
※画像は北海道栗山町開町の祖、泉麟太郎翁
最近、憲さんは人の“ファミリーヒストリー”をあれこれと想像することにはまっている。
(´艸`)くすくす
昨日、憲さんが書いた随筆はこれだ!
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憲さん随筆
仙台藩伊達家のその後 人それぞれの『ファミリーヒストリー』を辿る
これは、憲さん随筆の読者の村上さん(女性)からのラインで、彼女の祖先が「(仙台藩)伊達家と共に、北海道に渡った」というキーワードだけで、憲さんが葛西のアパートに居ながらにしてネットの情報を駆使して、あれこれと人様のルーツを詮索するという「ファミリーヒストリー」探偵随筆である。
すると、またしても村上さんからメールが届いた!
それが以下である!
どーよっ‼️
伊達藩編😊
我が家の先祖は夕張市の角田村…今の栗山町…に開拓団として移り住んでいます。
3年前、次女と立ち寄ったのですが、角田神社の門前に祖々父の事が書いてありました。
それにしても、憲さんの知識量、探究心には驚かされてばかりです😳
以上!
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
前回憲さんが予想したのは村上さんの祖先は、亘理(わたり)伊達氏で、北海道有珠郡の開拓を命じられ北海道伊達市の礎となっているか、札幌市豊平区平岸に入植した水沢伊達氏の系列と予想したがことごとく外れてしまった!
村上さんの祖先は、前回の随筆でも紹介したところのこれ
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「角田石川氏(宮城県南部、現在の角田市周辺を治めていた)主従は、室蘭郡(現在の室蘭市)に入植後、元家老等一部を残し空知地方に入植した(現:栗山町)」
すなわち、角田石川家と共に北海道の現栗山町(旧角田町)に入植した方のようなのである。
角田石川家は初代当主石川昭光を祖とする仙台藩一門筆頭である。
【石川昭光】
幕末期の当主は角田石川家第14代の石川邦光で、宮城県伊具郡角田町初代町長である。
参考
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【石川邦光】
この方、仙台藩一門筆頭として戊辰戦争で活躍したが、仙台藩降伏により失領した。
その後北海道に渡り室蘭に入植している。
その後も波瀾万丈の人生だったようだ。
それが、「角田石川氏主従は、室蘭郡(現在の室蘭市)に入植」の部分である。
そして、その後角田石川家中は「元家老等一部を残し空知地方に入植した(現:栗山町)」とある。
これが、村上さんの祖先なのであろう。
では、角田石川家中の北海道空知地方への移住とはどのようなものだったのだろうか?
それが、現在の栗山町(旧角田村)の歴史を繙(ひもと)くとわかってくる。
角田町の歴史は泉麟太郎氏抜きには語れないようである。
泉麟太郎(1842-1929)は陸奥仙台藩角田領主石川邦光の家臣。明治3年邦光の命で第1陣51人とともに北海道室蘭郡に移住したが、失敗。その後明治23年夕張郡アノロ原野に1村をつくり,角田村(現栗山町)と名づけた。
とある。
参考
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【泉麟太郎】
また、栗山町のホームページにもこうある。
1888年(明治21年)5月16日宮城県角田藩士泉麟太郎氏が「夕張開墾起業組合」を設立7戸24人が阿野呂川左岸(角田)に入植。
参考
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町名の由来・歴史について
この人こそ、角田村創設の立役者なのであろう。
そして、村上さんのご先祖もこの泉麟太郎氏と共にこの角田の地に入植したのではないかと思われる。
しかし、この泉麟太郎という御仁は元士族であるが、相当な人格者であったようだ。
憲さん調べていて感動した!
「泉鱗太郎 室蘭、栗山の開祖 北海道開拓の原型をつくる」にはこう書いてあった!
以下引用
こうして明治22(1889)年には新聞で移民を募集し、岩見沢間の道路を開き、神社を奉祠し、23年5月8日角田村の公称を得、教育施設、請願巡査を置いた。
また26年には水稲試作に成功、28年水利組合を組織し、31年日本勧業銀行より4万円の資金を借入れ、全道にその例を見ない一大灌漑溝を完成したのが33年6月。明治35(1902)年から農会長として立村の基礎を打ら樹てた。以来1200haの美田を造成して、角田米の名声を拍すようになった。31年、開発の元勲功労者として藍綬褒章を下賜されている。
■鱗太郎のもつ公益性の凝結
明治の士族開拓で活躍した開拓指導者の中には、事業が軌道に乗ると本道を離れ故郷に戻る者も多かったのですが、鱗太郎は先頭に立って開拓の鍬を下ろした以降、大正2年の大冷害を契機に2度目の村長就任を果たすなど、昭和4(1929)年に亡くなるまで栗山の町の発展に生涯を捧げました。『栗山町史』は次のように麟太郎の功績を讃えています。
鱗太郎の公職は、26年間にわたる角田村の土功組合長をはじめ、総代となり村会議員3回、学務委員2回を勤め、明治40(1907)年には一級町村長となって4年、次いで大正4(1915)年には再び村長に就任した。また明治37(1904)年には道会議員に当選するなど、わが村、わが道政のためにも貢献するところ大であった。
しかも鱗太郎は私有地の一部を割いて共有地を設け、町有財産の基礎を開いたことは、町の今日の発展の礎となったもので、麟太郎の強い公益観念の発露といえよう。
栗山町に生き続けるこの開基精神は、ことごとく鱗太郎のもつ公益性の凝結したもので、町有農地開発経営、町有林の経営などその事績の顕著なばかりでなく、町各般の施設はみなこの伝統に立っており、内においては見るべきものがあり、外においては良き模範となって、町全体の業績を高める結果となり、その功は町民の深く盛銘するところであった。
以上
参考
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【泉麟太郎】
この御仁、戊辰の役の際には白河口で政府軍と一戦を交えた仙台藩の士族である。
それが「武士の商法」ならぬ、「武士の農業」で「御一新」の後に未開の北海道で「先頭に立って開拓の鍬を下ろし」その後の半生を北海道開拓に捧げたといのだから驚いた!
それも、「私有地の一部を割いて共有地を設け、町有財産の基礎を開」くなどサイトにもあるように、大変公益性の高い思想を持ち合わせていたようである。
また、北海道で稲作栽培を目指す麟太郎は、稲作に不可欠な感慨施設を作るために・・・
このようにしたそうである。
「麟太郎たちはあきらめませんでした。官が頼りにならなければ自分たちで事業を起こす──。鱗太郎が立ち上げたもう一つの開拓会社真成社を解散し、会社が持っていた土地を社員に分配するとともに、これを原資に各自が出資することにしたのです。事業規模も3万円から2万円に縮小し、官に頼らないで造田事業を行うことにしました。」
参考
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麟太郎、日本勧業銀行を動かす
まさに、官に頼らず自力自闘。自主管理、自主生産の思想である。
武士から百姓となり、未開の北海道の開拓でこのような人がいたとは憲さんまったく知らなかった!
憲さんにわかに「北海道開拓マニア」になった!
それにしても、この「麟太郎」氏、歴史にはもう一人「麟太郎」を名乗る有名な「武家」の御仁もいるが、憲さんから言わせればこっちの御仁の方が百倍も千倍も立派である!
参考
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【勝麟太郎】
「麟」とは、中国の想像上の獣「麒麟」のことを指すが、聖人が世に現れるとき出現するとされ、聖人・英才にたとえられるのだが、まさこの泉麟太郎氏は「麟」であろう。
参考
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【麟】
泉麟太郎という存在、憲さんがまったく知らなかった。
NHKも是非ともこのような人を大河ドラマの主人公にしてもらいたいものである!
このような歴史に埋もれた「麟」なる人を知るのも歴史探偵の醍醐味であろう。
教科書に載らなくても尊敬できる人はいるはずである。
皆さんもそのような人を是非とも探してみてください!
現在、栗山町役場には泉麟太郎翁像がたち、今も北海道の大地を見守っていてくれている。
参考
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栗山町の祖
どーよっ!
どーなのよっ?
※泉麟太郎氏に関してはこのサイトが大変詳しい。
是非とも参考に!
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【泉麟太郎】
※ちなみに、角田石川家中に「村上」さんを発見しました!
村上染五郎さん!
参考
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仙台藩一門 角田要害石川氏
もしかしたら村上さんのご先祖様かも知れませんね!
※いや~、それにしてもネットの力はすごい!
どの町の「町史」も簡単に調べられる!
追伸・「角田神社の門前に祖々父の事が書いてありました」とありますが、なんと書いてあったのでしょうか?
憲さんすごい興味あります!
( ̄ー ̄)ムフフ