アントニオ猪木の訃報に寄せて | ケン・マツモトの「この素晴らしき世界」

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アントニオ猪木が亡くなったのを知ったのは、その旨を知らせる友人からのメールだった。今改めてそのメールを見ると、2022年10月1日(土)午前9時47分付となっている。報道によると猪木が亡くなったのは同日の午前7時40分とされているので、亡くなった直後にはマスコミの知るところとなったのだろう。

 

そのとき私は出張先の旭川市の路上にいた。偶然にも私はその2日前に羽田から旭川に向かう飛行機の中で『燃える闘魂ラストスタンド アントニオ猪木病床からのメッセージ』を読んだばかりであり、「まるで猪木の遺書のようだ」という読後感を持っていたので、それほど驚くことはなかったが、ずっしりと重い衝撃が走ったのは事実である。

 

その日は午後に東京に戻ったが、ずっとぼんやりと猪木のことを考えていたような気がする。SNSなどを見ていると、猪木は自分の子どもの頃のヒーローだったなどと書いている人もいたが、私にとっては子どもの頃どころか今に至るまでずっとヒーローだった。今まで誰にも言ったことはないが、私が人生において一番影響を受け、今でも受け続けているのは、間違いなくアントニオ猪木なのである。

 

とはいうものの、やっぱり私が本当に好きだったのは、今では猪木の代名詞のように言われている「1、2、3、ダー!」ではなく(それは猪木が政治家となり事実上の引退試合だったと言ってもよい1990年2月10日の東京ドーム大会から始まったものである。)、私が子どもの頃の猪木全盛期の、「1、2、3」のないただの「ダー!」、試合後の勝利の雄叫びの「ダー!」だったなあ、と思ったりもした。子どもの頃の私がそれによってどれだけ勇気づけられたか。

 

その後、今日までの1週間は、暇さえあればYouTubeで猪木関連の動画を見ているが、一番よかったのは、アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネルの、猪木が亡くなった後にアップされた2つの動画だろう。特に2つ目の「アントニオ猪木からのサプライズ」と題された動画がとてもよかった。最初は笑えて、そして泣けた。