読者の皆様こんにちは。
3月になり冬も終わろうとしていますね。
わたしにとってこの1-2月は人生を左右した2ヶ月間だったと思い、
オペラのソリストとして、どうしていくかを根本から考えさせられた2ヶ月でした。
近所のテアトロコムナーレが設立されたおかげで、
大統領も招待されたコンサート週間では、わたしは市長から直接指名されて歌い、
こうして今シーズン(といっても4ヶ月間だが)の演目にはすべて呼ばれることになり、
まずは劇場シーズン開幕の理髪師に召喚され、
3月4月はこの公演で歌います。
また4月には劇場の春のガラで世界各地からソリストを招いて行なわれわたしも参加し、
6月はRossiniのスターバト・マーテル。
7月から椿姫のツアーが行われるが、これのみ、わたしはすでにROFから召喚されてるため参加できない。
まずは理髪師、スーパースター歌手の中でDon Basilioを2公演、Fiorelloを2公演歌うことになります。
Basilioは2018年4つのテアトロコムナーレで歌い、Fiorelloは2015年エストニア国立劇場で歌って以来。
しかしいちばん心に残る理髪師は2011年にフランス・ロワールの劇場とお城で歌ったBartolo役です、、、。
いまはスターバト・マーテルの最初の稽古のため、車で霧の中を走り、港そばのバールで時間を潰している。ついでにブログを書いてしまいましょう。
さて、おなかのCに関して、
続きを書こうと思うけれども、
今日の記事は、他の記事で、
いろいろとこれまで言いたりてない部分の補完になるでしょう。
というのも、わたしは常々、声門に空気を溜めるよう主張した、それは危険でもあり、また声門下圧の高い歌を実現するには必要べからずなことだった。
でも、前回の記事で述べたように、Sostegnoはみぞおちに来ないといけないと、生徒には主張した。
なにが欠けていたかというと声門下からみぞおちにかけ、当然通るべきルート、胸である。
今回は声門下圧に関する記事を準備してたけど、急遽一旦、この記事を急いでしたためました。
Colpo di petto、とは、いわばベルカントの死語です、が、わたしはじぶんの説明がうまくいくためだけにこの語を使いましょう。
胸が膨らむように早く息を吐いてください。
あなたが上手く歌うなら胸が隆起します。
マリア・カラスは難しいところを歌うとき、ここに手を当てました。
故・佐藤しのぶさんのミラノでの先生が、
colpo di pettoをvoce di pettoと勘違いなさる人は読者にはいません。しかし、ある種の歌手はColpo di glottide 声門閉鎖と勘違いする危険を犯しています。
むろん前述したようにあなたが圧力を整体に差し向けることそのものには賛成です。
問題はそこからです。
圧力の泡を胸に向かって移動させてください。
それは横隔膜の下の運動に基礎を置きますけど、
それはまるで声門下で吐き気が起こるようです。
また喉をうしろから前に押す感覚があります。
胸はゴールではありません。
しかし胸に圧を感じつつ、声門下圧が胸に移動したのを受け止めつつみぞおちにうけながすなら、その息のジラーレこそコペルトです。
ここでようやく、恩師Anna Maria Bondiの述べたジラーレとコペルトはおなじである、という達観にも似た意見へと、メカニカルにたどり着きました。
また、新ベルカント派の歌手Gregory Kundeの、カヴァーとは下方にむかう力である、を、
オペラ歌手の自分本意な解釈をするなら、胸からみぞおちにかけてのabbandonataこそカヴァーの核心です。
次回は、おなかのC文字のSostegnoにおける声門下圧に関して述べます。
では。