指の感覚が無くなる程の寒さで
中山道を走らせて来ました
中山道 3番目の一里塚に着きました
横の木造建物は昭和8年
来たのなら
見る価値は有ると思います
今回 グーグルマップにより来てます
志村はそう広くないエリアです
志村坂上と言う地名が有る程に
もっこりとしたエリアなんです
一里塚が山の頂点で有り
休憩場と言うのも 分からないでもない
私も休憩してますし(笑)
少し先 左折 城山通りに入ります
もっこりしてるから 城と言うのも理解出来ます
せっかくだから 一発 レトロ
パチ屋です(笑)
城 歴史をここで学ぶのなら
花の慶次 ですね(爆)
真っすぐ行くと
下ってしまう手前
森が見えますよね
熊野神社です
細長くなってます
直ぐに志村城跡
そうこの地名は 志村ケンじゃなくて
志村氏の名から取ってるのです
横に荒川 そしてもっこり山
守りやすい地形になってるので
だいじょうぶだと言ってたはず(爆)
志村氏は練馬区の豊島一族の系列です
最後は 北条氏により落とされてます
大丈夫じゃなかったんです
先ほどから写真曲がってるよね
寒いんです(笑)
真っすぐ行く
狛犬様は小ぶりで時代を感る
奥は森になってますよね
ご神木はイチョウ
板橋区の名木でしょう
ふと横を見ると
初めてな感覚
絵馬殿
江戸時代までの絵馬
色々 絵馬が飾られて
後方の森は古墳地帯でも有り
白の土塁なども残されて
出直しですね(笑)
この様に崖
先は 荒川の高島平
徒歩40分ぐらい
そこに沖山遺跡
エリアに富士塚
縄文 城 富士塚は重なるんです
少し 走らせて 延命寺
見次と書かれてます
志村城をめぐる戦いで自分の子供が討ち死にするのを
目にした見次権兵衛が、世の無常を悟り自らの屋敷を寺とした
家臣です
延命寺
一度来てます
この為に
板橋の心使い
珍しい庚申塔様です
1647年 かなり古くて原型がまだ表れてません
見ても分かりません
綺麗な鐘ですね
灯籠
なんだか分かりますか?
分かちゃいけないのです
不思議な文字
横にすると
分かる人には分かる
隠れキリシタン文字です
分からない文字だから
怪しまれると思うのだけれどね(笑)
志村延命寺板碑群
1252~1516年台の21の碑
かなり薄い碑です
分からないけれどその時代の
文字なんだと想像したら良いですね?
心にも見えだし ミッキーにも見える(笑)
なんとなく優しさも感じる
下に降ります
このぐらい高度差があるんです
急な坂ですよ
見次公園
先ほどの人の名ですよね
板橋区 唯一手漕ぎボートと書かれてました
ハウスは有るけれどボートが見当たりません
釣り人は結構いますね
湧水 流れてませんね?!
田園地帯だったそうな
先ほどの延命寺に
米将軍吉宗公が
鷹狩で寄ったと記されてます
鷹じゃなくて米チェックなのかな(笑)
横に温泉
吉宗公 残念でしたね(笑)
お宝がここに眠ってたんです
朝食する程
早く 散策でしたね
体の固さをほごします
もみもみです
では
✂
前回 弱気なブログと言われて(笑)
どうせ死ぬのなら
全面的にパワーを出して
自画パステル画をデジタル変換
30年の月日を経て眠ってた
思いだけ残し
ユニバーサルラブ
過去の自分を含め
仲良くなればいいな
私の趣味は 自分の精神
パステルの色を保って
森にはビックマウンテン
全てに鼓動を感じ
全ての生き方を愛してる
(様な事を言ってる 思える)
これを チョイスした
音感は一つの波動
世の中 理解不能だらけで
自分も理解不能の時有りて(爆)
まして人の事は宇宙旅行の様な(笑)
世の中の未来はストレスで
作ってるかもしれない
志村延命寺板碑群の様に
出来るだけ 穏やかに生きたいです
己の宇宙船の操縦席には
イエス&ノーのスイッチしかない