが、ハハハ。

 

 

翌日朝食をどうしようか悩んでいた時、いい事を思い出した。家主さんにもらった宮古島特産メロン「ちゅらレッド」があったのだ。

 

5月下旬、いつものように俺は家主のNさんに電話をしてビニールハウスに居る事を確認した。

Nさんは、男、66歳、伊良部島出身、元下地島空港管理会社で施設管理業務、電気工事士、現在は定年退職し畑を借りて自分で野菜を作って農協に納めている、容貌はハリウッド俳優「マーチン・シーン」系だ。

 

 

ハウスに到着するとNさんは奥のビニールハウスで宮古島メロンを収穫していた。このメロンは外観はマスクメロンと同じだが、果肉はオレンジ色だ。

大玉がスーパーマーケットで3000円程度で売っている。

 

 

俺 「Nさんこんにちは。家賃を納めに来ました」

 

Nさん 「あー、ご苦労さん」 手に中玉を持って、表皮を水で濡らした布で拭いていた。

 

俺 「おー! かぼちゃではなくメロンも作っているんですね! 美味しそうですね」

 

Nさん 「ダメさぁー! 失敗だった」

 

俺 「?? いい型じゃないですか。宮古シティで2~3000円で売ってそうですよ」

 

Nさん 「見た目はいいんだが、試食してみたら甘くないさぁー! どうしようかな?」

 

俺 「そうなんですか! 残念ですね」

 

Nさん 「そうだ! 1個やるから、どれでも好きなのを持っていけ」

 

俺 「おおー、ありがとうございます」 俺はかごに入っていたメロン20個位の中で、一番上にあったものを1つ選んだ。

 

Nさん 「なんで甘くないんだろうなー?? Yさんの所で糖度計で計ってみようか」

YさんはNさんとは中学の同級生でマンゴー農園を経営していて、Yさんの紹介で俺はNさんの古民家を貸りれた。

 

俺 「それもいい考えですね」

 

Nさん 「糖度が12以上無いと農協が引き取ってくれないんだよなー・・・」

 

俺 「なるほど。では失礼します」

 

俺はそのメロンを自宅に持ち帰り、追熟させる為に食器棚に置いておいた。

 

 

それから約10日間、メロンはすっかり忘れていたが、スイカが発酵して食えなかったので代わりに朝食にメロンを食べてみる事にした。

メロンは完熟状態で、一部腐り始めていたようだ。

 

 

切ってみたら色が濃くて、発酵直前のツーンとくる匂いもあり甘みも濃くて、とても美味かった。ラッキー!!

 

 

 

そう云えば、2010年に上海の大学に1年間「語学留学」した時に、外国人用の教科書に色々な逸話が中文で記載されて載っていた。

今でも覚えているのは「禍福はあざなえる縄の如し」という逸話だ。

 

「郊外の平原にとある翁がいて馬を飼っていた。ある日翁の馬が逃げ出した。翁が嘆いていると

数日後その馬が別の逞しいオス馬を連れて帰ってきた。翁はとても喜んだ。

それを見た翁の「自慢の一人息子」が喜んで逞しいオス馬に乗ってみたが、数日後落馬して脚がびっこになってしまった。翁はとても嘆いた。

その後戦争が始まり、周囲の若者は徴兵されたが、翁の息子は脚が悪いので兵役を免れ、生き残って子孫を増やした」

そうだ。

 

今回スイカは食いっぱぐれてしまったが、代わりに宮古島メロンが食えたぜ! ハハハ。

 

 

 

ネコ風邪2.0?

 

俺は元来犬派で、猫と関わった事は一度も無いのだが、離島では近所ののら猫たちと仲良くする事になった。最近、仔猫たちも増えて、俺も忘れがちなので続柄をまとめてみた。

 

 

7月初旬、ミケ7(雌、2025年4月生まれ、白ミケの娘)が虹の橋を渡ってから、

(詳細はブログ「離島生活 (119)  七夕は死の匂い?」参照下さい)

他の幼児たち3匹も次々と猫かぜに感染したようだ。

 

八ワレ4(雌、2025年4月生まれ、白ミケの娘)が最も重症だった。

 

 

ミケ7が他界後、残った3匹の幼児は夜は外で寝るようになった。3匹とも俺が近づくと警戒して少し離れていた。

 

1日目:

・八ワレ4だけは俺の自宅の中で寝ていた。この子は、両目が目ヤニでふさがっていて前が見えないので、音と匂いだけで室内をヨロヨロとうろついて、水容器の場所へ移動して飲んでいた。首をつまんで、濡らしたティッシュペーパーで両目の目ヤニを拭いてやったが、瞼の内側が炎症して腫れていて、目は開かないようだ。

・サビ2とキジトラ2は軽く目ヤニがでていたが、普通に動けていた。

 

 

 

3日目:

・八ワレ4は、たまに俺がエサの準備をしていると、自分で寄って来て、鶏ミンチの賽の目切りを一生懸命に食べていた。食欲があるのは、この子は「回復する見込みがある」のだと思う事にした。頑張れー!!

・キジトラ2は、目ヤニがひどくなり、動きも徐々に遅くなってきた。

サビ2は、比較的元気だが相変わらず警戒心が強く、俺には近づいて来ない。

 

 

5日目:

・八ワレ4は、毎日自分の意思でエサを食べるので、歩き方が幾分しっかりしてきたような気がする。

たまに自分で外に出て、他の幼児たちと3匹で日陰で昼寝していた。この頃から八ワレ4だけは俺が近づいても全然逃げないようになった。

・キジトラ2は、目ヤニがひどくなり、瞼の内側が炎症して腫れて、結局両目が見えない状態になったようだ。

 

動きもかなり遅くなってきた。

・サビ2は、相変わらず、俺には近づいて来ないが、片方の目が塞がり、段々と動きが鈍くなってきた。

 

 

10日目:

・八ワレ4は、目の腫れが若干治まってきたようだ。

久しぶりに白ミケが食後に八ワレの身体をなめてグルーミングをしてあげていた。

毎日のエサも大人の猫たちに混ざってしっかり食べている。

・キジトラ2は、両目が塞がったためかエサを食べに来るのが遅くなり、大好物の鶏ミンチも少ししか食べれない。

・サビ2は、ようやく他の猫たちに混ざって、俺の家に入ってきてエサを食べるようになった。

 

 

14日目:

・八ワレ4は、両目が開くようになり、かなり素早く動けるようになった。よかったなー!!これからも元気に生きろよ!!

 

 

・キジトラ2は、両目が塞がったままでエサを食べに来るのが遅いので、どんどん痩せてきた。時折とんでもない方向に歩きだしているので、俺が拾い上げて自宅まで連れて行きエサ場前に下してやると、必死にエサを食べていた。頑張って生き延びろよ!!

・サビ2は、右目が正常に戻って、左目も腫れがひいてきたようだ。よかったな!!

この頃から俺が近づいても以前のように猛スピードでは逃げなくなった。

 

 

離島の仔猫たち、毎日が生きる為の闘いのようだ。

生きていれば、きっと良いこともあるから。死ぬなよ!!