初の前・後編となってしまいました
自分に構成力も無いことがわかったken-suです(=゚ω゚)ノ
一応断わっておきますが、これは前回の記事の後編です
さて前回で「科学的に正しい」とは
現時点では疑う要素が見当たらない
ということを指していると述べました
この“現時点”というのが難しい所で、極端な話明日にはどうなっているかわからないんですよ
それが本当の意味で“正しい”のであれば未来永劫疑う要素は無いわけです
(出てきたとしてもその要素が間違っている)
ところが、そこらへんの判断はできる訳が無いので時々コペルニクス的転回といいますか
いままでの考えがひっくり返るような事が起きてきたんです
今では流石に「根幹となる物が思いっきり間違っていました」っていうのはほとんど無いですが、
それでも「Aだと思ってましたがBでした」(AとBはかなり近いものだと思って下さい)
ってのはままあります
ここまで書いてやっと本題です
今までの話から
科学的に検証されたものは正しいとは限らない
というのはお分かりになると思います
それでも科学に頼るのは
あることの正当性を考えるのにそれ以上有効な論理的プロセスが無い
ことに尽きます
個人的に付け加えると科学で証明されてないものは論理的証明を放棄している訳ですから
議論すること自体がナンセンスだと思います
補足的になって若干“科学的”の本旨からは外れますが
よく「ない」事が証明できないから「ある」(若しくはあるかもしれない)っていいますよね
幽霊や神様、はたまた自分のマイホの遠隔疑惑など結構いろんな所で聞く言葉と思います
科学的には「ない」ことが証明できなければ確かに不明です
でも基本的に「ある」か「ない」かを議論する時は「ある」ことを支持する人が「ある」ことを
証明するのが半ばルールとなっています
理由は簡単で「ない」ことを証明するよりは「ある」ことを証明することの方が簡単だからです
例を挙げると
「金の卵を産む鶏がいるかどうか」
を議論する時、「ある」側からすれば一羽見つかればそれで終わりですが、
「ない」側からすれば世の中のすべての鶏を調べて「ない」ことを証明しなければいけません
例が非現実ではありますが、現実的に考えればどちらが簡単かは容易に想像できるかと…
自分個人としては幽霊なんかはいたらいいとは思いますがw
…とまぁいつも通りグダグダになってきた所でお開きとさせていただきますwww