13日は飛ばさせて頂き…
【4月14日 月曜日】
夕方まで録画していた番組を視聴して
駅前へ。
で、駅前の松屋で牛丼を食べて、
ドトールでブログを。
20時頃「陰日向に咲く」を読み、
21時頃、読了。
「陰日向に咲く」
一度この作品は読んでいたものの、
一度目の時よりも面白く読めた気がしたのです。
不思議と、小説や映画はその時の環境や気持ちで受け取り方が変わってくる気がします。
〝その時の気持ち〟
そんな漠然としたモノに操られているなんて馬鹿げてはいるのですが、なぜかその〝気持ち〟にボクは毎回振り回されるのです。
たしか、「陰日向に咲く」を一番最初に読んだのは、ボクが殿に弟子入りをする少し前だったと思います。
その頃のボクは、弟子入り志願のために週に一度の出待ちをするだけの日々を送っていたのです。
「こんなことをしてて、本当に意味があるのかな?」
そう思わない日は一度もなく、毎日がどうしようもない無意味なモノに思えてしまっていた時期でした。
そして、その頃に読んだ本は今になって読み返すと全然覚えていなかったりすることが多いのです。
それはきっと、その頃のボクはすべて自分の人生に殿を繋げていたからだと思います。
たしか、「陰日向に咲く」を読んだ理由もまたこんな理由だったと思うのです。
「劇団ひとりさんは〝たけしさん〟のことが好きだから、何かしらのヒントがあるかもしれない」
そんな気持ちで小説を読んで、頭に入るわけがないのです。
そのせいか、「陰日向に咲く」を読み返して覚えていたのは、浅草のシーンだけでした。
きっと、その浅草のシーンを読みながら当時のボクはこんなことを思っていたのだと思います。
「あ、これは〝たけしさん〟の精神に繋がるかも?」
そんなことで繋がれるのであれば、誰だってそうしているはずです。
ですが、ボクはその当時そのような方法しか知らず、ただただ繋がりを求めて意味のない読書を繰り返していたのです。
〝環境やその時の気持ちで、受け取り方は変わる〟
そんなことをしみじみと感じながら、ボクは「陰日向に咲く」を読み終えたのでした。
そしてそんなことを思ってか、なぜか読み終わった今でもこの作品を鞄に忍ばせている自分がいます。
みなさんは、本を読んでいてその頃のことを思い出したりすることはありますか?
では。
この日見た番組などなど。
「ざっくりハイタッチ~打ち上げ」
「ブラマヨのアツアツ~未公開」
「ゴッドタン飲み姿可愛いGP」
「爆笑問題のツーショット」
「前略、月の上から」
「ガキ使~さよなら月亭方正」
「めちゃイケ~大島優子卒業旅行」