こんにちは。
雨でしっとり・・・
テーマ
宇宙がないところからの子育て。
そもそも子供って何?
お母さんって何?人間って何?
そんな疑問もったことないですか?
卵子と精子が出会い、お母さんのおなかの中でお母さんから栄養もらって、10月10日、人間となっておなかの中からでてくる。
そして、今度は地球から、太陽から、宇宙からすべてとつながったところから栄養をもらって大人になる。そしてまた子供を宿す。
その繰り返し。
その最初の出発は何だったのでしょうね。
人間がいるのがあたり前のところから出発したら、
卵子と精子の出会いも当り前、そこから子供ができるのも当り前。
大人になったら当然のようにお父さん、お母さんになる・・それも当り前。
そんな感じですよね。
人間が何なのか本当はわからないのに、
その存在が当たり前すぎて、そこを疑問と思わず、
この目の前にいる人と自分そのものをどのようにつなげて、
生存させていくのか・・それだけなんだなって思います。
これ、どうですか?
自分も、自分が産んだ子も生存しなければいけないから、
その為に本能を使う。
でも人間はそこに考え、感情が生まれる。その考え、感情も何なのかがわからない。だからどんどん、どんどん生存することを複雑にしていって欲求が強くなってくる。
ただ生存してるだけではつまらない。
もっと便利な生活をしたい。
もっと豊かな生活をしたい。
もっと刺激が欲しい。
もっと生きてる感じをつかみたい。
人間が何なのか、なんでうまれてくるのかもわからずに
人間として存在するから
ただただ存在、生存したい思いで、一生懸命子育てをしてく。
例えば、学校で習う勉強。
そもそもなんで勉強するのか、それが自分とどうつながるのか
わからずに生きてくためには必要という漠然とした時代の欲求の中、
ただただ6歳になったら小学校で勉強をまなぶという義務と権利のなか、
目の前にあることを一生懸命暗記して覚えようとする。
これができたら〇、できなかったら×。
外から決められた基準に自分を合わせて判断するし、判断される。
安心がなーーい
それと子育ても同じになってませんか?
自分も子供も旦那さんも生存しなきゃで、産れたたからお世話する。
外からの情報を取り入れて、こうするのがいい、これをしたらダメ、こういう子育てできたら成功、できなかったらダメ・・と外から決められた基準に自分と自分の子供を合わせて判断するし、判断される。
勉強は正解があるけど、子育ては正解なんてないから、余計にあってるかどうか不安。
人間があるというところから出発すると、
基本が不安出発だから、条件状況が変わっただけで、浮き沈みの感情の起伏が起こりやすくなるし、しかも子供って自分とは全く違う人間なのに、無意識で自分んと一緒と思いがちだから、自分の思うとおりにならず、生存していくことに不安になってくる。
たくさんの問題が出てくるよに思えて、たくさんの悩みになって、そして解決できるものもあれば、解決されず蓄積されていくものもある。
そう、本当の人間の出発
さらに人間を生存させてる宇宙の出発を知らないと、
条件状況に振り回される、不安いっぱい育児しかできないんです。
大変ですよ これ。
私もいろんなこと経験しましたが・・逃げたくなるもん。
だから子育てには必要なんです。
「宇宙がないのが当たり前」の認識が。
人間の存在が当たり前なのではなくて、
人間存在は「わびさび」にも通じる、ほんの一瞬の奇跡の出会いの連続
なんだと そこの無限の可能性があるのだと。
何にもないところから、今ここ人間として、その中でもお母さんと子供というポジションをつくって出会ってること。
目の前の現実にとらわれたところかrではなくて、
もっと大きな観点をもって、それがどんなことなのかを、これから観ていきたいと思います。
そしてこちらをみていただきたい
http://www.nr-japan.co.jp/special/
雨でしっとり・・・
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宇宙がないところからの子育て。
そもそも子供って何?
お母さんって何?人間って何?
そんな疑問もったことないですか?
卵子と精子が出会い、お母さんのおなかの中でお母さんから栄養もらって、10月10日、人間となっておなかの中からでてくる。
そして、今度は地球から、太陽から、宇宙からすべてとつながったところから栄養をもらって大人になる。そしてまた子供を宿す。
その繰り返し。
その最初の出発は何だったのでしょうね。
人間がいるのがあたり前のところから出発したら、
卵子と精子の出会いも当り前、そこから子供ができるのも当り前。
大人になったら当然のようにお父さん、お母さんになる・・それも当り前。
そんな感じですよね。
人間が何なのか本当はわからないのに、
その存在が当たり前すぎて、そこを疑問と思わず、
この目の前にいる人と自分そのものをどのようにつなげて、
生存させていくのか・・それだけなんだなって思います。
これ、どうですか?
自分も、自分が産んだ子も生存しなければいけないから、
その為に本能を使う。
でも人間はそこに考え、感情が生まれる。その考え、感情も何なのかがわからない。だからどんどん、どんどん生存することを複雑にしていって欲求が強くなってくる。
ただ生存してるだけではつまらない。
もっと便利な生活をしたい。
もっと豊かな生活をしたい。
もっと刺激が欲しい。
もっと生きてる感じをつかみたい。
人間が何なのか、なんでうまれてくるのかもわからずに
人間として存在するから
ただただ存在、生存したい思いで、一生懸命子育てをしてく。
例えば、学校で習う勉強。
そもそもなんで勉強するのか、それが自分とどうつながるのか
わからずに生きてくためには必要という漠然とした時代の欲求の中、
ただただ6歳になったら小学校で勉強をまなぶという義務と権利のなか、
目の前にあることを一生懸命暗記して覚えようとする。
これができたら〇、できなかったら×。
外から決められた基準に自分を合わせて判断するし、判断される。
安心がなーーい
それと子育ても同じになってませんか?
自分も子供も旦那さんも生存しなきゃで、産れたたからお世話する。
外からの情報を取り入れて、こうするのがいい、これをしたらダメ、こういう子育てできたら成功、できなかったらダメ・・と外から決められた基準に自分と自分の子供を合わせて判断するし、判断される。
勉強は正解があるけど、子育ては正解なんてないから、余計にあってるかどうか不安。
人間があるというところから出発すると、
基本が不安出発だから、条件状況が変わっただけで、浮き沈みの感情の起伏が起こりやすくなるし、しかも子供って自分とは全く違う人間なのに、無意識で自分んと一緒と思いがちだから、自分の思うとおりにならず、生存していくことに不安になってくる。
たくさんの問題が出てくるよに思えて、たくさんの悩みになって、そして解決できるものもあれば、解決されず蓄積されていくものもある。
そう、本当の人間の出発
さらに人間を生存させてる宇宙の出発を知らないと、
条件状況に振り回される、不安いっぱい育児しかできないんです。
大変ですよ これ。
私もいろんなこと経験しましたが・・逃げたくなるもん。
だから子育てには必要なんです。
「宇宙がないのが当たり前」の認識が。
人間の存在が当たり前なのではなくて、
人間存在は「わびさび」にも通じる、ほんの一瞬の奇跡の出会いの連続
なんだと そこの無限の可能性があるのだと。
何にもないところから、今ここ人間として、その中でもお母さんと子供というポジションをつくって出会ってること。
目の前の現実にとらわれたところかrではなくて、
もっと大きな観点をもって、それがどんなことなのかを、これから観ていきたいと思います。
そしてこちらをみていただきたい
http://www.nr-japan.co.jp/special/