※画像は同著

まず、以下の引用を読んでもらおう。

とかく今の世では有ふれた事ではゆかぬ。今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。ここで箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、これも元手がなふてはらちあかず。

以上、引用おわり。

これは、明和5年(1768年)江戸時代の町人文学、浮世草子の気質物、無跡散人『世間学者気質』の巻三「極楽の道法より生涯の道法は天元の一心」において、主人公の三郎衛門が金の工面を思案するくだりの一部である。

日本語の慣用句に通じている人が読めば“ピン”とくるはずであろう。

これは、「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざの出典となった話である。

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは、大風が吹くと砂ぼこりが立ち、その砂で目を傷める人が増え、目の不自由な人は三味線をひくから、三味線に張る猫の皮が不足する。猫が不足すれば鼠がふえて、あちこちの桶がかじられるから、桶屋が儲かるという勘定である。

このことわざは、①ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えであるが、②その論証に用いられる例が突飛であるゆえに、「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさ」を指すこともあるそうだ。

参考
【「風が吹けば桶屋が儲かる」】

現代ではほとんど②の意味で使われるのが普通である。

しかし、このことわざを①の意味で使うある現象を表す別の言葉が注目されている。

●「風桶効果」=「バタフライ効果」とは?

「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」

もしくは・・・

「北京で蝶が羽ばたけば、ニューヨークで嵐が起きる」

これがいわゆる「バタフライ・エフェクト=バタフライ効果」である。

この「バタフライ効果」とはは、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象をいい、カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。

これは、気象学者のエドワード・ローレンツによる、「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来しているそうだ。

参考
【バタフライ効果】

この言葉はもともと自然科学の「力学系」から由来した表現であったが、現在はそれが社会科学の現象を表す言葉にも派生している。

その身近な例が現在NHKで放送している「映像の世紀バタフライエフェクト」である。

この番組の宣伝文句にはこうある。

1995年に放送を開始した「映像の世紀」の新シリーズ。蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか?世界各国から収集した貴重なアーカイブス映像をもとに、人類の歴史に秘められた壮大なバタフライエフェクトの世界をお届けする。

参考
【『映像の世紀バタフライエフェクト』】

この番組の第3回は憲さんもみた。

「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」である。

参考
映像の世紀バタフライエフェクト
「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」

2023年4月18日に放送されたこの番組は、世界を驚かせたベルリンの壁崩壊の最終局面での興味深いバタフライ効果が取り上げられていた。

社会現象における「バタフライ効果」とはいかなるものか?長いが、以下「ベルリンの壁崩壊」を例に紹介する。

東ドイツのライプツィヒの女子大生であるカトリン・ハッテンハウアーは、世界を旅しながら画を描きたいという夢を抱いていた。この一介の女子学生でしかない彼女が、1989年9月4日の月曜日、仲間たちとともに、教会の礼拝に集まった人びとの前で、旅行の自由化を訴えるデモ を起こす。カトリンはその場で逮捕されたが、瞬く間に同調者のデモが全国に拡大。毎週月曜には東ドイ ツの各都市で「月曜デモ」が行なわれるようになった。

東ドイツを組織していた社会主義統一党は、高まる市民の不安を鎮めようと、11月9日に、「出国を認めるビザを申請すれば、翌日(11月10日)から、誰でも国外に旅行することを認める」という決定を下すにいたった。ところが、その夜に開かれた定例記者会見で、党政治報道局長に就任したばかりのギュフター・シャボウスキーは、情報伝達の行き違いが重なって、誤った内容で発表してしまう。

外国の記者に問われて、慌てて答えたため「東ドイツのすべての国民が、東ドイツの国境検問所を通って国を離れることが可能になる」と述べ、「ビザを申請すれば」さらに「翌日(11月10日)から」という条件を付け忘れてしまったのである。さらに、記者に「いつからだ」と問い詰められ、「すぐに、即座だと断言してしまう。

その情報がニュースで伝えられると、東ベルリン市民は色めき立って、数万人が検問所に殺到した。東ベルリンの検問所の責任者であったハラルド・イェーガーは、数万の市民と対峙することになり、「流血の大惨事だけは避けたかった、もう上官の顔色をうかがうのはたくさんだ、自分で判断しよう」と、すべての人を検問なしで通してしまったのである。イェーガーの現場での独断が、その夜の“ベルリンの壁崩壊”という劇的な結果をもたらしたのであった。こうして、いくつものバタフライの連鎖が、ベルリンの壁を破ったのである。

これこそまさに、バタフライ効果である!

さしずめ憲さんに日本語風に言わせれば「風桶(ふうとう)理論=風桶(かぜおけ)効果」(「風が吹けば桶屋が儲かる効果」)とでも呼ぶものではなかろうか?

この、憲さんから言わせれば「風桶効果」、世間一般では「バタフライ効果」と呼ばれる現象を歴史観にまで拡大させた人がいる。

憲さんが尊敬してやまない拓殖大学教授の関良基先生である。

参考
【関良基】

●農学者にして偉大な歴史学者である関良基氏の「明治維新」観

関先生は、憲さんより2つ年下の1969年の長野県上田市生まれ。京都大学農学部林学科卒業の農学者であるが、憲さんが先生の功績に注目したのは、本業の農学ではなく、幕末史についての研究である。

彼は生まれ育った故郷の長野県上田をこよなく愛し、その故郷が生んだ幕末期の思想家であり兵学家の赤松小三郎についての評伝『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』を書いている。

参考
書評:関良基著、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)

残念ながら憲さんはこの本は読んでいないが、赤松小三郎については随筆で触れている。

参考
憲さん随筆アーカイブス 遺志を引き継ぐ者-赤松小三郎と大石誠之助の生きざま

そして憲さんの心を鷲掴みにしたのは、先生の歴史論文における第二作、『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』であった。

これについては憲さん、長文の書評を随筆に書いている。

参考
教科書の定説を疑え!日米修好通商条約は不平等条約ではなかった!-『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』を読んで

そこに憲さんはこう書いている。

以下、憲さん随筆引用

大変衝撃的かつ、憲さんの歴史観に大きな影響を及ぼすであろう書籍を読み終えた。

これは、極めて優れた良著であり、是非とも座右に措(お)いておきたい本である。

関良基著『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』だ。

(中略)

これを見ても明らかなように、横浜開港=日本開国を断行したのは井伊直弼である。というのが、現在の定説である。

しかーしっ!

この本の著者は「それは違う!」と断言するのだ。

そしてこう述べる!

「日本の“開国”を断行したのは、井伊直弼ではない。松平忠固である。」と。

そして、さらに驚くことにこう続けるのである。

「“日米修好通商条約”は不平等条約ではない!」と!

(中略)

この本の著者、最後にこう書いている。

歴史学では「歴史に『イフ』はタブーである」などとよく言われたものであった。筆者の専門は歴史学ではないから「イフ、たら、れば」を堂々と語りたい。

そして、この本でも史料不足を彼の想像と「イフ、たら、れば」が大いに発揮されおり、それがまた的確だと憲さんは確信している。

(中略)

最後になるが、このような大胆かつまったく正しい説を提供してくれたこの偉大なる同志、関先生に心の底から感謝を述べたい。

この本、定価2200円だがその価格が安すぎるくらいの良著である。

憲さん、早速購入しに書店に向かおうと決心した。

憲さんの数少ない座右の書としよう。

どーよっ!

どーなのよっ?

以上、引用おわり。

どうだろうか?

憲さん随筆の抜き書きを読んだだけでも、憲さんがこの本を読んだときの興奮が伝わるであろう。

そして、今回関先生が歴史論文三作目として世に問うたのがこれだ~っ!
関良基著『江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ”』

この著作、そのサブタイトルにもあるように日本近代史=幕末史において“イフ”を大いに発揮させて、幕末における薩長の暴力的政権奪取=「明治維新」を根底から批判し、その返す刀でマルクスの指摘唯物論、さらには戦後日本の歴史観に支配的な影響を与えたマルクス主義講座派の井上清、遠山茂樹、さらには日本の政治思想史の聖典(キャノン)を著した丸山眞男を滅多斬りに批判し、また戦後の日本人の歴史観に多大な影響を与えた作家司馬遼太郎の司馬史観をも丁寧に批判してくれている。

憲さんにとっては長年の自身においてわだかまりのあった歴史観がまさに暗雲のかかった空が一気に晴れ渡るが如くスッキリとする、そのような知的興奮を覚える読書体験となった。

それはおそらく憲さんの57年間?にわたる読書体験の中でも一番エキサイトした体験ではなかっただろうか?

そう思えるぐらいのものであった。

この関先生の著作を知ったのも我が東京新聞の書評欄であった。

これだっ!
<書評>『江戸の憲法構想 日本近代史の“イフ”』関良基(よしき) 著

そこにはこう書いてあった。

以下、書評引用。

本書は、江戸の憲法構想を封じ込めてきた、明治維新を肯定的に評価する史観に対しても批判を行っている。その対象は、明治維新を封建体制の崩壊と近代国家の成立と論じた井上清、遠山茂樹、丸山眞男、司馬遼太郎である。
要するに、明治維新の帰結たるアジア太平洋戦争の悲惨な経験をせずとも、平和な社会を建設できた可能性があったと、本書は提起している。すなわち、明治維新をめぐる内容でありながら、本書は至って現代的意義を有する。

以上、引用おわり。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

この書評を読んで憲さんは即座にこう思った!

「関先生、とうとうやらかしましたな!」

まさに憲さんの歴史観を整理する上でドンピシャ、合致した問題意識である!

天晴れ!関先生!

※ちなみにこの本は朝日新聞の書評欄でも紹介されている。

こちら
「江戸の憲法構想」書評 幕末の知識人たちが描いた未来

しかーしっ!

憲さん、速攻で図書館で探したが蔵書目録に見当たらなかった。

(´Д`)=*ハァ~

やっぱりね!

やっぱりね!

ちなみに江戸川区の図書館には『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』は蔵書しているが、いまだに先生の歴史論文第一作の『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』は蔵書していない。

購入するしかないか・・・。

(´Д`)=*ハァ~

と、諦めていたところ一ヶ月後にもう一度図書館の蔵書に検索をかけたらヒットした!

天晴れ!江戸川区の図書館!

早速予約をかけたら、順番待ちもなく手許にすることができた。

本の状態からいって、憲さんが予約第一号のようである。

( ̄ー ̄)ムフフ

と、いまその図書館の本に付箋をいっぱい貼り付けてこの書評を書いているところである。

「憲さんにとっては長年の自身においてわだかまりのあった」まさに「暗雲のかかったような」歴史観というのはまさに関先生が提示している問題意識に他ならない。

東京新聞の書評でいうところのここである。

「江戸の憲法構想を封じ込めてきた、明治維新を肯定的に評価する史観に対しても批判を行っている」

「要するに、明治維新の帰結たるアジア太平洋戦争の悲惨な経験をせずとも、平和な社会を建設できた可能性があった」

まさにここに尽きよう。

これについて関先生本著の「はじめに」でこう述べている。

少し長いが全文引用する。

 こうした明治維新観(明治維新を肯定的にとらえる歴史観)を構築したのは、マルクスの唯物史観の信奉者、あるいは、少なからずその影響を受けた人びとであるが、本書で追って詳述するように、彼らは戦前の皇国史観が生み出した王政復古の物語の主旋律を継承しつつ、唯物史観の衣をかぶせたのである。戦前の皇国史観も、また戦後の唯物史観も、「勝てば官軍史観」と呼んでもよい。この「史観」に立つと、結果からの逆算によって、勝った側は進歩的で、負けた側は反動的だったと、自動的に解釈するバイアスが生じてしまう。そのため、日本の近代へ の道には、明治維新とは異なった可能性もあったのではないかという、“歴史のイフ”についての問いも封殺してしまうことになった。
  右派は、明治維新が生み出した天皇を神格化する祭政教一致の「国体」を、“美しい日本”のあるべき姿として賞賛する。左派も、明治維新を、外圧に対抗するべく近代的統一国家を実現するための暴力的な体制変革として肯定する。右派と左派の違いは、明治維新が生んだ体制を絶対化するか、それとも、さらなる暴力で覆すことを肯定するか否かであろう。この左右の歴史認識が、暴力と弾圧の連鎖を誘発してきた。この歴史認識の負の連鎖”を止めなければならない。
 勝者による歴史だけが唯一の歴史ではない。歴史に必然などないし、法則性のあるものでもない。私たち一人ひとりの決断の一つ一つが、歴史に影響を与え、その行為の積み重ねが歴史の発展方向を規定していく。さまざまな“イフ”の累積の上に現在があるのであるし、今後もそうであると考える。本書では、 そうした歴史観を、「バタフライ史観」として提案する。
 これらによって右派史観と左派史観に共通する必然性のドグマから解放され、開かれた未来を展望することが可能なることを願っている。もはや「戦後」ではなく、「新たな戦前」と呼ばれるようになった今だからこそ、それが求められていると考える。

以上、引用おわり。

うーん!

なんとも含蓄深い叙述であろうか!

この「はじめに」の文章を読んだだけでも、憲さんが長年考え続けてきた歴史観をまさに肯定する文章であり、まさに「我が意を得たり!」と膝うちして小躍りしたくなる気分であった!

そうなのである!

こと、「明治維新」についての評価は左派、右派共に「お互いどこか似た者同士なのであり、根幹的な部分で共通性もある」のだ。

これが、いわゆる「左派」の憲さんにとっては長年腑に落ちない点であった!

●マルクス主義者の「明治維新」観

ここで、憲さんの極めて浅い読書経験の中で振り返るに、いわゆる「明治維新全面肯定」の最左派の論客は故寺尾五郎氏である。

参考
【寺尾五郎】

彼は元日本共産党の党員で、歴史学者である。毛沢東派で共産党を除名されている

彼の「明治維新」観はその出自である「講座派」とは違い「明治維新」=(ブルジョア)革命と言い切っている。

彼の著書(『時代区分論 革命が歴史をつくる』)にはこう書いてある。

以下、引用。

 維新によって国家権力の階級独裁の内容が、幕藩体制の武士階級単独独裁から天皇制の地主・ブルジョア連合独裁に変わり、社会の根本矛盾が、武士と農民・商人の矛盾から、地主と小作人の矛盾、ブルジョア階級と労働者階級の矛盾という二つの根本矛盾に変わったのである。
 これは明らかに革命ではないか。
 その際の、土地革命の不徹底さによる半封建的小作関係の造出、旧領主階級の土地領有権の没収の有償待遇、資本主義的近代工業の上からの造成と特権的政商の育成、一部下級武士の官僚への転化とその有司専制、勤労人民の貧困と無権利、ならびに頭初からの兇悪な軍国主義的侵略性等々の諸事実は、権力と根本矛盾の変化とは別のことがらである。これらの諸事実の一つ一つも、またその総体も、維新を革命ではないと規定する根拠にはならないのであり、ただこの革命の特殊な性格をあらわすものにすぎないのである。
 したがって、この革命をもって、近世と近代とを分ち時代区分し、「この世のかわりの継 目」の「御一新」とすることができる。

以上、引用おわり。

彼は講座派の「明治維新」≠革命(革命ではない)を意識して、それを批判して「明治維新」を(ブルジョア)革命だと高らかに宣言しているのである。

そして、「当初からの兇悪な軍国主義的侵略性等々の諸事実は、権力と根本矛盾の変化とは別のことがらである。これらの諸事実の一つ一つも、またその総体も、維新を革命ではないと規定する根拠にはならないのであ」ると、その後の負の歴史を「別のことがら」と免罪しているのだ。

憲さんはこの歴史観は大いに疑問符がつき、胸の奥にストンと落ちるものではなかった。

そして、具体的に寺尾五郎氏は幕末の人物中、以下の人物を「革命家」として挙げている。

以下、引用。

 私は、幕末・維新の階級闘争のなかにひとすじの光芒が、
 大塩平八郎-吉田松陰-三浦帯刀-相楽総三
 の草莽革命の系譜となって貫いているように思える。(『草莽 吉田松陰』より)

参考
『草莽 吉田松陰』

大塩平八郎と三浦帯刀は確かに「革命家」であったであろう。

(※三浦帯刀とは、幕末期に房総の九十九里で“コミューン”を作って幕藩体制に抵抗した「九十九里叛乱」〈いわゆる“真忠組事件”〉の指導者である)

参考
【真忠組】

しかし、吉田松陰と相楽総三も本当に「革命家」なのであろうか?

これには憲さん圧倒的に否定的である!

それらの憲さんの評価については以下の随筆を参考にされたし!

参考
憲さん随筆
大塩平八郎は日本における“社会主義”の先駆者か? はたまた“米屋こわしの雄”か? 森鷗外著『大塩平八郎』の評価を巡って

憲さん随筆アーカイブス 「賊軍」よ、永遠なれ! 安倍晋三の尊崇する吉田松陰とは何者なのか?松陰著『幽囚録』を読む

憲さん随筆
幕末期、九十九里には革命的コミューンが存在した!? 真忠組による九十九里叛乱記

憲さん随筆
本当に相楽総三の赤報隊は「赤熊」を被っていたのだろうか? 憲さん岡本喜八監督作品『赤毛』を観る!

そして、寺尾氏はこうも言っているのである。

以下、『時代区分論 革命が歴史をつくる』より引用

 明治維新が革命であれば、必ずそこには革命家・維新者がいた。明治維新を明確に革命と認識せず、維新革命をもって時代区分をしないから、幕末・維新期に活躍した諸人物への明確な評価が生まれてこないのである。
 明確な評価をもたないから、いつのまにやら、坂本竜馬ブームとか勝海舟ブームとかのマスコミ流の俗流評価にまきこまれたり、あるいは、明治元勲の過大評価に足をさらわれたり、 甚しきは新撰組ブームや沖田総司ブームなどという反革命的評価を許したり、結局のところブルジョア史観・支配者史観に屈服することになる。

そして、寺尾氏はレーニンの『第二インターナショナルの崩壊』の一文を引用してこう述べるのである。

「偉大なブルジョア革命家に、もっとも深い尊敬の念をよせないようでは、マルクス主義者ではありえない」とのレーニンの言をまつまでもなく、自国の革命伝統に関心をよせず、自国の歴史を革命によって区分できず、自国の史上の革命家を敬愛できない思想状態で、自国の現実を革命できるわけがあるまい。

そして、その著書『草莽 吉田松陰』の中で吉田松陰は偉大な革命家であったとこれでもか、これでもかと絶賛するのである。

それは読んでいて「あばたもえくぼ」にしか聞こえない“牽強附会”の論理を駆使してである。

恐れ入った!

※この「寺尾史観」については憲さんも不十分ながら“反論”を試みてはいる。
憲さん随筆
吉田松陰は本当に『革命の指導者』か? 革命的左翼の『明治維新史観』を真剣に問う!

しかし、憲さんはこの寺尾五郎氏の「『明治維新』=偉大なブルジョア革命」「吉田松陰ラブ️」の理屈に決定的な批判をくだす理論的武器を持ち合わせてはいなかった。

それもその筈である。

寺尾五郎氏に比べて憲さんの「幕末『維新』」についての知識など“鼻糞”みたいなものであるから。

しかし、その問題意識にまさに真っ向から回答を出してくれたのが、この関良基先生であり、今回紹介している著書『江戸の憲法構想』なのである。

特に圧巻なのが第二章である。

以下、その内容をかいつまんで紹介する。

●司馬遼太郎の「坂の上の『ナルシズム』」

まず、批判の俎板に載せたのが司馬遼太郎の「司馬史観」である。

関先生はも司馬遼太郎の歴史観については「戦後の日本人の歴史認識がどのように形成されたのかを研究課題とした場合、司馬の小説を無視することは、それこそ学術的に公平な議論にはならない」として司馬遼太郎の歴史観を「“坂の上”のナルシズム」と称してその代表作『坂の上の曇』を俎上に乗せて、司馬の小説がいかに誤った歴史観を世間に垂れ流しているのかを明らかにしている。

これについては関先生のこちらのサイトに詳しいので参考にされたし。
関先生のブログ
代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives
司馬遼太郎と日本会議の自虐史観

そして、そこで関先生はこうも言っているのである。

以下、ブログ引用

 総じて司馬遼太郎は、江戸時代の日本はヒサンであり、明治維新という奇跡によって、栄光の道が始まったのだということを強調したいがために、史実からかけ離れた架空の物語を展開しているのである。
 実際には、明治維新は、英国の東アジア戦略によって周到に仕組まれ、日本とロシアを対決させたいという外交方針をもつ英国に扇動されたクーデターである。それによって日本は、国家神道の原理主義者が政権を奪取し、しかも列強には従属的な、いびつな近代化を強いられ、1945年の亡国への道が敷かれたのである。

以上、引用おわり。

これはまさに憲さんの幕末史観と合致する。

ちなみにここで言う「日本とロシアを対決させたいという外交方針をもつ英国に扇動されたクーデターである」というくだりの詳細は本著『江戸の憲法構想』中、第Ⅰ部「徳川の近代国家構想-もう一つの日本近代史の可能性」の第3章「サトウ(アーネスト・サトウ)とグラバーが王政復古をもたらした」に詳述してあるので参考にされたし!

●山内容堂の「公議政体論」を切り捨てた講座派の唯物史観

次に先生が批判の俎上に載せたのが歴史学者の井上清である。

憲さんもこの井上清先生は彼の著した岩波新書の『日本の歴史』上中下3巻を貪るように読んだし、何よりも彼の著作『「尖閣」列島』は衝撃的であった。

参考
井上清著『日本の歴史』

『「尖閣」列島』

この井上清に対しても関先生は容赦ない批判を浴びせていく。

以下、主要な部分を引用する。

 マルクス主義者の井上にとって、「革命」とは、階級闘争を経て、階級間の権力移動が起こるものでなければならない。井上は、平和的に議会政治に移行させようとした越前や土佐の「公議政体論」については、「山内容堂なんかの公議政体論というのは、要するに支配者の交代段階にとどめておこうということでしょう」と切り捨てている。
 実際のところ山内容堂は、庶民にも参政権を与え、欧米に負けない水準の憲法と議会を開設しようと考えていたことは、前章でも紹介した通りである。山内容堂が徳川慶喜に提出した政権返上を求める建白書には、「陪臣庶民に至るまで正明純良の士を撰挙」と書いてある。仮に山内容堂が武士のみの議会を主張していたのであれば、「庶民」という文言を削らせたはずであろう。容堂は「庶民」という文言をそのまま入れて徳川慶喜に提出したにもかかわらず、学者たちはその真意を必死に曲解しようと努力してきた。井上は、マルクスの階級闘争論にもとづいたバイアスによって、封建領主の提案する改革案など、封建制を覆す内容になるはずがない、という先入観で歴史を見ていたのである。徳川政権や公武合体派の側から、多様な議会論が出て、近代社会にいたる道筋が存在したにもかかわらず、講座派史観のバイアスによって、それらは一様に封建制の枠内の「封建議会論」として切り捨てられてしまった。

以上、引用おわり。

と、手厳しい。

ところでこの関先生は幕末の土佐藩主で幕末の四賢侯の一人、山内容堂を高く評価している。

参考
【幕末の四賢侯】

【山内容堂】

憲さんは山内容堂は小御所会議で岩倉具視と激論した後に、西郷隆盛に「短刀一本あれば片づく」と匕首(あいくち)を見せつけられ“しょんべんチビった”臆病者というイメージしかないが、「公議政体論」を唱え、さらには「庶民に参政権を与え」ることまで考えていたとなると、それはまさに「賢侯」の名に相応しいと言えるであろう。

もう少しこの人物を研究する価値もあろう。

参考
「短刀一本あれば片づく」西郷のひと言が歴史を動かした瞬間
原田 伊織

次に、関先生が矛先を向けたのがやはり歴史学者の遠山茂樹氏である。

そして関先生は井上清にしても遠山茂樹にしても、いわゆる「講座派」についてはこう切り捨てている。

以下、引用。

 講座派が主導した戦後歴史学は、根拠薄弱な『幕末議会論(山内容堂などが説いた説)=封建秩序を再建する手段」というテーゼを疑いもしなかった。その理由は、 おそらく、その見解がマルクスの階級闘争史観に合致するからであろう。 唯物史観を教条的に解釈すれば、武士階級は、その階級的本性からして、封建制度の継続を望むはずという結論になる。マルクスの著作に真理を求めた人びとは、頭からそのように決めてかかってしまっていたのだ。

以上、引用おわり。

そして、関先生の批判はその講座派が信奉してやまない「カール・マルクス本人にまで遡って唯物史観を批判しなければならないことになる」のである。

そして、まさに本書の第5章「唯物史観からバタフライ史観へ」がまさに圧巻である。

そのエッセンスがこの章の“はじめに”に書かれているので僭越ながら長いが紹介する。

以下、本著引用。

 マルクスの唯物史観(ないし史的唯物論)は、封建社会は絶対主義を経て、ブルジョア革命によって近代資本主義社会にいたり、やがてプロレタリア革命によって社会主義・共産主義に進むという歴史法則主義を展開した。唯物史観は、現実の歴史で発生した社会変化を、法則性・必然性をもって発生した事象であると考える。そのため、別の歴史変化の方向性もあり得たのではないか、という可能性の議論を封殺する作用を生み出した。
 そのようにして生まれたのが、「歴史にイフはタブー」という言説であった。これは「勝てば官軍」史観と言ってもよく、勝者は勝つべくして勝ったと考えるため、「敗者」に属する人びとについての研究を遅らせる作用を生んだ。徳川政権や「佐幕派」と規定された諸藩にあった先進的な知見などは、不都合な事実として、研究の俎上に乗せないような作用すら生んだ。
 唯物史観の他の弊害として、階級闘争を重視するあまり、階級的利害になど執着していない創造的個人の役割を軽視ないし否定するようになった点も挙げられよう。例えば、前章で紹介したように、講座派の井上清は、政権返上と議会政治を建白した土佐藩主の山内容堂について、「山内容堂なんかの公議政体論というのは、要するに支配者の交代段階にとどめておこうということでしょう」と、一刀両断に切り捨てている。なぜ議会政治の開始が、支配階級内の政権交代という理屈になるのか、素人には容易に理解できない。実際には、山内容堂は、庶民にも参政権を与えて議員を選ぼうとしていたのであり、武士階級のなかの政権交代と言う以上の変革を求めていたことは、すでに見てきた通りである。マルクス主義史家たちは、彼がどのような社会を志向していたのかを実証的に検証しようとする以前に、人間の意識は階級に規定されるといったドグマにもとづいて、あらかじめ結論を導き出してしまっていた。

以上、引用おわり。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

そうなのだ!

憲さんもこのマルクス主義の「史的唯物論」の「人間の意識は階級に規定される」という“ドグマ”(教義、教条)を信じてやまない存在であった。

なので、この随筆冒頭にも書いたいわゆる「明治維新」についての評価が「憲さんにとっては長年の自身においてわだかまりのあった」まさに「暗雲のかかったような」歴史観となってしまっていたのである!

納得!

そして、関先生はここからいざ本丸へと挑みかかるのだ!

●唯物史観の本丸、マルクスへの挑戦状!

それは、マルクス自身が23才で書き上げた学位論文である「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」を引き合いに出して、簡単にいえば「マルクスも『バタフライ史観』であった」と論じているのだ。

しかし、その論文の18年後にマルクスが書き上げた『経済学批判』においてはその考えが蒸発してなくなってしまい、先生に言わせると「人間の意識は、生産諸力に応じた社会の発展段階において形成された生産諸関係によって、社会的に規定されるとした」まさにマルクスの史的唯物論のテーゼと「変節」し、「自由な自己意識こそが世界を創造すると主張したエピキュリアンとしての若き日のマルクスの論文と、まっまく矛盾する」ことを突きつけているのだ。

と、この章では古代ギリシャの哲学者まで出てきて大変難解ではあるが、是非とも皆さんに特にマルクスを信奉する人たちには読んでいただきたい。

そして、先生はこうマルクスに問いかけている。

「生産力や生産様式に規定されて意識が決まると考えた唯物史観のマルクスは、自己意識の逸脱なしに『世界は創造されなかった』と考えた、若い頃の自身の世界認識を忘れてしまったのであろうか。」と。

これに、今や泉下のマルクスはこたえることはできないが、現代のマルクス主義者はこの問いになんとこたえるのであろうか?

真剣な回答が求められるのではないだろうか?

そして、最後の第6章ではそのほとんどか著者の丸山眞男批判に終始している。

それは前出した朝日新聞の書評でこう書かれている。

以下、書評引用。

著者は歴史学者ではなく環境分野の研究者だ。専門家でないがゆえの強みだろうか、平易な言葉で、既存の学説にどんどん切り込んでいく。とりわけ丸山真男の政治思想史への批判はねちっこく、そこがまた読ませる。専門研究者の反応も聞いてみたい。

以上、引用おわり。

憲さんもここまで書いたらさすがに力尽きてしまった。

筆者の丸山眞男批判はその章のタイトルを紹介するに留める。

「第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした」

あとは、是非とも本著を手にして読んでいただきたい。

憲さん、この先生をはじめて知ったときは「信州上田出身の、郷土愛溢れる歴史好きの理系の秀才で、佐幕派の同志」?!との認識であったが、今回この著作を読んでその考えを根底から改めた。

関先生こそ、ポストマルクス主義を切り開いていける思想家であり、哲学者ではないのか?とまで思うようになっている。

先生はそのブログの中でマルクスを「嫌いだ」と断言しているし、「反“マルクス主義”者」であることは明らかである。
しかし、「反共主義者」ではないようである。

参考
代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives
拝啓 佐藤優様 マルクスなんか読む必要ないって!

そこではこう言い放っている。

うん、そうそう。マルクスなんか読む必要いっさいない。「マルクス読め」なんてアホなこと言う団塊オジサンには、「あんたたちマルクスなんか読んで頭デッカチにばかりなっていたから、労働者の意識からも決定的に乖離して内ゲバばかりに終始して自滅しちゃたんでしょう」とでも言ってやりましょう。

 だいたい「『資本論』の内容をまとめよ」と言われたら「労働者は資本家に搾取されている」っていうただその一言でよいのです。そんなことは現代のプレカリアートたちは日々実体験として骨の髄から認識していることです。実体験で認識しているから、いまさら『資本論』なんか読む必要ない。

(中略)

私は「マルクスは社会運動家にとってのアヘンである」と思っています。あの博愛精神のない独善性に満ちた人物の書いた文章なんか読むことは、その独善性を運動に移植する作用しかもたらさないからです。それは解釈をめぐる正統・異端の争いの原因をつくるだけであり、運動を破壊する作用しかもたらさない。運動を進めるためにはマルクスなど有害でしかなく、むしろ孫子の方がよほど必読だ、と以前も書きました。

以上。

こういう先生ですが、しかしマルクスを無視することはできないのでしょう。

先生こそマルクスを丹念に読みこんでいる節があります。

(´艸`)くすくす

そして、こうも続けています。

だいたい、社会進歩を求める人々が、人の固有名詞に「主義」なんて付けて絶対化すること自体、とてつもない矛盾なのです。過去の人物の思想を「主義」と読んで絶対視してしまったら、もはや開かれた認識の発展は望めないからです。残るのは解釈をめぐる対立ばかりです。

これには憲さんも同感です。

やはり「マルクス主義」ではなく、「社会主義」「共産主義」と呼ぶのが正しいのではないてしょうか?

ちなみに、この先生憲さんが以前随筆で言及した斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』も批判していて大変興味深い。

こちら
代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives
【書評】斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)

参考
憲さん随筆
「脱成長コミュニズム」の展望-斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読む

やはり、「マルクス主義」には反応してしまうのであろう。

(´艸`)くすくす

と、憲さん以前は原伊織氏を自身の歴史観の師匠と仰いでいたが、やはり関先生のその哲学、思想、歴史観には及ばないであろう。

それは関先生も言及している。

こちら
代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives
明治維新否定本がつぎつぎに出版されるが・・・

そこにはこう書いてある。

以下、引用。

同じ維新批判本である原田伊織氏の本は、徳川光圀・徳川斉昭、藤田東湖といった水戸学の系譜から吉田松陰ら長州尊攘派のテロリズムを連続した一連のものとして捉えている。鈴木荘一氏の本は、原田氏の本とは似て非なる対照的な内容である。もっとも、私は原田氏の本の、武士道賛美をしすぎるあまりの民衆蔑視思想を決して肯定することはできない。

以上、引用おわり。

確かにその嫌いはある。

いずれにせよ原田氏にせよ関先生にせよ反マルクス主義であることは明らかである。

●民主主義、マルクス主義のその先へ!

では、マルクス主義の立場で、関先生のような歴史観を説く人はいないのだろうか?

ところて、関先生においては「現代的な間接民主主義」を最高の社会形態と考えているのであろうか?

そんなことはなかろう。

その「民主主義」下においていまなお戦争、抑圧、差別、搾取が行われているのだ。

必ずこの先があるはすである。

それが「歴史発展の必然」でたどり着くのか「バタフライ効果」で偶然現れるのかは憲さんにはわからない。

しかし、この腐敗した現代の「その先」が必ずあるはずだと信じるところから始めるしかないであろう。

その答えを導き出せる思想家として、関良基先生は一番近いところにいるような気がするのは憲さんだけであろうか?

いずれにせよ、憲さんはこの本を読んで、今まで信じてやまなかった「史的唯物論」に対して批判的な視座を持つようになったのは間違いない!

これからは「唯物史観」ではなく、「バタフライ史観」ならぬ憲さん言うところの「風が吹けば桶屋が儲かる史観」!?も視野に入れて人類の歴史を総括せねばならないと思うのであった!

皆さんはいかがお考えだろうか?

いずれにせよ、この一冊是非とも多くの人に読んでもらいたい名著である。

憲さん、早速アマゾンで新刊を購入しちやった

座右の本にするよっ!

どーよっ!

どーなのよっ?

※これからは関先生のブログを真剣に丁寧に読み込んでいきたいと憲さん真剣に思っています。

※この著作、幕末においては避けて通れない歴史上の人物、例えば吉田松陰、西郷隆盛、福沢諭吉などの評価にも触れているので大変勉強になります。

※この随筆では触れなかったが、第Ⅰ部「徳川の近代国家構想-もう一つの日本近代史の可能性」の第2章では、先生の十八番赤松小三郎はじめ、いわゆる「徳川側」の「憲法構想」が詳述されており大変興味深い。

※また、その第1章では「よみがえる徳川近代化史観」として、尾佐竹猛と歴史家で大久保利通の孫である大久保利謙も紹介されているが、特に大久保利謙が佐幕派だったという指摘は初耳で大変驚きをもって憲さん受け止めた!
これについてはまた、別の機会にでも触れてみたい。