※画像は綱島温泉「綱島源泉 湯けむりの庄」
唐突だが、憲さんがはじめて黒湯に浸かったのは中学校一年生の時だった。
忘れもしない。
千葉県は銚子の手前、旭市(旧飯岡町)にある飯岡温泉である。
参考
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飯岡温泉
憲さんが中学校一年生ということは当時1979年でまだ温泉ブームも到来してはおらず、もちろん憲さんも“温泉マニア”になる前の話である。
憲さんが所属していた中学校の陸上部の合宿でこの飯岡温泉の国民宿舎飯岡荘に宿泊したときに大浴場で入湯したのだ。
参考
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【国民宿舎飯岡荘】
この国民宿舎、現在は民間に引き取られたが今でも「いいおか潮騒ホテル」として営業しているそうである。
まだ幼顔の残るいたいけな当時の憲さん、もちろん温泉なんかには何の興味もなく当時は陸上と好きな女の子(由紀江ちゃん)のことで頭が一杯であった❤️
温泉など全く興味がなかった・・・。
(´艸`)くすくす
陸上の練習を終えて、食事前に汗を流そうと陸上部の仲間と入ったのが飯岡荘の温泉であった。
浴場に入ると“ムッとする異臭?”と共に浴槽いっぱいに真っ黒な湯が満たされるのが目に飛び込んできた。
温泉マニアとなった今でなら
「キターっ(゚∀゚ 三 ゚∀゚) 」
極濃のモール泉!
憲さん大好物!
と脳内温泉アドレナリンが出まくって欣喜雀躍するところだが、当時の「いたいけな憲さん」は・・・
「太陽に吠えろ」のジーパン刑事演ずる松田優作の如く
「なんじゃこりゃ~?」
と目ん玉が飛び出そうになって
「これ、泥じゃね? きったねー!」と陸上部の仲間と顔を見合わせてしかめっ面になったのを覚えている。
しかし、浴室は当然この大浴場しかなく渋々入湯すると湯がヌルヌルし、これまた普通の更湯とは違う感覚。
さらに、身体を洗おうと白いタオルをその黒い温泉に浸けると真茶色に染まってしまい、いくら水道水で濯(ゆす)いでもその色は落ちることはなかった・・・
と、このように憲さんといわゆる「関東近郊に湧き出る黒湯=モール泉」との出会いは大変衝撃的なものであったのだ!
参考
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【モール泉】
こんな強烈な黒湯を思い起こさせる温泉に昨日釈迦男と入りにいった。
場所は鶴見の北寺尾にある釈迦男邸から自転車でわずか15分のところにある。
その名も由緒正しき「綱島温泉」である。
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【綱島温泉】
綱島というと東急東横線の駅であり、何のことはない住宅街なのだが・・・
実はこの綱島温泉はウィキペディアにも書いてあるように戦前・戦後は、“東京の奥座敷”と呼ばれ大きな温泉街であったのだ。
最盛期の1960年には80軒の温泉旅館があり、東京近郊の温泉地として賑わいをみせていた。それは綱島西地域の周辺に多かった。まず、温泉が最初に発見された樽町地域に温泉街ができ、次に東京横浜電鉄(現・東急東横線)の開通後に綱島温泉浴場(東京横浜電鉄の直営)周辺の綱島東地域の温泉街化が始まり、昭和になり綱島西地域の温泉街化が進みこの地域に最も多くの宿泊施設が作られたそうである。
なので、現在の綱島駅も戦前までは「綱島温泉駅」であったそうだ。
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【綱島駅】
実はこの鶴見川周辺にかけては東京の大田区周辺に並んで黒湯が湧出する憲さん呼ぶところの「黒湯銀座」なのである。
以前、これまた釈迦男と行った以前の釈迦男邸近くにある「日本一の黒湯」とうたわれた生麦温泉の温泉銭湯朝日湯などもこのエリアに存在し、ここなどはまさにその建物の意匠といい「KING OF 黒湯」の名に恥じぬ風格である。
参考
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朝日湯|生麦銭湯散歩①|日本一の黒湯|湯活レポート(銭湯編)
これについては憲さんも以前レポートを書いたはずだが、ブログにアップせず紛失してしまったようである。
残念!
で、今回行ったのは現在は三件に減ってしまった綱島温泉の中の一つ、日帰り入浴施設、いわゆる「スーパー銭湯」の「綱島源泉湯けむりの庄」である。
こちら
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【綱島源泉湯けむりの庄】
この日帰り入浴施設、以前全盛を極めた綱島駅西側の「綱島西地域」からは離れており、いわゆる「綱島東地域」である。
それも、綱島西地域は鶴見川左岸にあるのに対して、この施設は鶴見川右岸に位置している。
まさに北寺尾にある釈迦男邸と綱島駅との中間地点に立地しているのだ。
昨日は午前中に釈迦男邸の裏に数年放置されていた釈迦男ママ所有の五段変速付きママチャリと釈迦男の自転車を憲さんが丁寧に整備してやった。
それを記念してどこか自転車で「探検」しようということになり、スマホの地図アプリで探したらこんな近いところに「温泉」があることを発見!
「お家でゲームをやりたい!」とグズる釈迦男を説得して午後3時、出かけることにした。
横浜は東京に比べ坂が多い。
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横浜は坂が多い街
現在の釈迦男の家も二つ池を底とした谷にへばりついているような立地だ。
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【二つ池】
自転車を谷底に下ろすのに階段しかなく難儀する。
自転車をおろし、坂道を避けて、少し遠回りして二つ池の縁を通り商業施設トレッサ横浜を横目に綱島街道に出て左折。しばらく自転車をこぐと到着である。
所要時間15分。極めて近い!
施設の外観は極めてお洒落である。
貧乏性の憲さんとしては、このようなお洒落で高級感のある外観は少したじろいでしまう。
自転車を駐輪場におき、いざ!入館!
簡単にいうとそのシステムは先日入湯した船橋の入浴施設「船橋温泉 湯楽の里」と同じである。
こちら
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憲さんの温泉漫遊記復刻版! 最深度掘削温泉おそるべし! 憲さん船橋温泉を堪能するの巻き
ただし唯一違うのは「館内着」も貸し出してくれるというところである。
なので、当然ながら施設利用料も休日は約1500円と割高感は否めない。
館内着を貸与するということは「半日~一日かけて館内でゆっくり寛(くつろ)いでください」という施設側の意思表示のあらわれでもあるのだ。
そういう意味では、短時間でリーズナブルに温泉そのものを味わう派の憲さんには少し「敷居が高い」(俗用での意味)存在である。
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「敷居が高い」の意味は?
早速釈迦男と浴場に向かう。
驚いたことに浴室内にこれまた憲さんの好物の「盆栽」が飾ってある。
槙(まき)だろうか?
しかし、ここまでして高級感を演出しなくても・・・
そもそも浴室は盆栽の生育によいのであろうか?
少し心配になった。
さらに、浴びせ湯が低温なのが気になった。
はじめに浴びる「浴びせ湯」はやはりお湯でなくてはなるまいに・・・。
浴槽の種類はほとんどのスーパー銭湯とかわりない。
いろいろな種類があり釈迦男も飽きることがない。
しかし、この施設の特徴的なことはその各種浴槽の半分以上に温泉が使われているところにある。
普通このような施設では船橋温泉のように大深度地下から汲み上げた温泉を1つか2つ(男女併せればその倍)の浴槽に細々と注ぐのが常である。
しかし、この施設は露天にも室内にも、さらには水風呂、人工炭酸泉にも惜しみ無く温泉を利用しているのである。
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これは天晴れである。
それだけ湧出量が多いのであろう。
実際、その湧出量は1分あたり240ℓと豊富である。
早速、室内の温泉に浸かってみる。
黒い!
というか茶色い!
特濃のモール泉である。
入湯すると湯が身体にまとわりつくような感覚がある。若干ではあるがヌルヌル感いわゆる「鰻の湯」感があり、実際湯船の周りのタイルはよく滑りそうである。
室内での温泉をまず最初に堪能してから今度は屋外の露天エリアに出る。
やはり真ん中に黒湯がたたえらすれた温泉湯船がある。
当然そこに入る。
室内の温泉湯船は39.5度に温度設定されているが、露天は高めの42度である。
湯船に半身浴で浸かると上半身は初冬の冷気にさらされ、下半身は42度の温泉で温められる。
至福の時間である。
ふと目を上座に向けると「源泉掛け流し」とある。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
今浸かっている湯船の更に上には「源泉掛け流し」の湯船があるというのか?
それはまさに贅沢である。
温泉はそれは「源泉掛け流し」*にこしたことはない。
しかし、それお湯を棄てても余りある地域においての姿ではなかろうか?
昨今の「源泉掛け流し」原理主義の蔓延により、湯量の少ない温泉でもどうにか無理をして「源泉掛け流し」をしようということなのだろうか?
先日の随筆にも書いたが、憲さんこのような大深度掘削和泉による「地下資源の枯渇」を心底心配している。
私たちは、その限られた資源において、限られたなりに自然から与えられた地下資源を最大限に有効活用する義務があるのだと考える。
まさに「限られた資源を大切に」せねばなるまい。
源泉掛け流し湯船に入りながらも憲さんはそう深く思索せざるをえないものであった。
その後、身体を洗って全ての湯舟と乾式、湿式サウナを堪能し、釈迦男のサウナデビューを見届け、さらに異状に冷たい鉱泉水風呂に凍えながら、浴室を出て、温泉から出たら「早く帰りたい!」とまたワガママをのたまう釈迦男を尻目に館内着に着替え、休憩室で小一時間ばかり寛いで、憲さんと釈迦男は綱島温泉を後にするのであった。
(´Д`)=*ハァ~
この綱島温泉、歴史に裏打ちされた名湯であることは間違いありません。
「綱島源泉 湯けむりの庄」は露天の植栽が一部枯れており、そこにかわいいネズミが巣くっていることを差し引いても1500円で関東屈指の黒湯を堪能できることは請け合いです。
半日~一日、まったり過ごすことを前提に楽しまれることをお勧めします。
是非とも東京・横浜の「奥座敷」綱島温泉に遊ばれることをお勧めします。
( ̄ー ̄)ムフフ
今度はどこの温泉に行こうかな~?
どーよっ!
どーなのよっ?