ノスタルジーを超えた中期戦略を | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

ノスタルジーを超えた中期戦略を

(以下は、池田健三郎が所長をつとめる大樹総研[大樹リサーチ&コンサルティング]の機関誌14号掲載コラムです)

2020年五輪・パラリンピックの開催地がわが国の東京に決定したことは、閉塞感に喘ぐ日本にとって朗報であり、これは率直に喜びたい。

ただ、五輪・パラリンピック開催が単なる「お祭りの誘致」や「インフラ投資を正当化するための拠り所」と位置づけられるのではなく、最も世界から注目を集めるイベントを滞りなく開催しなければならないという、ある種の「外圧」が、現在の日本が抱える問題解決の加速化のために適切に活用されることを切に願う。

アルゼンチン・ブエノスアイレスにおけるIOC総会で行われた、委員向けプレゼンテーションにおける安倍総理の発言、すなわち「東電福島第一原発は"under control"(制御下にある)であり」、「何の問題もない」という重い言葉は、これで否応なしに全世界に共有されてしまった。一国の宰相のこの発言はきわめて重い。

これをもって「7年後までに五輪・パラリンピックを開催するに懸念がまったくない状況」を本当につくり上げるということが紛れもない「国際公約」となったのだから、もはやこの問題で手を抜くことは許されなくなったと覚悟すべきである。現状のような、「じつは原発がどうなるのか誰もわからない状況」が7年後も続いていたら、日本に対する国際社会の信認はまさに地に堕ちるであろう。

「今さえよければいい」という、超近視眼的思考に陥りがちの我々日本人も、これでさすがに「7年後」という中期的な視野を持って行動せざるを得なくなったのは、これまでにない環境の変化といえなくもない。

五輪といえば、前回1964(昭和39)年の東京五輪開催当時は、わが国は未だ発展途上国であり、まさに高度経済成長の真っ只中であった。

例えば1959年(昭和34年)4月20日に着工した東海道新幹線も、東京五輪開会直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業に漕ぎ着けており、こうした五輪を梃子にしたインフラ整備や消費マインドの向上が次々と好循環をもたらし、日本経済を活気づけたことは事実である。

それゆえ今回、日本における2020年五輪開催という報を受けて、何とも言えぬノスタルジックな感慨を感じた向きも少なくないであろう。

だが、ノスタルジーそれ自体は悪くないとしても、1964年当時のモデルをそのまま次期五輪に当てはめようとするような着想が現実になることがあれば、その進歩の無さには愕然とせざるを得ない。

というのも、この点については論を待たないであろうが、前回五輪と次回五輪とでは、日本が置かれている環境がまったく異なるのである。それにもかかわらず、足許の動きをみていると、莫大な予算を要する高コスト型の新国立競技場の新設が平然と提示されたり、はたまた新インフラ整備としてリニア・モーターカーが俎上に上ってきたりと、さながら前回東京五輪前の焼き直しの様相を呈している面があることは、些か引っ掛かるところである。

現在の日本は、人口減少社会であり、すさまじい勢いで高齢化が進行し、社会保障負担が兆円単位で毎年増嵩していくなかで、いかに生産性を高めて効率よく経済成長を成し遂げるのか、これまでに積み上がった公的債務をいかに圧縮し、国際公約として今日なお生きている「2020年度までにプライマリー・バランスの均衡化」にアプローチするのか、といった、かつてない困難な課題が山積しているのであって、それは人口ボーナスと高度経済成長に支えられていた前回五輪当時とは、真逆といってもよい状況である。

とすれば、今後われわれが2020年を見据えて取り組むべきことは、おのずと見えて来よう。

まずは国を挙げて、東電福島第一原発問題を文字通り“under control”の状態に一刻も早くもっていくことであり、これと並行して、中期的な視野に立ち、生産性の向上を図って経済成長を促しつつ、適切かつ現実的な財政運営(当然ながら増税や社会保障の切り下げも視野に入れざるを得ない)を通じて将来にわたる財政面の不安を払拭し、日本の持続可能性をより確かなものとすることではないだろうか。

今回のIOCの英断は、われわれ日本に、真の復興と持続可能性の確保に向けた試練と最後のチャンスをくれたと考えるべきであり、前回五輪のノスタルジーに浸る余裕などないと識るべきであろう。


大樹リサーチ&コンサルティング
取締役所長 池田健三郎

※文中の意見にわたる部分は筆者の個人的見解である。