東京都知事選挙とは何か | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

東京都知事選挙とは何か

(以下は、2月1日発行「大樹グループ マンスリーレポート」掲載コラムです)


読者が本稿をお読みになるときには既に選挙戦の真っ只中という状況であろうと推察されるが、やはりわが国の首都である東京都の知事選挙について一言述べておかないわけにはいくまい。

マスコミによれば、今回の都知事選挙は、国民的な注目度が高い小泉純一郎・元総理が応援する細川護煕・元総理の出馬表明によって、「脱原発の是非を問う選挙」としての色彩が強まっているようにいわれているが、本当にそうだろうか。

因みに東京都の地方政府としての予算規模をみておくと、一般会計・特別会計・公営企業会計をあわせて12-13兆円(一般会計だけで6.3兆円)、都税収入4.3兆円という規模である。これは世界的に見ても巨額であり、東京都を一国に擬えるならば2012年ベースの比較でも、インドネシア(1392億ドル)、イラン(1312億ドル)、アラブ首長国連邦(1303億ドル)、フィンランド(1294億ドル)、アルゼンチン(1175億ドル)、ギリシャ(1087億ドル)といった諸国よりも大きな予算規模ということになる。

そもそも、こうした国々の国家予算に匹敵する財政をあずかる都知事を選ぶに際し、総合的な政策メニュー(マニフェストや政権公約等)の提示もなく、シングル・イシュー(単なる原発に対する賛否)と候補者の知名度だけで有権者に判断しろというのは大変乱暴な話である。前回の知事選に際しても、さしたる政策論争もなしに、ただ従来路線の踏襲というだけで判断してしまい、結局、「政治とカネ」の問題が早々に表面化して、巨額の選挙費用を無駄に費消することとなったのである。世界に冠たる東京都民としては、誰もこれと同じ過ちを繰り返す愚を犯したくはないだろう。

しかるに、都知事選の候補者とそれを担ぐ政党の体たらくぶりには目を覆いたくなる。主要候補者全員が65歳以上の高齢者であることは百歩譲って止むを得ないにせよ、候補者自らが能動的に世論に働きかけ、明確なビジョンとその実現のための具体的政策を提示して都政をリードしていくという姿勢がみられないのはどうしたことだろうか。

従来から選挙における公開討論会を企画・開催してきた(公社)東京青年会議所では、今回も都知事選の主要候補者を一堂に集めて公開討論会を開催し、全国に同時中継による動画配信を行って有権者意識を高め、政策比較や候補者の人となりの一端を知ってもらおうと、以前から開催準備を進めてきたところである。だが、「究極の後出しじゃんけん」状態で候補者がなかなか出揃わず、延期を余儀なくされたばかりでなく、延期後の開催に際しても、各陣営が「○○候補が出席しないならば、私も出席を見合わせる」などといった我侭を連発し、結局、討論会じたいの開催を断念せざるを得ないという事態に追い込まれた。断っておくが、これは、政治的なしがらみの強い、地方の寒村の事例ではない。世界に冠たる東京都の知事選挙でのエピソードなのである。

上述のとおり、前回、間違いなく東京都民は知事選びに失敗した。賢者であれば、二度と同じ過ちを犯さないようにしようとすることは当然である。であるとすれば少なくとも、これまでの教訓に照らし、金銭問題を抱える者は除外されなければなるまい、このほか知事として日々都庁に精勤できる体力がない者、総合的な都の政策体系を理解していない者、2020年五輪・パラリンピックまでその職務を継続できない者なども当然、不適格となろう。

さてそうなった場合、いったい誰を選ぶのか。1000万人以上の人口がありながら、タレントの人気投票のような低レベルの政治闘争に堕してしまい、いまや日本の自治体選挙では最低のクォリティとなってしまった東京都知事選挙をどん底から引き揚げる方法はないものなのだろうか。


大樹リサーチ&コンサルティング
取締役所長 池田健三郎

※文中の意見にわたる部分は筆者の個人的見解である。