中山道 板橋宿
板橋宿は 平尾宿 仲宿 上宿と
分かれてた
日本橋から最初の宿 平尾追分
現代では17号と旧中山道分岐地点
昔では 川越街道の起点になります
右に中山道
江戸に向かうのには最後の宿
着いたなと安堵し 芸者が居たのか?
それは 後方の唯一名が残る
平尾交番で 聞いて下さい(爆)
仲宿まで400mだけブログで
たった400mの中に江戸から
The昭和が有ります(笑)
ランチを検索すると
ラーメンダラケですよ
この喜多方屋は喜多方ラーメン
東京で初の喜多方ラーメン 昭和54年
坂内より早い事になってます
いつも思うのだけれど
誰がサインしたか分かる様に
してもらいたいものです(笑)
横のニラレバ見たら
美味しそうです
初心者なんで ラーメン
もちろん 美味しいでしたよ
チャーハンじゃないんですよ
食感は鶏飯を食べてる感じ
で チャーハンの雰囲気
スプーンの反射で店内見てね(笑)
会津と言えば馬刺し
先ほどのレバニラ 馬刺し
飲みに来ても良いな
もう一度とイメージが
膨らむ店なんですよ
では 散策開始
ああ これは 喜多方でしたね
あまり 変わりは無いですよ(笑)
現代では不動通りと言います
給水塔塗り替え
一階
道 店なんか?
ビルの非常口じゃないよな(爆)
もろチャイナな名前
四川風 陳麻飯(チンマーハン)
でも良かったと思ってたんだけれど
定休日でしたね
旧中山道 エリアは
庚申塔の聖地
その中でこんなに固いガード
大きな傘
立派な青面金剛様
ここは寺 預かりなのか
街道 庚申塔なのか微妙
1700年を基準にすると
1661年の庚申塔にしては形を成して
板橋の有形文化財になるはず
観明寺
下屋敷の通用門を移築した山門
赤門ですよ 東大の赤門と同じ
加賀藩 前田下屋敷のものです
中に入ると
金沢藩江戸下屋敷移築稲荷社
これも加賀下屋敷の敷地内から移転
立派な桜です
女子が化粧する前の
真の美しさ
咲かない方が良い
独り占めしたいのです(笑)
寺を出ようとすると
右に 和洋折衷らしき建物
会社らしきだけれど
個人宅になってましたね
ベトナム料理屋なんて出来そうな(笑)
調べると銀行だったらしい
不動通の粘り腰なレトロ
酒屋なんですが
The昭和でよろしい様で
窓が時代を押さえてます
看板建築
塀にも個性が
花小金井江戸建物園に
保存しても良い様な建物(爆)
パロティー版 有れば良いですね
こちらもね
窓が似てるでしょ
こちらは大正を意識してたかもね
残念なのは円が突起してないと(笑)
おじいちゃんが営む
自転車愛して 修理してる
4件 並んで
古本屋の専門家に
見て貰わないと
判断が付きませんね(笑)
土地は現代の領域だが
江戸時代も間口が狭く細長かった
江戸の税金の問題が有ったらしい
その先の宿は現代乱れてます
さて 大変な物を発見して(偶然)
仕切弁が並んでるだけじゃないかと思うでしょ
この時点では分かりませんが期待が有るのです
細い道になってますが私道なのか?
戦後の傷跡の名残で名義人が行方不明なのか?
細くて迷路になってて
走行不可能気味
自転車を降りて歩きだしました
全く ラビレンス な迷路
井戸が残されてましたね
ピンポンです
お家に来ないと言われて見たいです
お洒落だたんですよ
懐かしい家を抜けると
ここは共同 水場だったことでしょう
先の道細いでしょ
こんな感じで一角が続いてるんです
昔は長屋群だったと思います
一様川本ポンプ調べました
現在 存続してる会社でしたね
大正8年 創業
このポンプには
あまり価値が無かった様に
思えます(笑)
レトロポンプなんです
400mの散策は終ります
たった400mでも濃いです(笑)
仲宿が見えて 疲れたので終わりに
横に走ってる道は王子新道
石神井川に当たりますが
そこに加賀藩下屋敷が有った場所です
しかし 江戸時代にこの道は無かった
旧中山道 道幅は当時と同じ
十字路は無かった
守りなのかもしれない?
参勤交代が休む場所でも有るからね
今度は 100m散策で
出たとこ勝負の
散歩達人になりたい(笑)
イミフがさく裂するだろうな(爆)
★ オマケ
3月31日 サクラ情報
飛鳥山公園は桜まつり
咲いて無いのにね
サクラにフェイントかけられてね
さて来週の日曜日はどんな感じなんだろう
昭和を感じるんだけれど(笑)
司会者が後 3か月で
天下を取ると(笑)
本人いるよ
こんな商売やってたんだね
もう50歳になってしまったんだね
写真より現物の方が良い男だよ
荒川赤羽桜堤緑地
咲いてる桜は染井吉野ではない
火曜日から水曜日に咲く事でしょう
春に向けて 荒川を走って
体力を回復する様にね
歳だから出来るかな~
シュワッチ!