源氏は部屋に入ると、布団の上に女を抱き下ろした。
源氏が膝を詰めると、女はパッと背を向けて逃げ出そうとした。
が、瞬時に後ろから抱きしめられた。
さっきから暑さのせいばかりではない汗をしきりにかいて、衣が肌に吸いついて気持ち悪かった。
が、それを脱いでしまうことがあってはならないと、源氏の腕の中で身を固くした。
「こぉら…っ」
甘い叱責とともにギュッと抱きしめられた。
男の力にかなうはずもない。
源氏は女の肩に顎を乗せ、
「どうして逃げる?…どうして私の気持ちをわかってくれない?」
と女の耳元で囁いた。
「…とても真実とは思えません」
「信じられない?」
「はい。…どうか…お戯れは…」
「戯れではないと言うのに…」
女は胸に回された源氏の腕を掴んだ。が、離そうとしても、離れない。
「どうして…わかってくれぬのだ…っ?」
源氏の熱い息が女の耳にかかった。
温かく包み込むような抱擁と、拗ねた子供のような物言い。
源氏は心の底から女を求めていた。
自身の虚無を埋めてくれるものを求めていた。
「こんなにもあなたを求めているのに…受け入れてくださらないとは…寂しいことだ…」
抱きしめている腕が緩んだ。
女は少し体を離して、源氏を見た。
源氏は目が合うと、すっと視線をそらせた。
俯いた横顔の美しさ。
この美しく最高の身分にある完璧な男が、何故このような寂しげな顔をしているのだろう。
女は憑かれたように源氏に見入った。
大胆な行動に出られ、そのまま強引に奪われると怯えていた。それなのに、自分が拒むと、源氏は手を緩めた。
男らしさと子供っぽさがこの男の中には同居している。自分は誰もが憧れる光源氏だと自信に満ちているかと思うと、案外そうでもないようで…。
もし、自分が受領の妻に身を落とす以前なら、高貴な身分のままであったなら…
たとえ入内が決まっていようとも、このように出会ってしまったら、きっと私は…
この方を拒めはしない。
けれど、私は受領の妻…。
「…どうか…お許しを。私のような身分の者にはそれなりの生き方がございますゆえ…」
たとえ受領の妻に身を落としても、戯れに男に抱かれるような辱めは受けたくない。
「身分…?」
源氏はゆっくりと顔を上げた。
「身分の違いが…なんだ。…夫がいるから…どうだというのだ…っ⁈」
女はハッとして源氏の顔を見つめ返した。
源氏の顔は苦悩に歪んでいた。
これは…この目は、運命に苦しめられている者の目だ。しかし、一体どんな運命がこの方を苦しめているというのだろう…。
運命に…苦しめられている…?
だとしたら、それは、私も同じだ。
父が亡くなり、身分を失った。華やかな後宮の生活に憧れていた。帝に寵愛されるために育てられて来たのに…しがない受領の妻に身を落とし…。
せめて一夜の夢を見ようか…。
高貴な娘であった頃に戻って、この美しい光源氏と呼ばれる貴公子と…。
女は、まるで吸い寄せられるように源氏にもたれかかりそうになり、ハッとして身を立て直した。
が、源氏は女が見せた隙を見逃さなかった。