日本郵政は民間企業ではありません | 経済評論家・政策アナリスト 池田健三郎オフィシャルブログ「健々囂々」(けんけんごうごう)Powered by Ameba

日本郵政は民間企業ではありません

昨日来の郵政関連報道(西川社長続投問題と鳩山総務大臣更迭など)をみていてガッカリさせられたことは、政治家や報道関係者、世間では識者と呼ばれる人々の多くが、日本郵政は民間企業であり「民間のことに政府が口を出すべきでない」と、知らない人がきいたら「もっともだな」と思ってしまうような、「誤ったコメント」を連発していることです。


政治家の場合には、問題の傷口を広げたくないとか、自分とは無関係を装いたい、などの理由でわざとこうした間違ったコメントをするケースもありえますが、専門家といわれるような方々がそれではいただけませんね。


いうまでもなく、郵政事業は旧郵政省時代まで、国の直営事業(正確には、郵政事業特別会計)として運営されてきました。それが、日本郵政公社という形で、特別な法律に基づく公的な経営体として再編され、その後、日本郵政公社は「株式会社」へとさらに再編されました(これも特別法による)。


その際には、郵便事業会社、貯金会社(ゆうちょ銀行)、保険会社(かんぽ生命)、郵便局会社と4つの機能別会社に分けられ、それぞれが株式会社の形をとることになり、さらにはこれらの4会社のすべての株式を保有するために、「日本郵政株式会社」が持株会社の形で設置されました。


したがって、これらの5つの株式会社は、世間一般において商法の適用を受けて企業活動する、純粋な民間株式会社ではなく、この5会社のために特別に設けられた法律によって運営される国営企業すなわち「特殊会社」です。持株会社の全株式は、国が保有しており、財務大臣(担当は財務省理財局)が全国民に成り代わって株式の管理と、株主権限の行使を行うことになっているのです。


さらには、郵政5会社は、特別な法律によって運営されますから、当然、役所の監督を受けます。その主務官庁が総務省であり、その責任者が総務大臣ということになります。


かつて日本には、郵政会社のような特殊会社がほかにもありました。例えば、国鉄(JR)、日本航空(JAL)、電源開発、日本電信電話(NTT)、国際電信電話(KDD)などです。これらは、当初は政府傘下の国営企業でしたが、その後、株式を市場で売却することにより、徐々に民間会社に転換し、一部は特別の法律による政府の監督を離れて完全な民間企業に衣替えしているものもあります(しかしNTTのように政府が株式を過半数保有している「半官半民」状態のところや、一部のJRのように赤字体質で株の市場売却ができず、国営会社の形態を続けている先もあります)。


郵政についても、将来的には、この持株会社(日本郵政株式会社)の株式や、その傘下にある貯金、保険会社の株式は、少しずつ市場で売却されることになっており、市場で株式が自由に売買されるようになれば、当然、その株式が民間(人)の手に渡ることになりますから、この時点からはじめて「民営」という言葉が当てはまるようになるのです。


しかし、上述の通りたとえ一部を市場売却したとしても、発行済み株式総数の過半数を民間が保有しなければ、あくまで「半官半民」状態であって、純粋な意味での「民間会社」ではありません。


勿論、収益性とは無関係に全国津々浦々まで郵便を配達しなければならない責務を負った郵便事業会社のように、はじめから採算性に問題がある(逆に高い公益性がある)会社の場合には、株式会社とはいっても赤字前提会社の株式を積極的に保有しようという人はいませんから、これは市場で株式を売却することはせず、全額政府保有を継続することが決められています。したがって、当初から、郵便に関しては「民営化」という言葉は当てはまらないことになります。


なにしろ国営企業の場合、「資本の論理=利益追求」を一番に考えることは許されず、「公共の福祉」を最優先にするのですから、純粋な民間企業の論理が通るはずがありません。


ひるがえって、日本郵政株式会社をみますと、まさに「100%資本の論理」では立ち行かないのが郵政事業です(たとえ赤字でも郵便配達をやめることは許されないのですから)。したがって、日本郵政には、民間の知恵を導入しつつ、「公共の福祉」をできるだけ効率的に実現することが求められているといえましょう。


そのために、特別の監督体制が敷かれているのであって、郵政側が、勝手に企業の論理を振りかざすことができないよう、総務大臣に強い監督権限を与えているのです。なかでも人事を巡る監督や、業務改善命令の発令などはその典型例で、総務大臣の行政権限を離れた、まったく別世界での決め事によって、当の総務大臣を更迭することは、やはり反則技に近いものであると考えざるを得ません。


もしも、鳩山総務大臣の判断が不適切であるとすれば、彼が社長人事に対し大臣として正式にNOを出した後、その大臣判断がいかに不当なものであったかについて、内閣総理大臣がきちんと国民に説明をしたうえで更迭を行うべきであったといえましょう。


今更、ここで私が何を言っても、事実先行でこのまま解散総選挙まで突き進んでしまうのでしょうが、少なくとも法治国家であるならば、国会議員は勿論、有識者と呼ばれる人たちも、きちんと法律を踏まえて、正確な発言を心がけるべきでしょう。さもないと、すべてが劇場型で場当たり的、「やったもの勝ち」で動いてしまう危険性を孕んでいると危惧するところです。