
※画像は憲さん所有の江戸川区の地図。
くだんのところに「境界未確定 河原番外地」と書かれており、そこだけ都県境が引かれていない。
♪春に春に追われし 花も散る~
酒(きす)ひけ酒(きす)ひけ酒(きす)暮れて~
どうせ俺らの行く先は~
その名も網走番外地~♪
この歌は言わずとしれた高倉健さんの名曲「網走番外地」である。
参考
↓
【網走番外地】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%95%AA%E5%A4%96%E5%9C%B0
高倉健 『網走番外地』
https://youtu.be/QWsK6NpG97c?si=TQuahbeTxLOuRCUa
1965年の健さん主演の映画『網走番外地』と共に大ヒットした歌である。
参考
↓
【網走番外地 (1965年の映画)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%95%AA%E5%A4%96%E5%9C%B0_(1965%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
憲さんも何回かこの映画をみている。
健さんファンの憲さんは好きな映画である❤
ところでこの「網走番外地」の“番外地”とはどういう意味なのだろうか?
この映画や歌のイメージからだと、最果ての土地にある刑務所から荒涼とした場所との印象を受けるが⋯
憲さん調べてみた。
番外地(ばんがいち)とは日本の住所の表記のひとつであり、土地公簿で地番のついていない土地を指す。無番地(むばんち)、無地番地(むちばんち)とも呼ばれる。
参考
↓
【番外地】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%AA%E5%A4%96%E5%9C%B0
網走刑務所の「番外地」という呼び名も本来の所在地が「網走市字三眺官有無番地」(あばしりし あざ さんちょう かんゆう むばんち)であったものが「刑務所=娑婆と切り離された別世界」というイメージで、そこに手紙を出す受刑者の家族などによって作られたものと考えられるそうだ。
憲さんがこの「番外地」を調べていて驚いたのは⋯
東京都の青ヶ島村の全域には地番がなく、住所は全域「東京都青ヶ島村無番地」である。そうなのだ。
青ヶ島は確かに洋上にある僻地であるが。
その全ての土地が「青ヶ島番外地」なのである。
ビックリ!
参考
↓
【青ヶ島】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6
と、「番外地」は僻地にあるとのイメージだが、さにあらず。
千葉県四街道市の市役所は四街道市鹿渡無番地にあるそうである。
まさに「鹿渡番外地」なのである。
参考
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四街道市役所
https://www.city.yotsukaido.chiba.jp/smph/kurashi/shisetsu/yakushopub/city-hall.html
と、ここで憲さん思い出した!
以前、憲さんが書いた随筆にもこの「番外地」に触れたことがあった!
この随筆である。
↓
憲さん随筆アーカイブス 川辺のアルバム 憲さん地元葛西を語り尽くす!の巻き!
https://kensanzuihitu.livedoor.blog/archives/31646154.html
この憲さん随筆の中にこうある。
以下、引用。
堀江は旧江戸川河口の右岸と左岸に広がっており、右岸は1895年(明治28年)に葛西村に編入された。
しかし、この葛西の「堀江」地域も大半は1979年11月に実施された住居表示により、町域の大半が南葛西と変更されてしまった。
いまは、南葛西の東端部分にある旧江戸川の河川敷部分のみが住居表示未実施のまま、住民が0人の「堀江町」として残存している他、「堀江団地」などの名称に残るのみである。
参考
↓
【堀江町 (江戸川区)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E7%94%BA_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA)
以上、引用終わり。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
これはまさに「堀江番外地」ではないか!
憲さんのお家から歩いていける距離のところに「番外地」は存在したのである!
意外!
と、憲さんは健さんにオマージュして「番外地」に大変興味を持ったら、先日の木曜日(2026年10月1日)の東京新聞の最終面「TOKYO発」にこの番外地の話題が載っていて、憲さん
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
とした!
ここも憲さんの家から自転車で行ける距離にまさに「江戸川番外地」とも呼べる“番外地”が存在したのである!
その名は正式には「河原番外地」!である。
記事からその河原番外地を解説する。
以下、記事引用。
「河原番外地です」。市川市総務課統計・住居表示グループ主幹の涌 (わく) 正裕さんによると、江戸川と旧江戸川が分岐するエリアの「角 (つの)のような土地」をそう呼んでいる。市川市は旧江戸川以東を「市内」、江戸川区はこの土地の一部を「区内」と主張する。都県境が決まっていないため、最東端もはっきりしない。
1978(昭和53)年、市川市が住居表示のために実地調査をした際、境界の未画定が発覚した。河原番外地は江戸川区にとって飛び地。旧江戸川の真ん中に沿った線を都県境とした方がしっくりくるが..⋯。
以上。引用終わり。
この場所、江戸川水門または地元では篠崎水門と言って春になると桜が咲いてちょっとした花見の名所である。
ちなみにこの辺りが都県境未画定地域であることは、憲さん含めて「県境マニア」にとっては有名な話である。
なので憲さんが葛西に引っ越してきた年に購入した1996年2月発行の日地出版の江戸川区地図にもその周辺の都県境の線は途切れており、憲さんが書いたボールペンの文字で「境界未確定 河原番外地」と書かれており、そこだけ都県境が引かれていない。
なので世間に出回ってる県境蘊蓄本にはだいたいこの都県境の未確定地は載っているが、今回の東京新聞のレポートはさすが新聞記者が現地に行って調べているだけあってとても詳しかった。
そして、憲さんも当然ながらこの都県境未確定地に以前自転車で探検に行っている!
葛西から旧江戸川沿いを川沿いの道路に沿ってさかのぼると左手に江戸川スポーツランドが見えてくる。
江戸川水門はその先でポニーランドの手前である。
この水門、東京都江戸川区東篠崎と市川市にまたがっている?(厳密には都県境未確定地なので「またがっている」とは表現できない!)
水門の脇に車は通れない橋がかけられていて徒歩や自転車で行き来できるのである。
参考
↓
【江戸川水閘門】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E9%96%98%E9%96%80
憲さんが探検に行ったときは水門から釣り糸を垂らしている人がいて、のどかな雰囲気が漂っており、さらにその先に行くと何の変哲もないまさに「河原」が広がっているだけの土地であった。
そして、ここがまさに境界未確定地の「河原番外地」なのであった。
まあ、正直に言って1回行けば十分という土地である。
しかし、この記事ではこの土地についていろいろなことを教えてくれた。
これについても記事から引用する。
以下、引用。
ちなみに、火事は市川市消防局、ごみ収集は市川市が請け負う。
市川市の方がやはりしっくりきそうだが、そうなると「江戸川区の土地」を他の自治体に譲ることになり、議会の議決など法的な手続きが必要となる。「自分たちの土地」という住民感情への配慮も必要だ。
江戸川区と市川市で対面による協議を10回したが、結論は出ない。とはいえ、花火大会で協力するなど、関係は良好だという。
以上、引用終わり。
この記者が言う通り、地図でみても、さらには実際の行政管理場も市川市のほうが圧倒的にしっくりする。
それは江戸川区の憲さんも認めるところである。
しかし、この河原番外地が「自分たちの土地」という住民感情が江戸川区の人に本当にあるのだろうか?
それははなはだ疑問である。
東京都江戸川区と千葉県市川市にある都県境未確定地の「河原番外地」。
それは憲さんの住むところから身近にある「番外地」であり「県境未確定地」である。
都県境をハッキリさせてしまうより、このまま曖昧にしておいて、ちょっとしたミステリーを残しておいたほうが、江戸川区民、市川市民にとっては楽しいかもしれない。
憲さん、そんなことを考えながら春になったらお花見がてら篠崎水門に遊びに行こうと考えたとても素敵な東京新聞の記事でした❤
どーよっ!
市川市民!
どーなのよっ?
追伸!
憲さんこの随筆を書くにあたってこの辺りの地図をみていたらいろいろなことを発見しました!
この辺り、結構いわく付きの土地でもあります!
それについてはまたの機会に!
( ̄ー ̄)ムフフ
以下、念のため記事全文を採録しておきます。
TOKYO発 都県境をゆく
(1) 陸続きの最東端はどこ? 江戸川区だけど...未確定
日ごろ、「都県境」を意識しないかもしれない。でも「どこまでが東京?」。そんなことを考えて歩くのも楽しい。「境界」を越えると少しワクワクする。この企画は、そんな「都県境」のお話です。
東京都の最東端は「核のごみ」文献調査が始まった南鳥島だが、一般の人は行けない。では、行ける本土の最東端は江戸川区? 国土地理院の地図を見ると、千葉県市川市との「都県境」表示が途切れている。
「河原番外地です」。市川市総務課統計・住居表示グループ主幹の涌 (わく) 正裕さんによると、江戸川と旧江戸川が分岐するエリアの「角 (つの)のような土地」をそう呼んでいる。市川市は旧江戸川以東を「市内」、江戸川区はこの土地の一部を「区内」と主張する。都県境が決まっていないため、最東端もはっきりしない。
1978(昭和53)年、市川市が住居表示のために実地調査をした際、境界の未画定が発覚した。河原番外地は江戸川区にとって飛び地。旧江戸川の真ん中に沿った線を都県境とした方がしっくりくるが..⋯。
話は約100年前にさかのぼる。1920(大正9)年、江戸川の氾濫対策で江戸川放水路(現在は江戸川)が造られた。水閘門(すいこうもん)工事などを経て、44~46年ごろ、江戸川と旧江戸川が現在の形になり、「角のような部分」が生まれた。
地方自治法は「普通地方公共団体の区域は、従来の区域による」と定める。この付近の都県境は 1895(明治28)年成立の「東京府埼玉縣 (けん) 千葉縣茨城縣境界變(へん) 更法」で定められた。工事によって江戸川の流れが変わっても都県境は変わらないというわけだ。
市川市は「だったら境界線を示して」と江戸川区に申し入れているが、回答はない。江戸川区は 「根拠がないので示せない」という。境界を定めた時代の正確な地図が国立国会図書館でも国土交通省でも見つからない。
現地に向かった。地下鉄篠崎駅前からバスに乗り、ポニーランド停留所で降りて、河川敷を10分ほど歩くと、江戸川水門が見えてくる。水門の横に橋があり、渡った先が河原番外地だ。
住んでいる人はいない。唯一ある建物が国交省江戸川河川事務所・江戸川河口出張所。都県境は未画定だが、地番は江戸川区東篠崎町250。 「かなり前からそうなので、分かる人がいない」 という。出張所ができたのは1987年。地番がないと不便なので、便宜的に付けられたようだ。
橋を行き交う自転車が意外に多い。グラウンドで野球をする人もいる。市川市で買い物した帰りの江戸川区の男性(58)に境界未画定について尋ねると、「聞いたことがあるけど、気にしたことはない」。
巡回中の千葉県警の警察官にも尋ねた。「けんかなどトラブルがあれば、境界は気にせず対応します」。事件なら「警視庁と協議し、合同捜査になることがあるかもしれません」と話した。ちなみに、火事は市川市消防局、ごみ収集は市川市が請け負う。
市川市の方がやはりしっくりきそうだが、そうなると「江戸川区の土地」を他の自治体に譲ることになり、議会の議決など法的な手続きが必要となる。「自分たちの土地」という住民感情への配慮も必要だ。
江戸川区と市川市で対面による協議を10回したが、結論は出ない。とはいえ、花火大会で協力するなど、関係は良好だという。(随時掲載)
文と写真・小坂井文彦/紙面構成・宮崎仁美
以上