※画像は今はなき川原湯温泉聖天様露天風呂の湯船
 
※この随筆は2006年5月28日に執筆したものに加筆修正しました。
 
温泉道【おんせんどう】
 
私が極めたいと願い、日々精進する長く険しい道である。
 
この温泉道を極めるに当たり、いくつかの礼儀作法がある。
 
●入湯の礼儀作法
 
温泉に限らず、銭湯でも湯船に入る前は必ず身体にかけ湯をして、洗い流す。タオルは湯につけない。入浴作法のイロハ。当然のマナーである。
 
参考
「温泉・お風呂のご入浴のマナー」
 
最近はひどすぎる。各地の温泉、特に共同場でこれでもか、これでもかと痛々しい張り紙が目に付く。「水着や下着で入るな」「洗濯するな」「飲食するな」「ごみを捨てるな」果ては「泳ぐな」「犬を洗うな」「いかがわしい行為をするな」等々である。
 
共同場、特に温泉街の安価な、もしくは無料の共同場は、その温泉街の方々の寛大な好意で一般に開放されている。そこにはなみなみならぬ努力と労力が注がれてる。湯の入れ替え、毎日の清掃、管理等々。
 
以前、早朝の5時に浸かった24時間開放されている湯西川温泉の薬師の湯は朝の5時半に、当番の掃除のおばさんが清掃にきた。
 
参考
【湯西川温泉 薬師の湯】
※2019年3月をもって閉鎖!
 
このように、地元の方々は多くの人たちに自分たちの自慢の湯を味わってもらおうという善意でたゆまぬ努力を続けている。
 
それを踏みにじる行為をする輩が多すぎる。
 
●言語道断の温泉外道の行為
 
去年行った伊豆修善寺温泉独鈷の湯(とっこのゆ)は、以前には湯船に高温の温泉がなみなみと注がれていたのに、このとき行ったときには足湯状態になっていた。
 
参考
【修善寺温泉 独鈷の湯】
※2023年現在は見学のみ!
 
地元の人にその理由を尋ねたら、以前、変態野郎が白昼入浴すると見せかけ、道行く女性に全裸の姿を見せ付けるという事態が続いたので、このような措置をとったということだ。
 
川治温泉の薬師の湯も以前は24時間入れたものが、前回行ったときは夜間使用不可となっていた。夜、飲食しながら騒ぎ散らかす輩がいたからだそうだ。
 
参考
【川治温泉 薬師の湯】
※2009年にリニューアルされた
 
悲しい話である。怒りを禁じえない。
 
地元では防衛策として、夜間使用禁止にするならばまだしも、地元の人しか入れないようにしたり、カギをかけたりと防衛策をとるようになってきた。地元の人としても苦渋の選択であろうが、本当の温泉好きの者からいっても大迷惑な話である。
 
●地元の宝、共同湯
 
共同湯は本来、温泉地の地元コミュニティーの共有物であり、地元の方々の生活に根付いた公共の施設である。以前、伊豆の湯ヶ野温泉の伊豆の踊り子で有名な地元の人専用の共同湯に特別許可をもらって入ったとき、それを痛切に感じた。
 
参考
湯ヶ野温泉共同浴場と伊豆の踊子
 
共同湯に入るときは「金払ってるんだから堂々と入って何が悪い」と湯につかるのではなく、「こんなに安く、地元の良質な湯に浸からせてもらってありがたい、ありがたい」と恐縮し、詫びながら、場合によっては念仏を唱えな?ら入浴するくらいの心がけが必要では無かろうか?
 
そのような共同湯では温泉道の礼儀作法として、地元の方がいたら軽く挨拶をして、感謝しながら入浴する。入浴中はあまりおしゃべりせず、静かにゆっくり入る。温泉の薀蓄を偉そうに語るなどもってのほか、地元の方に話し掛けられたら、その話をよく聞き、含蓄ある温泉の話に聞き入る。といったぐらいの心構えが必要である。
 
飲食して、ごみを散らかしたり、泳いだり、洗濯したり、エッチしたり。論外である。
 
と。前ぶりが長くなってしまったが、今回も温泉道から外れる外道の言語道断たる悪逆非道な行為を目の当たりにして、温泉を愛するものとして、悲しく不愉快な思いをしたので報告する。
 
●ダムに沈む温泉、川原湯温泉
 
群馬県吾妻郡長野原町に建設が予定されている利根川水系吾妻川を堰き止める巨大ダム。八つ場(やんば)ダムにより数年後は温泉街全てがダム湖に水没してしまうという、川原湯温泉を訪れた。
 
参考
【川原湯温泉】
 
【八ッ場ダム】
 
聖天様露天風呂は温泉街の道から少し登った山の斜面にある、入浴料100円の共同湯である。
 
参考
【聖天様露天風呂 閉鎖】
※聖天様露天風呂は2013年6月をもって閉鎖
 
あずま屋風の作りで、三方は開けっ広げの半露天風呂。5人も入れば一杯となってしまう湯船だが、80度の硫黄臭のする源泉が、かけ流されている良質の湯だ。湯口にはコップもあり飲泉もでる。
 
私が行ったときは地元の方が3人先に入浴していた。地元の人はその入浴のスタイルですぐそれとわかる。軽く挨拶をして入湯。至福の時間を味わう。
 
地元の人は寡黙で、若干憮然としていた。地元オーラがはっきりとでている。お互い言葉も交わすことなく黙々と湯に浸かる。
 
私は旅の者なので、残念だが30分そこそこで入浴を切り上げる。地元の方は当然まだ入っている。おそらく半日はそこで入ったり出たりするのだろう。
 
そして、私が脱衣場で服を着始めたところ、一人の地元の人が、おそらく私が出たのを見計らって行動を開始した。彼はこうつぶやいていた。「今日は、湯が汚いしぬるい。湯を半分入れ替えよう」「朝来たときにこうだった。おそらく“よそ者”が水で薄めて汚していったのだろう」
 
気持ちはわかる。本来であれば、地元の者だけで大切に管理し、使いたい大切な財産である温泉。できればよそ者には使ってほしくない。もし使うのであれば、少しは遠慮してマナーを守って利用してほしい。
至極当然の気持ちだ。
 
●悪逆非道な悪魔の所業
 
彼からはそのように傍若無人に利用する“よそ者”の輩に対する怒りがその言葉と行動にありありと表れ、それはその場にいる“よそ者”の私にも突き刺さって来る無言の批判であった。
 
そして、彼は見てしまった。
 
湯船の脇にある、廃湯が注がれる側溝に。そこは湯船から深い位置にあるためあまり目に付かないのだが、人体から定期的に排出される固形の物体を!
 
彼は総毛立った。当然だ。「さっきっから、何かにおうと思ってたらこれか!便所が開けっ放しだったからと思った。こんなことやるのはよそ者に違いない!」怒りで言葉が震えている。
 
幸いにして私は鼻がきかないので臭いは感じなかったが、一瞬にして興ざめだ。地元の人3人ががかりで湯船の湯を桶ですくい、その物体にかけて、遠くに押しやろうと必死になっている。私はなすすべもなく立ち尽くす。
 
温泉を愛する者でこんなことをする人がいるはずない。いわんや地元の人が。
 
こんな行為に及ぶ輩は万死に値する。トイレは脱衣場の脇に設置されているのだ。何を考え、何を思いこのような行為に至ったか理解不能だ。おそらく、その精神が腐敗しきっているに違いない。
 
私は悲しい気持ちと深い憤り、そして地元の人たちに対する同情の念を感じながら、その場を後にした。
 
次に訪れたとき、この湯に鍵がかかっていないことを切に願ってやまない。
 
川原湯温泉。
 
長い歴史を誇り、熱く、良質の湯をたたえるこの温泉地がダムに没することに深い悲しみを感じる。国家の温泉無視のダム計画に怒りすら覚える。願わくば計画が変更され、未来永劫残されることを切に願ってやまない。
 
その気持ちと同じだけ、このように、大地からの恵みである温泉を冒涜する輩がこの世から駆逐され、地元民と、真に温泉を愛してやまない者が子々孫々にわたり温泉を愛で、楽しめる世の中が来ることを心の底から祈ってやまない。
 
どーよっ!
 
どーなのよっ?
 
※旧川原湯温泉は、八ッ場ダムの2019年10月1日からの試験湛水によって完全に水没した。
この八ッ場ダムの建設により、元々の温泉街のあった場所は、ダムにより形成された八ッ場あがつま湖(ダム湖)に水没した。そのため、旧温泉街より南側の高台に旅館などを移転して新温泉街を造成した。
旧温泉街の共同浴場は2014年6月30日の「王湯」の閉館をもって全て閉鎖され、「王湯」は翌月5日より高台にある新源泉のもと王湯会館として営業を再開した。
この新源泉は高温のため、源泉にて温泉卵を作る光景がよく見られる。また、新源泉の近くでは足湯が楽しめるようになっている。