※画像は当代隅田川馬石。
鼻の下の大きなホクロから劇団に所属していた頃には、劇団長の石坂浩二から「鼻クソ」と呼ばれ、かわいがられていたそうである。
 
今朝、TBSテレビの落語研究会で大変珍しい噺を聴いた。
 
「お富与三郎 発端(ほったん)」である。
 
「お富与三郎」と言えば言わずと知れた歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」が有名である。
 
『与話情浮名横櫛』は嘉永6年(1853年)5月、江戸中村座にて初演された歌舞伎の演目であり、通称『切られ与三』、『お富与三郎』、『源氏店』(げんやだな)などと呼ばれている。世話物の名作のひとつである。
 
この芝居、長唄の四代目芳村伊三郎が木更津で若い頃に体験した実話をもとにしたものでそれが講談となり、さらにそれを三代目瀬川如皐の脚本で舞台化(歌舞伎化)したものである。
 
参考
【与話情浮名横櫛】
 
我々の世代になると、この「お富与三郎」は・・・
 
♪粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店♪
 
・・・の歌詞で知られる1954年発売の春日八郎の歌謡曲で知っている。
 
参考
【お富さん】
 
音源
 
※ちなみに憲さんこの唄を友人の結婚式で歌って大顰蹙(ひんしゅく)をかったことがある・・・。
 
(´Д`)=*ハァ~
 
しかし、この話が落語にもあることは憲さん不覚にも知らなかった!
 
参考
お富與三郎~五街道雲助・金原亭馬生・一龍斎貞寿
 
この噺、今ではほとんど高座にかからないようである。
 
「落語研究会」の解説者京須偕充(きょうすともみつ)さんの話によると、これは今回の演者の隅田川馬石さんの師匠筋の流派しか噺さないそうである。
 
そもそも、憲さんこの当代の隅田川馬石さんの存在もその“名跡”の存在すらも恥ずかしながら知らなかった!
 
参考
【隅田川馬石】
 
落語協会ホームページ
 
今回演じた当代は1969年生まれというから憲さんの2つ下。ほとんど同世代である。
 
この「隅田川馬石」という名跡は、両国の横網にある馬を繋ぎとめる石と隅田川のほとりの場の石から出来た名前で、初代金原亭馬生が弟子をつれて隅田川のほとりを散歩している時に思いついたものとされるそうである。
 
参考
【初代金原亭馬生】
 
なのでこの「隅田川馬石」という名跡は「金原亭馬生」の“馬派”の筋らしい。
 
さらに、これは五代目の古今亭志ん生師匠も短い期間ではあるが名乗っていた名跡のようである。
 
参考
【古今亭志ん生 (5代目)】
 
ところで、金原亭馬生の名跡の由来も野馬の生産地として有名な金原(こがねがはら・下総中野牧の一部)で馬が生まれるという意味の地口であり“隅田川馬石”と同じ地名絡みの地口名跡である。
 
参考
【金原亭馬生】
 
事実、この当代の師匠は当代五街道雲助師匠であり・・・
 
参考
【五街道雲助】
 
落語協会ホームページ
 
憲さん随筆
憲さん随筆アーカイブス 首尾の松で首尾よく契り❤️ 五街道雲助師匠で「お初徳兵衛」を聴く
 
憲さん随筆
真夏の怪談、五街道雲助師匠『もう半分』
 
(それにしてもこの当代の五街道雲助師匠は“渋い”噺をよく高座にかけてくれるものである!)
 
その師匠、すなわち当代の大師匠が先代の十代目金原亭馬生師匠(五代目古今亭志ん生の長男)である。
 
参考
【十代目金原亭馬生】
 
憲さん随筆アーカイブス 秀逸落語紹介 金原亭馬生『笠碁』を聴く
 
いずれの師匠もこの「お富与三郎」の噺をしたという。
 
そして、今回の噺は「お富与三郎 発端」ということで、与三郎が木更津に行くこととなったその“発端”の話なので、舞台は木更津でも玄冶店(げんやだな)でもない。
 
与三郎が跡取りとなる鼈甲問屋、伊豆屋(これは本来日本橋横山町にあるが、隅田川馬石さんの噺では両国横山町?となっている)での放蕩息子時代の噺である。
 
参考
『お富与三郎~発端から木更津まで』あらすじ
 
なので当然まだ“お富さん”は出てこない。
 
そして、与三郎もまだ斬られる前で初々しく若々しいうぶな“色男”である。
 
そして、与三郎もその存在感が薄い。
 
この「お富与三郎 発端」の噺の主役は前半は与三郎と一緒に“なか(吉原)”に繰り出す下田屋茂平であり、中盤は与三郎を強請(ゆす)る船頭の仙太郎であり、後半はその仙太郎を殺す浪人関良介である。
 
参考
隅田川馬石の「お富与三郎 発端」
 
この噺、聴いていて楽しい話ではない。
 
しかし、人間の“業の深さ”や“不気味さ”を秘めた得も言えぬ人間の「凄み」を感じる噺である。
 
そういう意味ではこの後展開される「お富与三郎」の話の“プロローク”としてはうってつけなのかも知れない。
 
また、「山谷堀」「見返り柳」「柳橋」「首尾の松」「吾妻橋」「薬研堀」「九段」「飯田町」「牛ヶ淵」と江戸・東京の地名もふんだんに出てきて東京の地名マニアの憲さんにとってはそういう意味ではとても楽しい噺であった。
 
そして、噺を見終わった後は思わず「上手い!」と憲さん唸ってしまったね。
 
落語の「お富与三郎 」、噺家の隅田川馬石さん、落語マニアを自称する憲さんもまたまだ知らないことがたくさんあると痛感した日曜の早朝の一時間であった。
 
いや~、やっぱり落語は楽しいですな!
 
どーよっ!
 
どーなのよっ?
 
※こちらは隅田川馬石さんの師匠、五街道雲助師匠の「お富與三郎 発端」