LGBTと国会議員の「生産性」 | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

LGBTと国会議員の「生産性」

杉田水脈・衆議院議員による「『LGBT』支援の度が過ぎる」との雑誌上での主張が議論を呼んでいます。問題となったのは、「新潮45」(新潮社/2018年8月号)に掲載された寄稿文で、彼女は同誌において「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」などと自説を展開しました。

わたくしはこの件について、細かい議論をするつもりはありませんが、杉田議員はそもそも「生産性」という言葉の意味をよく知らずに使っているように思われます。

 

どのような方であろうが、少なくとも働いていれば何らかの形でGDPに寄与しているので生産活動に無縁などと言えるはずもないでしょう(そうでなくても寄与しているケースは少なくない)。

 

今回の寄稿文のように、特定の性向を持った人たちだけを生産性と結びつける議論は余りにも稚拙としかいいようがなく、このような方が国権の最高機関の一員をなしていることは残念です。

 

本件は、むしろ国会議員の生産性を問題にすべきだと思います。


国会議員は立法者なので法律を作るもしくは改正することにより、社会厚生を向上させることと、三権分立の中で内閣と裁判所に立法府としての監視機能や牽制機能を発揮すること、これが必須の業務です。これらがしっかりと実行されなければ歳費・諸経費の支給を受ける資格はないのです。


因みに経済的には、国会議員にかかる費用はGDPの政府支出にカウントされますが、これは一度決まればほぼ一定なので、彼らの「生産性」はこの一定のコストの下で、どれだけ上述の機能を発揮することができたのか、ということで決まります。
 

それゆえ、杉田議員はLGBTの方々の「生産性」を持ち出して騒動を起こしているヒマがあったら、自身が立法府構成員としてきちんと「生産性」を備えた活動をしているかに思いを致し、納税者に対する説明責任を果たすよう行動を改めるべきと申し上げたいと思います。