もろに「ダウンタウン世代」なので、松ちゃんが「芸能活動を休止」したのはショックだった。それと同時に週刊文春を読んでいて「まだこんなことやっているのか」という気持ちにもなった。では、どうすれば良かったのか。それを考えてみた。

 

結論から言うと「2015年のことなのでよく覚えていないが、もし嫌な気持ちをさせてしまったのなら素直に謝る。ごめんなさい」とすぐに言えば、それだけで済んだ気がする。

 

すぐに認めて謝れば、それ以上は「攻撃」されない。それをすると「いじめ」になってしまうから。それは日本人のメンタリティとして許されない。もしやれば、週刊文春が徹底的に「悪者」になってしまう。

 

だからそうすれば良かったのに、吉本興業が「事実無根です」と発表してしまったので、文春としても追撃せざるを得なくなった。これが未だにダラダラと報道が収まらない原因。

 

文春を毎週読んでいるが、性加害疑惑を報じたのは最初の方だけで、第三弾くらいからは、ただの飲み会の様子を報じているだけ。しかも、証言者として出てきている女性は「自らの意思」で参加したと言っている。それのどこが問題なのか、よく分からない。

 

よっぽど松本人志という人物が嫌いなのか、芸能界から抹殺したいのか、そういう「思惑」というか「強い恨み」のようなものを記事からは感じた。

 

2024年の初頭には松ちゃんは普通にテレビに出ていた。2023年に収録済のものに関しては、そのまま放送するということになったからだ。それをみんな普通に見ていたし、スポンサーも文句を言わなかった。

 

これは誰も言わないが、それなら別に活動休止する必要なんて、どこにもなかったのでは?と思う。だって、疑惑があろうが、今まで通りにオンエアされたものを見ていた人が、これだけいた訳で、それに対してスポンサーもお金を払っていたのだから。

 

もちろん、性加害が疑惑ではなく「事実」となれば、話は違ってくる。が、それを立証するのは困難だし、警察も捜査すらしていない。しかもここに来て、文藝春秋総局長の新谷学氏が「客観的な証拠はない」と発言した。実際の様子を証言する女性の参加者まで現れ、裁判の証言者として出廷しても良いとすら言い出した。

 

つまり、週刊文春は大した調査も取材もしないままに、憶測のまま記事を捏造し、それにみんなが踊らされ、松ちゃん本人も頭に血が上り「裁判ではっきりさせたるわぁ〜!」となっただけの話なのだ。

 

週刊文春と吉本興業は共同で雑誌を作る等、一時は仲が良かった。それが霜降り明星のせいやに関する報道でこじれた。結果的に裁判になり、せいやが勝訴。文春側に330万円の支払いが命じられた。

 

和牛の解散をすっぱ抜いたのも文春だ。せっかく色々と準備して、ファンや関係者に配慮してあれこれ考えていたのに、文春のせいですべて台無しに。そのせいで変なタイミングで発表せざるを得なくなった。

 

こういう「経緯」があり、しかも現在の「大看板」である松本人志に関することを報じられたので、吉本興業も「啖呵を切った」のだろう。が、冒頭に書いたように、もう少し冷静に対処するべきだった。

 

女性には謝る。が、文春は許さない。そういうスタンスで最初から対応しておけば、世間は松ちゃんや吉本の味方になったはずだし、ここまでの事態にはならなかったはず。

 

裁判がもうすぐ始まるが、女性側の貴重な「反論」が出てきた以上、心象は良くないだろう。文春も自信満々ではいられなくなるはず。さっさと終わらせて、松ちゃんも早く復帰してほしい。