SDGsと経済:「支払い猶予」実施の裏付けとなる、日銀の「最後の貸し手」機能 | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

SDGsと経済:「支払い猶予」実施の裏付けとなる、日銀の「最後の貸し手」機能

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない、現状の日本経済の持続可能性をいかに保持するかについて、いろいろと考えを巡らせています。

 

無論、経済といっても人命に勝るものはありませんので、人命最優先を前提とし、そのうえで経済的停滞による国民の不幸をいかに回避できるかについて以下に論じます。

 

あらゆる経済活動の停滞から売上が減少して、倒産・破産のトリガーを引く大きな要因のひとつは、例えば企業・商店や個人事業主などの「家賃」でしょう。

 

営業がストップして日々の売上がなくなっても、コストの多くを占める毎月の家賃支払い期限は必ずやってきますので。

 

もしも、「家賃だけでも支払い猶予(モラトリアム)ができれば、まだ事業継続が可能なのに…」という事業者は少なくないと思われます。

 

その意味から、いま一部でアイディアがでている「家賃支払いモラトリアム法」は十分検討に値する危機回避策のひとつだと思われます。少なくとも「一世帯にマスク2枚の郵送」(これはこれで一定の効果はあるでしょうから否定はしませんが)よりは多くの国民を安心させる効果があるでしょう。

 

しかし、この議論で重要となるのは、「最後の貸し手を誰がやるのか」ということです。

 

例えば、家賃支払いモラトリアムが認められたとした場合、

【賃借人(借主)の支払い猶予を認める】→【賃貸人(大家)が資金繰りに窮す】→【家賃が入金されない賃貸人(大家)の資金繰りを金融機関が支援する】

 

とここまではよいのですが、その後

→【賃貸人(大家)の支援をした金融機関の資金が逼迫する】→【金融不安を惹起し、これが拡大】

となったら大変です。

 

ですから、この「不払いのドミノ」は、誰かが最終的に信用供与(一時的な肩代わり)をして止める仕組みが必ず伴わねばなりません。

 

現状にかんがみると、こうしたモラトリアムの連鎖で、民間金融機関のバックで資金を肩代わり供与するのは、第一義的には政策金融機関すなわち日本政策金融公庫などの政府系金融機関とすることが妥当と思われますが、その公庫も莫大な肩代わりの資金を必要とします。

 

当然、財務省から公庫には、財政投融資資金が出ますが、今回の危機のレベルからして、それだけでは十分ではないでしょう。

 

その不足分は結局のところ、国債の増発により、私たちの将来世代から借り入れるしか方法はありません。

 

ではこの国債(国の借金)を誰が引き受けるのか。

 

国債売却がすべて金融市場においてで滞りなく行われれば良いのですが、世界同時不況の現在、胸を張って「絶対に大丈夫!」といい切れる状況では必ずしもなくなってきました。

 

となれば、結局のところ、事実上の日銀による財政ファイナンス(国債の直接引き受けもしくはそれに近いかたちでの引き受け)にならざるを得ないでしょう。

 

ただ、財政ファイナンスは、中央銀行の健全性を大きく損なうことは必至で、その中央銀行が発行する通貨(つまりお札=JAPANESE YEN)の信用を大きく棄損しかねないという問題を孕んでいることはいうまでもありません。財務省が金融市場で売りにくくなった国債を、無理やり日銀に買わせることになれば、日銀の体力を奪うことになるのは火を見るより明らかです。

 

他方で、もう一つ問題があります。モラトリアムの連鎖で銀行や信金などの金融機関から借り手に大量の支援資金がもたらされた場合、その金融機関の信用状態が不安定化するリスクがあるのです。その場合には、国債発行で得た資金を政府系金融機関(公庫)経由で銀行・信金等に供与する、という手順を踏んでいる暇はないかもしれません。

 

こうしたケース、すなわち「金融不安」発生による信用制度の維持が必要な局面ということになれば、これは「もはや日銀しか資金の出し手はない」ということになり、日銀が直接、当該金融機関に融資を発動することになるでしょう。こうしたケースも全くないとは言い切れませんので、日銀自身も日頃からこうした事態には備えていると思われます。

 

このように、いずれにしても「最後は日銀」であり、日銀が「最後の貸し手」にならないと、この危機に際しての「モラトリアム政策」は実効性を持つことができません。

 

普段から、統合政府論などといって「政府と日銀の財務を一緒くたに論じてしまえ」という人がいますが、政府から独立して金融政策を決定する建前になっている日銀自身が、健全な財務状況を保持しておかないと、こうしたときに通貨=日銀券の信用すなわち価値が低下し、信用制度の維持ができなくなるというリスクは考慮しておかねばなりません。

 

すでに日銀のバランスシートは、「非伝統的金融政策」と呼ばれる、「株(ETF)や不動産(REAT)の大量買入れ」(本来ならば市場調節によって金融安定化を図るべきところ、窮余の策として実施された、前例のないいわば「禁じ手」です)と、その後の値下がりによる評価損により、相当程度傷んでいます。

 

それゆえ、そもそも上述のような危機対応の際の「最後の貸し手」機能が、万全ではないのではないかと疑問を投げかける市場関係者や専門家も皆無ではなくなってきています。

 

以上から、上述の危機管理手法としての「家賃支払いモラトリアム」の有効性は、最終的に「日銀次第」という側面が大きいので、打ち出の小槌のようにはいきません。

 

日銀の財務健全性が維持されることを前提とし、市場動向をみながら、「おっかなびっくり」の体で発動しなければならないのが現実の姿ということを念頭に置きながら、この危機をいかに回避するかの議論は進めるべきだと思います。