三宅健が二次元的に好き | 上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

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V6の三宅健と森田剛と岡田准一をイメージしたイケメン教師が、今どきの女子高校生たちと繰り広げる学園ドラマ。ドラマの進行の合間に出てくるけんちゃん先生の古典講義は勉強にもなる?

拗らせが流行ってるみたいだけど…拗らせってのは、溢れる愛の受け皿を見失って迷走することなんだろうか、と思ったり。


さて、

自担は恋人にはどんなふうに接するんだろう?

と想像するのは、ちぃと甘酸っぱいアイドルの楽しみ方で、私はわりと好きなんだけど、V6の場合、甘酸っぱい通り越して、胸がチリチリしちゃうメンバーが過半数になりました(・・;)(拗らせもするわそりゃ)


恋をするなら坂本昌行
恋をするなら三宅健
恋をするなら…以下ギルティ。



恋をしても報われないのは同じなのに、妄想はプライベートに左右されます。


妄想のバカバカしさは同じなのに、やはり、プライベートによって、輪をかけてバカバカしくなります。よって、妄想を純粋に楽しめなくなります。(あくまで私の場合)



私のV活の80%は妄想すること、アウトプットです。20%のインプットから、膨らむ虚像と夢物語。それが楽しい。

これ完全に一人遊びだよね。

片思いって、一人遊びだもんね。


私には、健ちゃんはとても遠い存在で、それでいいのです。私、見る側。健ちゃん、見られる側。


二次元的に好きっていうのは、自己中心的に好きってことなんだと思うの。


だから、私の健ちゃんに対する思いは、すんごい自己中。笑


実は、私には健ちゃんを応援するっていう気持ちはあんまりないのだ。


剛くんの言葉じゃないけど、お前ごときに世話してもらわなくても云々ってやつですよ。私ごときが応援しなくたって三宅健は輝き続ける。



私は自分のために健ちゃんを鑑賞し、健ちゃんを分析し、健ちゃんを妄想し、健ちゃんを味わう。


だから、アイドルは消費される、という健ちゃんの認識が、私には、まさにその通りだと腑に落ちる。


突然ですが、人の最大の幸せは誰かの役に立つことじゃないでしょうか?

だから、私の価値観でいえば、健ちゃんはめちゃくちゃ幸せな人なのです。


仕事では、私もそこそこ身を削って人の役に立とうと頑張ってるので(消費されてるってか消耗してる。すんごい消耗してる…。←ここで吐露するな)、

健ちゃんに対しては完全に消費する側でいさせてくだされ。←誰にお願い?


前に健ラヂで、アニメオタクのマネージャーさんが、「二次元は裏切らない」って言ったのに対して、健ちゃんが「裏切らないって、そもそも、何も始まってないから」って突っ込んでましたけど、

アイドルとファンも何も始まってないからな!(健担はなさんもそう書いてた)

しかも、何も始まってないのに、裏切られることはあるのが、三次元なんだよ〜!

結婚が裏切りとは言いませんが、そのほかにも色々傷つくんですよ!勝手に裏切られたような気持ちになるんですよ!


勝手に好きになって
勝手に傷つく

からの〜

拗らせ⁇(・・;)


でも、アイドルは一般人じゃないからね。

こっちが勝手に好きになったかもしれんが、

仕事とはいえ、十分思わせぶりな態度を取ったのはそっちだからな!←何の挑発?


何が言いたかったんだろう…。


あ、そう。結論、二次元的に好き。だから彼氏きどりメールとかに戸惑う。←


二次元的に好きなのは、生身の健ちゃんに対して失礼な気もしてる。


なんかアイドルって、切ない。アイドル自身も、ファンも、相手を縛れないから。愛で繋がってるのに、完全に精神も肉体も自由だから。


たくさんのファンが健ちゃんを通り過ぎていく。


健ちゃんは、誰も拒まず、迎え入れて、夢中にさせる。そして、ずっと変わらず頑張ってても、離れていくファンを引き止めることはできない。


アイドルとファンはとっても自由な関係。


だからこそ、古参のファンをうんと大事にして欲しいなと思うよ。余計なお世話ですが…。