前途多難な企業のガバナンス改革 | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

前途多難な企業のガバナンス改革

最近発覚した日本郵政の豪州企業買収に伴う巨額損失発生問題にとどまらず、東芝の粉飾決算問題、電通の新入社員過労死自殺問題、三菱自動車の燃費偽造問題、はごろもフーズの異物混入問題等々、リーマンショック以降だけをみてもわが国の企業経営を巡る重大な不祥事案はまさに枚挙に暇がない状況である。

 

そこにきて今般、企業のガバナンス強化の流れを受けて様々な取り組みがなされてきているにもかかわらず、「結局のところ、こうした取り組みはうわべだけ、画餅に終わっている」との厳しい指摘を覆しえない残念なデータが提示された。

 

すなわち、3月に公表された民間信用調査機関の東京商工リサーチの調査によれば、2016年(1-12月)に「不適切な会計・経理」を開示した上場企業は57社(58件)にのぼり、これまで最多だった前年の52社(53件)を5社(9.6%)上回り、リーマンショックのあった2008年以降で最多となったのである。

 

足許の不適切会計の開示企業社数は2013年から4年連続で増加を辿り、社数・件数とも調査開始(2008年)以降最多記録を更新中である。

 

調査開始(2008)年の25社(25件)に比べ、2016年の事案数は2.2倍増となっており、なかでも東証一部企業の増加が顕著。その背景には、コンプライアンス意識の欠如、知識不足(複雑化したルールへの不適応)、従業員への過度なノルマ追求等がある一方、ガバナンス強化に伴う問題発覚件数の増加といった側面があることも指摘されている。

 

これらの企業不祥事を内容面からやや仔細にみると、経理や会計処理ミスなどの「誤謬」が25件(構成比43.1%)で最多となっており、これに次いで、「売上の過大計上」や「費用の繰り延べ」など、営業ノルマ達成圧力に起因するとみられる「粉飾」が24件(構成比41.4%)という状況であった。

 

また、子会社・関係会社の役員や従業員による「会社資金の私的流用」、「架空出張費計上による着服」など、役職員個人による不祥事もあり、子会社・関連会社への厳格な監査や内部通報体制の確立が課題となっていることも浮き彫りとなった。

 

2015年5月に東芝の粉飾決算問題が発覚し、開示資料の信頼性確保や企業のガバナンス強化が叫ばれる中、金融庁と東京証券取引所は上場企業が守るべき行動規範を2015年6月に「コーポレートガバナンス・コード」として公表、体制強化を求め、企業側もコンプライアンス意識の徹底はじめ、社外役員の登用、監査役(会)の機能強化、内部監査体制強化、三様監査の充実、内部通報体制の整備等々の取り組みを進める動きが活発化してはいるものの、いまだ十分な成果をあげるには至っていない。

 

事実、企業サイドは、ガバナンスとリスク管理強化を進める必要性に迫られつつも、株主が求める業績拡大・利益追求から解放されるはずもなく、むしろ目標達成圧力は四半期決算の導入等もあってさらに高まる一方である。それが行き過ぎれば、コンプライアンス違反の温床にもなりかねないことは想像に難くない。

 

加えて適正な時価会計や連結会計などには高度な知見が要求されるのも事実であり、人手不足の拡大とも相俟って十分な対応が取れず、それらが結果として不適切な処理を生じさせるリスクとなることも指摘されている。

 

こうしたことから当面は、ガバナンス強化からくる不祥事案の掘り起こしに伴う不祥事件数の増加が一定程度続くものの、その後は、体制整備の浸透により徐々に不祥事案が減少していくことを期待するよりほかないのかも知れない。


最近の一部上場企業を中心としたガバナンスの欠如(というよりもむしろ崩壊というべきかもしれない)はまさに目を覆うばかりのものだが、どうも当事者たる企業(経営者)には必ずしもその自覚がないようである。

 

というのも、これまで当局サイドでは、企業の情報開示やガバナンス強化を名実ともに担保するために、コーポレートガバナンス・コードの導入など、グローバル投資のマインドを意識した改革を進めてきてはいるものの、当の企業側(経営者)にはそれに正面から向き合おうとの姿勢が見受けられないからである。

 

その典型は、まさに昨今の東芝事件とそれへの当事者の対応に集約されるといえよう。

 

東芝は、第3四半期報告を2度にわたり延期しており、その理由を「監査人との見解の相違」(2015年に行われた米原発子会社ウェスチングハウスによる買収時の内部統制の不備が指摘され、買収時取得価格の配分に関し上層部からの不当な圧力があったとする内部告発の存否を巡る認識にずれが生じている由)とし、結局、監査人からの四半期レビューに対する適正意見が出ないという上場企業としてあるまじき事態を招来した。

 

この事態を受けて東芝は、「意を尽くし必要な情報を監査人に提供して何とか適正意見を得ようと努力する」のではなく、逆に「自分の言う通り適正意見を付してくれそうな準大手監査法人へと監査人を変更することと、監査基準を国際基準から国内基準にシフトする」という姑息な途を模索し始めてしまった。

 

既に前事業年度が終了してしまっているタイミングでの監査人と会計基準との同時変更は当然、常軌を逸したものであり、時間的・能力的に十分な監査など不可能ではないかという疑念が噴出するもの当然であろう。かかる開示制度の原理原則(規制に従うか、もしくは十分な説明を尽くすか)にもとるような対応を当局やマーケットが野放しにするはずもない。

 

仮に東芝が、この姑息な「変更」により名目上の「適正意見」を得ることができたとしても、その見返りに、実質的に当局や市場からの信認を決定的に喪失しかねないことは自明であり、それゆれ適正意見を唯々諾々と出すような監査人が容易に現れるとも考え難い。

 

また、決算報告に代わって公表した「見通し」で、日本企業として歴代2番目の規模の巨額赤字(9500億円)を出し、事実上の経営破たんを意味する「債務超過」(債務超過額5400億円)に本決算ベースで陥ったことも深刻である。企業として死に体であるにも関わらず、監査基準と監査人を変えて名目上の体裁を繕っても、決算見通しが債務超過では何の説得力もないのである。

 

さらに、その債務超過解消の切り札となる筈の半導体メモリー事業の売却手続が暗礁に乗り上げていることも本件の見通しを絶望的なものにしている。

 

このように、事実上倒産の状態において、本来あり得ない異常事態が続く現状であるが、その要因は、かかる「死に体企業」をあたかも健全企業であるかの如く扱う日本のビジネス慣行にもあるといえよう。

 

事ここに至っては、事態を一刻も早く収拾するために、まともな決算発表すらできない東芝を速やかに上場廃止にするとともに、適切な破たん処理を断行する、正当なミクロ的対応により、わが国全般のマクロ的な企業統治が依然として健全性を保っていることをしっかりと内外に示すこと以外にもはや途はないように思われる。

 

それにもかかわらず、(これはもはや病気というべきか、企業風土に染みついた意識なのかもしれないが)、これほどの瀬戸際にもかかわらず、未だ東芝の経営陣にはその緊張感が窺えないどころか、まだ何とかうまく誤魔化して乗り切ることができると信じているがごとき仕儀には驚きを通り越して呆れるばかりである。

 

「カバナンス強化」などと声高に叫びながらも、わが国のそれは現状、残念ながら「日暮れて道遠し」としか言いようがない状況に陥ったままなのであり、日本の企業セクター全体におけるマクロ的なリスク管理や内部統制に世界的な疑義が注がれつつある今、手を拱いている暇などない。