60才で定年したので、俺は30年前から行きたかった幻のダイビングポイントに旅行に行く事にした。
◆背景
俺は27才の時から趣味でスキューバダイビング旅行に行っている。
独身の頃は年3回の長期休日(正月休み、ゴールデンウイーク、お盆休み)には会社の同僚と3人でミクロネシアや東南アジアのダイビングポイントを飛び回っていた。
結婚して子供が産まれた37歳以降はほぼ行かなくなったが、50才で別居後にスキューバを再度開始した。
◆記憶に残るスキューバのポイントは;
・1989年、西表島: 大マンタ(15m)と遭遇。ハンマーヘッドシャーク(2.5m)の大群に食われそうになる。
その後、無事浮上したらヤマブキベラ(体長20cm)の群れに囲まれ、耳を噛まれ出血。(笑)
・1990年、トラック島: 沈船の中に無傷のゼロ戦を見た。
・1991年、パラオ島: マグロ(2-3m)の群れを見た。築地に持っていけば1頭300万円?
・1991年、台湾・墾丁: 原発沖の湾にいたという巨大なナポレオンは、地元ダイビングショップのガイドのおっさんが水中銃で仕留めたそうで、もういなかった。
陸に上がったら丁度葬式の行列があり、子供達が行進している後ろに続く軽トラの荷台で美女がストリップダンスをしていた。いいのかな??
・1992年、オーストラリア・グレートバリアリーフ: 船酔い薬の分量を間違えた同僚が乗船後に心拍停止しかけた(冷汗)。
翌日ジャイアントポテトコッド(2m)の群れに餌付け。
アフターダイブでバンジージャンプ(70m)
・1994年、宮古島: 乗船していたダイビングボートが移動中に沈没。機材は全て海底に沈み回収不可。
翌日、海上保安庁に(被害者として)事故調書を取られた。
・1995年、フィリピン・マクタン島: 乗船していたダイビングボートが帰港中にガス欠で停止、無線は壊れていた。嵐で沈没しかけた後、2時間後に通りかかったイカ釣り漁船にガソリンを分けてもらい港へ生還。
・1995年、パプアニューギニア・マダン: アフターダイビングでクロコダイルの酢豚を体験。
・2010年、中国・海南島三亜湾: ライセンス無しの体験ダイビングのみのコースしかなかったのでそれに参加。周囲のサンゴは全て体験ダイバーが踏み荒らして破壊されていた。
・2012年、マレーシア・ランテン島: イスラム教徒の女性ダイバーと同行。(宗教上の理由で)頭のてっぺんからつま先まで全てを隠して潜水しておられた。(驚)
・2015年、モルディブ・オルベリ島: アフターダイブでドルフィンウォッチ。
・2018年、タイ・タオ島: フランス人のガイドはスキンヘッドで全身に仏教経典の入れ墨!
・2020年1月、タイ・ラン島: ボートとはぐれ遭難、水面に浮きながら待つ事30分間で救出される。
◆次に行きたい幻のダイビングポイントは:
実は、東京都に属する小笠原群島だ。
空港が無く、港区の竹芝桟橋から父島まで船で片道25時間かかる。
船は週に1,2便しかないので、往復で2週間の休みを取れる人しか参加できない。
つまりサラリーマン時代は行けない、モルディブより遠い「幻のダイビングポイント」だった。
と言うことで、2020年12月の会社勤務を終える前から、俺は2021年に小笠原に行こうと計画していた;
俺: 2021年の6月に小笠原にスキューバダイビングに行くけど、Nはどうする?
N: 私も行くー!
俺: いやいや、夏の小笠原はスキューバしかする事が無いからダイビングのライセンスを持っていないNは京都でお留守番やな。(ドヤ顔)
N: えー、、
じゃあ、ライセンス取るよ。
2018年にタイで体験ダイビングした時も私は素人にしては上手だとセバスチャンに褒められたよ。
俺: あー、あの全身に仏教経典の入れ墨をしたフランス人のガイドか。あいつはなんか悪い葉っぱでもやってそうだっけけどなー、、、
まあ、ライセンス取るなら、京都で2,3のダイビングショップに相談してみたら。
N: PADIのショップがいいのね。分かった。電話して価格と期間を聞いてみる。
そして2020年12月、東北育ちで寒さに強いNは一人で雪の日本海へ行き海洋実習を終え、無事ダイビングのライセンスを取得した。
しかし、
2021年春、首都圏や関西はコロナが再拡大。緊急事態宣言が続き、6月に小笠原島へのダイビング旅行は断念せざるを得ない状況になってきた。