最後(?)の事務次官会議 | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

最後(?)の事務次官会議

さまざまな政策のうち、1つの省庁だけの内部調整で事が足りるものばかりかというと、そうではなく、むしろ国民生活への影響が重大な重要政策ほど、その所管は複数省庁にまたがりがちなものです。


かつて私が日本銀行(事実上のお役所としての機能も持っています)国際局でOECD(経済協力開発機構)の担当をしていたとき、OECDから日本政府に対する質問状に回答する際には、その内容に「金融政策=中央銀行の専管事項」が含まれる場合には必ず外務省から日銀に連絡があり、その部分は日銀としての回答を作成して、取り纏め窓口となっている省庁に打ち返しをして回答書に盛り込むよう伝えます。


他省庁の所管事項に関する箇所には手出しをしない(できない)のが暗黙の了解で、例えば外務省が勝手に日銀が作った部分に直しを入れるということはできません。これがいわゆる「所管事項の縄張り」というものです。


このように担当がはっきりと分かれている事柄の場合には、各省庁に割り振ったものを、どこか1つの役所が最後にまとめてホチキスで綴じれば作業はOKです。しかし、複数の省庁をまたがる内容面での調整が必要な法案(しかも利権が絡む場合)などを作成する場合は大変です。


この場合、役人たちはこれまでどのように「縄張り争い」に折り合いをつけ、最終的に法案として閣議決定して国会に送るという手順を踏むのでしょうか。


まず、担当の課レベルで話がつけられるときには、課長補佐同士で電話やメールなどによって調整をつけますが、その際、口頭での了解では不安があるという場合には、課長クラスが「覚書」を交わしてお互いの省益を決して侵さないという合意を取り交わします。


さらに課長クラスまででは折り合いがつかない場合には、指定職(いわゆる高級官僚、国家公務員の一般職の中で民間企業の役員に相当する地位として、別途の給与体系が適用される人々)レベルでの調整になります。例えば審議官・局の次長クラスで折り合えばそこで調整は終わりますが、それでも揉めれば局長、なおダメなら事務次官まで上がります。


こうしたプロセスで、まったく法的根拠のない「覚書」が交わされることは上で述べたとおりですが、どのみち当事者はいずれも1-2年で交代してしまうのですから、「覚書」がその程度の拘束力でも、気休め程度の効力を発揮すればそれで構わないのでしょう。


こうした複数省庁にまたがる利害調整の最終的な機関として、官僚の最高峰といわれる内閣官房副長官(事務担当)が主催する「事務次官等会議」(「等」がつくのは、各省庁事務次官のほか、これと同格の警察庁長官・金融庁長官・消費者庁長官などが含まれるため)がこれまで公式な次官たちの「お仕事」として総理官邸で毎週2回(閣議前日である月・木)開かれてきました。


ここを通過しない限り、各省庁から出される案件は、絶対に閣議には上程されませんから、この会議の段階で、複数の省庁に利権や所管がまたがる案件は、すべて何らかの「交通整理」が終了していることが大前提となります。しかしこの会議には法的根拠は何もありません。言ってみればただの「慣行」であり、非公式な「打ち合わせ」です。


では、大臣が集まる閣議では何をするかというと、彼らはラウンドテーブルに座って、ひたすら閣議で了解したことを示す公文書に筆で署名と華押を書かされる、あたかも「サイン会」のような儀式を行うだけなのです。


つまり、国政上重要な調整はすべて役人に任せて、政治家である大臣たちは、選挙区のことや党務、派閥活動などで多忙であるがゆえに、「サイン会」だけで済ませるようにしてきたのです。これまで54年にわたる自民党政権下では、ずっとこのシステムが守られてきました。


さて、この事務次官会議ですが、それ自体は自民党政権よりも遥かに歴史が古く、内閣制度じたいが発足した翌年、つまり123年前から存在していたようです。それが本日、総理官邸で「最後の」事務次官会議が開かれたそうです。最後というからには、これでもう、金輪際、事務次官会議は開かれないということになりそうです。


「脱官僚」を掲げる民主党は、選挙前から「新政権発足後には、この会議を廃止する」と打ち出してきたので、それがいよいよ実行されたものです。民主党は、これまでの官僚主導の政策決定システムの象徴である事務次官会議を廃止する替わりに、新設する閣僚委員会や既存の副大臣会議を活用しながら、省庁間にまたがる政策などは「政治主導」で調整するとしています。


しかし、事務次官会議を総理官邸で開催しなくなることが、本質的な意味で官僚主導を廃し、政治主導へとかえることにつながるかどうかは、じっくりとその効果を見守る必要があるでしょう。何しろ、これまでも役人たちは、「この会議は、あくまで非公式な打ち合わせで・・・」などといいながら、法的根拠もないままに重要な利害調整を堂々とやってきたのです。


重要なことは会議自体を物理的に開催しなくするということではなく(それはそれで結構なのですが)、大臣・副大臣・政務官という、国民から直接選挙で選ばれた国会議員の中から政府に送り込まれた政治家たちが何も知らないところで、「役人が、法的根拠もなく勝手に他省庁と縄張り調整をする」ことを止めさせなければ意味がないのです。


長々と書いてきましたが、政策決定のプロセスにおいて、民主党政権が本当に政治主導を発揮しようと思ったら、事務次官会議を廃止したくらいでは足りません。大臣の指示や承認もないままに、勝手に他省庁と調整し、ましてや「覚書」を交わすことを、あらゆるレベルで禁じ、これを省庁全体の細部に至るまで徹底させる必要があるのです。それが実際にどこまで可能なのかはともかく、そこまでしてでも官僚の勝手な意思決定を排除するのだという意気込みを、早い段階で示すことができるかどうか、ここに鳩山政権のスタートダッシュの成否のかなりの部分が掛かっているような気がしています。


そもそも非公式なものを、公式に禁止することの難しさ、これを乗り越えることはきわめて重要で、国民の怨嗟の的である「天下りの禁止」もこれと同じ論理なのです。今日、ごく一部をのぞき退職公務員に公式に美味しい再就職先を斡旋する部署などどこにもない筈ですが、各省庁の大臣官房秘書課は「非公式」に再就職を斡旋しているのが実態なのですから。