台風11号が少し西にそれてくれたので、3日のフライトに乗ってようやく息子は宮古島に到着できた。

 

 

◆息子との再会:

 息子Gと2人で長期間一緒に過ごすのは離婚確定前(2015年夏)以来だから、8年ぶりだ。当時のGは175cmで50kgのヒョロヒョロ体型だったのだが、

 

今年のGは186㎝で84kgの筋肉体型に変わっていた。

大学で彼女ができて筋トレしたのだそうだ。

 

 

意外にもGは日本語を良く覚えていた。高校や大学に日本人の友人はいないのでアニメを見て日本語を練習したのだそうだ。

失くした時間を今日から息子と宮古島の海でのんびり埋めていけるかなー。ハハハ

 

 

◆息子とのマリンスポーツ:

台風11号の影響で、海はまだ波が残っていて遊べないので;

4日は、渡口の浜ビーチで散歩し、その後マンガ喫茶で3時間漫画を読む。

 

 

5日は、池間島から「八重干瀬(やびじ)サンゴ礁」でシュノーケリングの予定が、ショップの内乱?で急遽中止。

池間大橋のたもとの茶屋でアイスクリームと紅イモもちを食って休憩&雑談。

 

 

6日は、グラスボート&カヤックで「青の洞窟」周遊を体験。

佐良浜港(5月の自衛隊ヘリ墜落事件時に捜索隊の基地化した場所)に自衛隊が来て「市民サービス」をしていたので、特殊車両や野戦バイクを見学できた。

 

左の野戦輸送車はトヨタ製で3000万円弱、右の防弾装甲車はコマツ製だそうだ。

コマツ恐るべし!

 

隣のテントで自衛隊カレー(無償)を食べさせてもらった。

 

これは「市民用に特別作ったものではなく、隊員が普段食べているカレー」だそうだ。具材が多いだけでなく、意外と美味かった。

 

7日は、再度八重干瀬サンゴ礁で、Gとシュノーケリングに挑戦。

天候は晴れ、波も平常、透明度も良く、シュノーケリングにはベストの条件だった。

ツアー開催の「八重干瀬マリンサービス」では、船長(日本人、男、50代後半)に仕込まれたスリランカ人のガイドI(男、20代後半?)がシュノーケリング2回だけでなく、日本語や接客も上手くこなしていた。

 

 

8日は、下地島でGは初の体験スキューバダイビング。

 天候は曇り、波は無し、今回の1本目のポイントは「中の島チャネル」。

 

透明度は20m以上で、予想通りの「良い海」だった。

 

2本目のポイントは「アントニオガウディ」

 

このネーミングを考えた奴は偉い!!

 

ツアー開催の「リーフ ダイビングショップ」は大阪出身の気さくな店長が操船し、2人のベテラン客をガイド。ライセンスの無いGには優しいガイドのおねーさんが一人付いて至れり尽くせりだったようだ。ハハハ。

 

 

◆息子Gからの質問:

Gとはオーシャンビューの古民家で毎日何時間も雑談し、

お互いの古い記憶の断片を擦り合わせして、

失われた親子のヒストリーを修復していった。

 

質問1: そもそもパパがママと出逢った理由は? 

 → んー。これはとても長い話になるなー;

 

1989年2月、当時俺が勤務していた自動制御機器メーカーのY社から長期出張で、

「インドネシアのジャングル」のど真ん中に

 

 

建設中の紙パルプの工場に1年間派遣され自動制御コンピュータを設置・立上げしていた。ここは史上1位と言われる劣悪な環境(住所・電気・電話・交通機関・ホテル・日本食等が無い)で、仕事もどんどん遅れていた。

 

 

6ヶ月目遂に俺はお客様である現場総責任者H(日本人、男、60歳、元技師、歩く老害、このプロジェクトが終われば日本に帰国して定年退職)をリーダー会議中に「お前はバカかー!」と怒鳴りつけてしまい、強制国外退去になった。

この時東京からJ部長が3日かけてジャングルの真ん中まで謝罪に来た。悪いのは老害Hなのに、J部長の一方的謝罪で収められて、俺は超怒った!

帰国後、勿論俺は窓際族に転落したので、無断欠勤して八丈島でスキューバダイビングしていた。

!!インドネシアのジャングルの宿舎で食べる日本食もどき、不味かったー。

 

1988年6月、会社クビの直前で条件付き「ラスト・チャンス」で韓国の巨大製鉄工場の現場監督として赴任した。

 

 

この仕事を受ける条件として俺が要求したのは「このプロジェクトを成功させたら、クソ部長Jに思い切り文句を言える事」だ。ハハハ。

会社からの条件である「何があっても、絶対に、お客様(現場総責任者)とケンカしない」という制約を守り、半年後超難航プロジェクトを成功に漕ぎつけた。

帰国直後、俺は28歳で異例の若さでチームリーダーに抜擢された。通常は早くて30代後半だそうだ。この為少し浮かれてしまい、クソ部長Jに文句を言うのを忘れてしまった。ハハハ。

!!韓国料理、焼肉・参鶏湯は美味かったが、それ以外は辛くて食えなかったー。

 

1989年5月、チームリーダー最初の仕事として「中東の砂漠」に建設中の海水淡水化工場で現場監督をしていたKに対しお助けマンとしてサポートしに行った。この頃北京で「天安門事件」が起きている事を中東の英字新聞で知り「中国って怖いところやなー」と思った。

ここでKが現場で鉄製ガスボンベを殴って大けがして入院した。

 

が、この不祥事をカバーして逆転した事で、意外にも俺は中東出張中のY社海外営業本部長の目に留まったらしい。

!!砂漠での3食自炊料理、超不味かったー!

 

1989年10月、帰国後に新宿超高層ビルにあるY社の国内営業技術部化学チームへ異動。

 

本社で2番目のエリート集団に加わる事に。

!!新宿超高層ビル街での選び放題の食い物、美味かったー!

 

→ その頃、上海支社の副支社長Nが顧客と飲み過ぎて湖南省長沙で急死した。Nとの面識は無いが、社内報で見た。

 

スキューバを満喫するという名目(本当は社内派閥争いからの逃避)で、俺はオーストラリア駐在員を希望し、ついでにY社長とも面談してもらった。

 

1990年10月、海外駐在員へのマイルストーンとして本社の海外営業技術部ソ連チームへ異動、1年間の修行。

 

1991年11月、ソ連の「アゼルバイジャン、スムガイトにある石油工場」へ俺は技術営業として受注を目指し出張にでかけた。

   

 

 

俺達がモスクワに着いた頃、11月20日国際調停監視団の乗るヘリが撃墜され、アゼルバイジャンとアルメニアとの戦争が再発した。

 

俺達はY社のモスクワ支社で数日間足止めをくい、結局アゼルバイジャンに入国できず帰国した。

!!ソ連崩壊直前のモスクワ料理は材料が充分配給されないらしくて、不味かったー。

 

→ 代わりに俺は(中国は100%担当外なのに)、Y社の上海支社経由で湖南省長沙での「N副支社長の弔い合戦」のサポートに行かされる事に。トホホだぜ。

 

!!四川料理より辛いと言う湖南料理は本当に激辛だったー。

 

→そこで「本来行くはずの無い中国出張に行き、逢うはずのないY社上海支社勤務のC」と出逢った。

 

→当時、それまで生涯独身主義だった俺は、オーストラリア駐在員に合格する為に急遽結婚しないといけない状況になり、

「見合い相手A」と「親友の奥さんに紹介されたB」との出会いが始まったところだった。

 

→結局、関西版ロシアンルーレットで俺はCを選ぶ事にした。

Cは、当時中国全土で数万人に一人しか受からないと言う「アメリカの大学院行きの国費留学資格」を捨てて「東京に行く!!」と言い出したから、親族一同から熱烈・猛反対されたそうだ(苦笑)。

 

1993年8月、結局上海からCが東京国際空港に入国し、東京での新婚生活が始まった。4年後に東京で娘Rが生まれ、8年後に上海でGが産まれた。

 

 

質問2: 息子Gから次の質問が来た:

 Gは旅先のユースホステルで外国人旅行者と知り合い「どこから来た?」と聞かれた時に

「産まれは中国、国籍は日本、住んでいるのはUSA」と説明したら、相手がとても理解に困っていた。

「僕は何人なの?」

これは数年前に娘からも同じ質問をされた。今回も同様に回答した;

 

国籍・人種には大きく分けて3つの分類がある;

1)法的:

これで言うと君は日本国籍だから日本人だ。

例えば、今後カリフォルニアで大災害が起きて各国から救難部隊が到着した場合、日本のパスポートを持っている君は日本国政府手配の救援飛行機には乗れる。

しかし、たとえ君が中国育ちで中国語がネイティブであっても中華人民共和国の手配した飛行機には絶対乗せてはもらえない。中国政府にとって君は「安全を保護すべき自国民」ではないんだよ。

 

2)人種的:

 君は中国人と日本人のハーフだから、遺伝的には「モンゴロイドで、東アジア系」だ。

特に東アジアの「中国→朝鮮半島(韓国&北朝鮮)→日本」は遺伝的交雑時期が長いので、「髪の色・目の色・肌の色等」の人種の特徴に大きな違いは無い。つまりアメリカ人や欧州人にとって、東アジアの人種の差は判別できない。

判別できるのは「社会主義・独裁国家(仮想敵国)」なのか、「資本主義・民主国家(同盟国)」なのか、だけかもな。ハハハ。

 

3)文化的:

 君は上海生まれで、0歳から14歳まで上海で育ち、5歳迄は中国語しか話せなかった。

日本には「夏休みの1ヶ月間帰省」以外に住んだ事は無いし、上海日本人小学校にも3年弱しか通っていない。

そして15歳から現在(22歳)迄USAへ移住し英語で高校・大学と授業を受けているのだから、

文化的には現在は「50%中国+35%USA+15%日本」という位だ。

一言で言うと「中国系日本人」?

が、今後USAの割合がどんどん増加して行き、最終的には「日本系アメリカ人」になるのかもね。

 

 

質問3: 最終日にもうひとつの質問が来た。

 Gは今はカリフォルニア大学でコンピュータサイエンスの勉強をして上位グループにまで来たけど、ママからは「もっと上位の大学の大学院に進学し、AIの勉強をしろ」と言われている。

それに逆らって「勉強を中止し、自分で働いて自分で生活をする」と言ったら、ママが怒った。

僕はこれから何をすればいいの?

 

なるほど、一番の悩みはそこか! 

俺は慎重に、しかし論理的にGにコンサルティングしてあげた;

 

1) 人間にはPEA(フェニル・エチル・アミン)という「恋愛ホルモン」があり、これで男女がひっつく。が、そのホルモンはなんと「約3年」しか持たない。

代わりに、その3年以内に結婚し出産すると、恋愛は家族愛のフェーズに移行できる。

 

2) 一般的に、自分の夫に対し愛情(恋愛感情)を感じられなくなった妻は、代わりに自分の息子へ全ての愛情を注ぎ、息子を「理想の男性」に育て上げる事に人生の全てをかけようとする。

 

3) 勿論、一般的に、多くの息子達はその「ありがた迷惑なプレッシャー」に押しつぶされて、高校生か?大学生か?社会人1年目位?でポキっと挫折してしまい、

その後は哀しい人生を送る事になる。ハハ。

 

4) だから、若者はまずママに対し

「息子を理想の男性にしようとするのは止めて!! 理想の男性像を求めるのは自分の夫(再婚した相手)にして下さい。

 僕は自分の人生は自分でデザインするから」

とはっきり宣言する必要がある。

そして、一定期間(1~3年位)はママからの干渉を避ける為、できるだけ会わないようにする。

 

5) 若者は自分が今できる能力を伸ばし、今後社会で闘っていく為の「武器」を見につける必要がある。

 例: できればUSAかUKの大学院で武器(世界最先端のコンピュータサイエンス、AIのアルゴリズム、等)を取得し、磨く。

 

6) 若者は自分に向いているのは「スペシャリスト(上級エンジニア)」か、「ジェネラリスト(プロジェクト・マネージャー)」か、「コンサルタント(企業顧客に対し、現状分析&問題解決例の提案者)」なのかを、在学中の数年をかけて見極める必要がある。

 例: 数学やコンピュータサイエンスを身につけた若者は、USAの大手コンサルティング会社に入れれば、定型化された「お客様の会社をコンサルティングするノウハウと応用データ」を短期間で取得が可能。

 

7) 若者は当面は「仕事(闘える武器のある分野)」と「趣味(好きな時間を使う分野)」は分けて考え、USAの競争社会で中級以上の生活ができるような収入を獲得する。

 例: USAの大企業と雇用契約し、自分が「他のアメリカ人より文化的にアドバンテージのある場所(日本か中国)」にマネージャーとして赴任させてもらい、言葉と文化の通じる現地社員たちの協力を得て、一定の成功結果を積み上げていく、等。

 

8) 45歳位迄に、「仕事と趣味を両立できる分野」を見つけ、それまでに蓄積したノウハウと資金をそこに使い、

後半の人生を楽しむ体制を構築する。

 

2時間位でこれらを一気に説明したので、息子はかなり消化不良のようだった。ハハハ。

 

最後のアドバイスは;

俺 「USAは嫌いだから、今後君が結婚式をするとしてもパパがUSAに行く事は無い。

 でも、もし君が先に死んだらお墓詣りにはUSAへ行くかもしれないが、ハハハ」

 

G 「そんなに嫌いなんだー??」

 

俺 「君も次に宮古島に来る時はずっとずっと先だろうが、

  電話やLineならばいつでもアドバイスができるから、困った時には連絡してきていいよ」

 

G 「うん分かった。

  今度宮古島に来る時にはスキューバのライセンスを取ってから来るよ」

 

俺 「それは大事だよな。ハハハ」

 

 

◆仔猫たち

 小トラが段々慣れて来た。

3日朝には茶トラ1と茶トラ2と一緒に俺の布団の上でじゃれ合っていた。試しに俺が手を差し出すとこわごわ近づいてきて、俺の指を甘噛みしはじめた。

 

 

膝の上にも乗っかり、俺の足の指まで噛もうとする。

甘噛みなのに少し強いので、その都度俺が「アー」と拒否の声を出して、小トラが力を入れすぎないように繰り返し教えていた。

この子は4月に見かけた頃と比べ全然体型が大きくなっていない。5月に生まれた茶トラ達の方が大きいほどだ。

多分今迄人間に充分なエサをもらったり、撫でられたりした事が無かったのかもな。

 

息子Gにもじゃれついてネコパンチを繰り出したようで、その時爪で引っかかれてGは出血していた。ハハハ

 

すぐに噛みたがる小トラと平和的に遊ぶ為に、100均で「猫じゃらしとネズミのおもちゃと鈴の入った球」を買ってみた。

 

 

小トラと茶トラ2は猫じゃらしに夢中になり、

 

 

白ミケはネズミのおもちゃに強く興味を示したが、

一番好奇心の強い茶トラ1は猫じゃらしが怖いようで近づかなくなった。

鈴の入った球には誰も興味が無いようだ。

 

 

◆子トラがまさか・・!

 息子Gから何気なく指摘された;

G 「小さいタマが付いてるよー」

 

 

俺 「えっ、まさかー・・・。マジっすか!!」

 

一番身体が小さくて、哀れそうに「ミー、ミー」と鳴くのがうまいので、てっきり小トラは雌だと思っていたのだが、

意外にも小トラは雄だったー!!

どうりで甘噛みが強いはずだ・・・。

 

「人は見かけによらない」なー。

いや、ネコか!

 

離島おそるべし!!