ソルトレイクシティ、午前五時半。
空気は驚くほど澄み渡り、肌に触れる朝の風が心地よかった。
睡眠時間は三時間ほどしかなかったが、不思議なくらい目覚めは爽快だった。
服装は実に気楽なものだった。
ブルージーンズに茶色のドレスシャツ、その上から深緑色のカーディガンを羽織る。
荷物を増やしたくなかったので、靴はパーティー用のスーツにも合わせられるよう、一見すると黒い革靴に見えるウォーキングシューズを選んできた。
今思えば、かなりちぐはぐな格好だったかもしれない。
それでも構わなかった。
地球の裏側にある街を、たった一人で歩いている。
その事実だけで胸が躍った。
ホテルを出ると、街はゆっくりと目を覚まし始めていた。
まだ車の数は少ない。
街路樹の葉が朝日に輝き、遠くでは路面電車が静かに走り始めている。
ホテルは中心街から少し離れた場所にあった。
昨日バスで通った道を思い出しながら三十分ほど歩くと、高層ビルが並ぶダウンタウンへたどり着く。
路面電車が滑るように走り抜ける景色は、日本では見たことのない美しさだった。
まずは朝食にしよう。
そんなことを考えながら歩いていると、早朝にもかかわらず営業しているカフェを見つけた。
店の名前は、電光掲示板の流れる英文字が速すぎて読み取れない。
店内は木目を基調にした落ち着いた雰囲気で、入口を入るとすぐにパンが並んだ棚とトレーが置かれていた。
どのパンも日本のものよりひと回り大きく、砂糖やバターをたっぷり使っていそうだ。
僕はシナモンロールを一つ取り、カウンターへ向かった。
「Coffee, please.」
片言の英語でも十分通じる。
コーヒーのSサイズとシナモンロールで一ドル五十セント。
値段は日本より安いのに、出てきたマグカップは驚くほど大きい。
応対してくれた金髪の女性店員は、大柄でにこやかだった。
透き通るような青い瞳が印象的で、まるで映画のワンシーンに入り込んだような気分になる。
そんな何気ないやり取りさえ、僕には新鮮だった。
コーヒーもパンも期待以上においしい。
実はソルトレイクへ着いてからというもの、「こちらの人は味覚が違うのでは」と思いたくなるほど食事にがっかりすることが多かった。
だからこそ、この朝食には思わず笑みがこぼれた。
窓際の席に腰を下ろし、ゆっくりコーヒーを飲みながら、通りを行き交う人たちを眺める。
旅先でしか味わえない、贅沢な時間だった。
その時だった。
「日本の方ですか?」
不意に背後から日本語が聞こえた。
振り向くと、一人の男性が立っていた。
スウェットスーツにヨットパーカーを羽織り、口ひげをたくわえた小柄な男性で、年齢は四十代後半から五十代くらいだろうか。
片手にはコーヒーカップ。
間違いなく日本人だった。
しかし、不思議なことに、ツアーで来たばかりの参加者というより、この街に昔から住んでいる人のような落ち着いた雰囲気があった。
僕はシナモンロールを頬張ったまま、きょとんとしてうなずく。
すると男性は、人懐っこい笑顔を浮かべて言った。
「隣、座ってもいいですか?」
「…どうぞ。」
その一言が、このソルトレイクでの思いがけない出会いの始まりだった。
つづく