日産「ゴーン事件」の意味するもの | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

日産「ゴーン事件」の意味するもの

前回の本ブログでわが国におけるコーポレートガバナンス改革の重要性について書いたばかりというタイミングで、日産自動車の「ゴーン事件」が発覚した。日本を代表する世界的製造業たる日産自動車にして、かかる体たらくであることを踏まえると、日本の企業セクター全体のガバナンス改革のレベルなどまだまだ「日暮れて途遠し」ということはまことに残念ながら否定できない現実であろう。

とはいえ起こってしまったことを今更悔やんでも仕方がない。この教訓に満ちた事案から得られるものを経営者はもとよりリーダーシップが求められる多くの人々が咀嚼し、あるべき姿を共有することにより日本のガバナンス改革を加速させる一助とすることが重要ではないだろうか。

本事案は現時点で未だ不明な点が多く、様々な立ち位置によって多様な解釈が可能なものだが、日本のコーポレートガバナンスという観点からみれば、「最高経営責任者による内部統制の無効化」の典型事案というのが本質であることはほぼ間違いあるまい。

そして、容疑者による内部統制の無効化は、不正が行われてからかなりの時間を要しながらも、内部通報制度に基づく従業員の通報という「内部統制ツール」により顕在化することとなり、その処理が司直の手に委ねられたものである。したがってこれは、容疑者により相当程度蝕まれていた内部統制が、完全に死滅する一歩手前で何とか踏みとどまり、機能を回復した証左であるといえよう。

そもそも本件は、ゴーン容疑者が瀕死の日産の経営梃入れに鳴り物入りで参画し、欧米型経営を実践する形で果断なリストラを行うことにより4年間で2兆円の有利子負債を解消したことに端を発している。その手法には当然、賛否両論あったが、その後の日産の業績回復や株価上昇により批判は吹き飛ばされ、彼は一躍「中興の祖」と崇められるに至った。

ここまでは良かったのだが、その後、同社は内部統制を喪失していくこととなる。「中興の祖」の企業私物化に対し正面からNOと言える環境はなく、畢竟、彼は「裸の王様」化、徐々に内部統制が無効化されていったものと解される。

本件を「社内クーデターに過ぎぬ」とか「権力闘争の派生」と捉える意見もあるようだが、あくまで「上場企業の適切なガバナンス」という公益を第一とするならば、これらの批判はナンセンスと言わざるを得ない。本件発覚の端緒となった内部通報や監査役による問題提起、これを受けた内部調査と捜査当局への協力は、これまでの情報を総合する限り適切に行われており、これらを実行した当事者たちの「動機」をあれこれ詮索しても仕方がないからである。あくまで違法は違法、不適正は不適正なのである。

いずれにせよ本事案は、「適正なコーポレートガバナンスとは何か」を考える最良の教材となる可能性を秘めており今後の展開から目が離せない。静かにその帰趨をみつめていくこととしたい。