俺の父がコロナに院内感染した。

 

◆4月7日: 一般病棟病棟移転

 

夕方、K病院/感染病棟/T看護師から電話があった。

報告内容: 本日父がコロナ病棟から一般病棟へ移動する事になった
目的: コロナ病棟が(他の患者で一杯になったので)空きベッドを作る為
(ご存じのように、兵庫県のコロナ患者数は過去最高を更新中です)
特記事項: 万が一、一般病棟で他の患者に感染させてはいけないので、父は個室に入る。

 

これからドンドン回復に向かっていくのだろうか?、と驚いていた。

 

 

◆4月8日: 意識レベル低下:

 

朝7:45、K病院/一般病棟/Y看護師から電話があった。

父の意識レベルが低下して危険な状態なので、「家族は面会に来るように」との事だった。

姉と弟へグループLineで通知し、飯も食わずに、車で急行する。


9:05、一般病棟だが感染を避ける必要があるので、防護の服・手袋・マスク・フェースシールドを付けて入室する。
(ご存じのように、兵庫県のコロナ患者数は過去最高を更新中です)
面会: 昨年10月にリモート面会をして依頼半年ぶりだった。

状態: 大きな声で何度も何度も話しかけてみたが全く反応しない。瞼もピクリとも動かなかった。

 何日も食事を取っていなかったので、手足がミイラのように痩せていた。

!!父の「人生最後の言葉」を聞きたかったので、こうなる前に連絡して欲しいとあれほどお願いしたのに(怒)

 

看護師からの補足: 皮膚に痛みを与えてみたが、全く反応が無い、との事だった。

感染棟内科の主治医/B医師から説明を受ける為に2時間待つ。

 

11:35、B医師からこれまでの経過説明を受けた;

意識レベルが低下しているので、危険な状態。

今後2、3日で肺が酸素を取り込めない状態になったら心停止するだろう、

コロナウイルスには打ち勝ったが、体力を使い果たしたのだ、との事だった。

 

延命治療は希望しない事を伝えて、病院をでた。

駐車場から親族にLineで報告を送り、京都に戻った。

 

14:30、気分転換にNと合流し、四条麩屋町の権太呂・本店で若竹そば御膳を食べた。

 

父が苦しまないで安らかに最後をむかえる事ができるといいのだが、、、