読者の皆様、
冬が始まろうとしています。
しかし日本は紅葉がいまだ美しく彩っていることでしょう。
去年末はわたしは妻を日本に連れてこの自然美を見せることができ、
とても幸運でした。
、、、、歌い手としてのいまのわたしはよく言えば、
近所の市立劇場のハウスゼンガー(専属歌手)であり、
ロッシーニオペラフェスティヴァルに呼ばれる常連です。
それはそれで、立派なひとりの職業音楽家ですが、
いまのわたしには情報こそ真の報酬で、
それは劇場に生徒を送る側として不可欠なものです。
その意味で大きな劇場でコーラスを始められたことは良かったですね。
10月は人生初のリーダーアーベントを、サンマリノ大聖堂ではミサを歌い、
11月はモーツァルトのレクイエムのソリストをキャンセルしたものの、
12月からは、内勤になった関係上、多く歌える予定で、
市のための宗教曲(ヴィヴァルディとヘンデル)のイベントを3晩した後は、
フォーレのレクイエムのソリストが2公演あり、
人生初の劇場コーラス団員の仕事で、まずアイーダを5公演参加します。
ちなみにパルマのコーラスには元同僚のオペラ歌手も何名かいて再会が楽しみです。
来年度はフォーレのレクイエムがさらに2公演、
1月から始まる市立劇場のオペラシーズン最初に、まず愛の妙薬のベルコーレ役が控えてます。アンコーナで歌ったきり7年ぶりのベルコーレ役です。
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新ベルカント派の記事2回目は、
いったんベルカントを紹介させてもらいましょう。
ベルカントの定義などどうでもいいことです。
声楽史を学びたいならオペラ歌手として生活費を劇場で得れるようになってからやりなさい。
しかしながら、むりやりわたしが定義すると、
19世期前半から中期にかけて考察され、また採用されたイタリアのオペラの歌唱法および訓練法の派閥です。
それはおそらくはナポリ派のカストラートの訓練法に端を発し、ロッシーニの時代にヨーロッパ全体で全盛期を迎えました。
しかし古典派ベルカントと呼ばれるものはロッシーニ以降は廃れ、1960年代以降にカルロ・ベルゴンツィをはじめとする歌手たちによってベルカントの見直しが行われた、、、というのがわたしの、というかオペラ界での観点。
しかしこの記事では古典派ベルカントに触れましょう。
古典派ベルカントは、たんにベルカント、あるいは真のベルカントなどと呼ばれることも多いです。
そのメソッドの範囲はあまりに広いが、読者の皆様は気にする必要はない。
なぜなら、劇場主催者にとっては、あなたがうまく歌えるかどうかが大事で、あなたの歌のスタイルが真のベルカントかどうかではない。
わたしはベルカントという概念をまったく欠いたまま、
新国立劇場にデビューし、パリ留学後すぐに音楽院オペラ科に入り、国際コンクールをとり、パリで主役デビューした。
つまりこの程度のミニ勝利なら、ベルカントはマジで関係ない。
ただ、わたしにとっては、
古典派ベルカントは、じぶんの大本のメソッドであるメロッキ派をふくらませ、新ベルカント派への架け橋をつくるには、たいへん重要だったです。
というか、メロッキ派と新ベルカント派をふたつともじぶんの歌唱メソッドとするために、どうしても必要な学びであった、、、とは今思います。
とくに、パリで、故ジャクリーヌ・ボナルドが教えてくれたBere la voceはわたしにとって古典派ベルカントというものを、メソッド、技術の側から説明しています。
このイタリア語は、ランペルティの言葉ですから、ベルカントの根幹の理論に基づいている。
なんであれ、ボナルドは、古典派ベルカントという曖昧な理想論をちゃんと歌うことのできるメソッドにした点で、実践派であり、尊敬できます。
わたしは彼女の著書を買い求め、研究したのでした。
↓ボナルド女史の著作。題名は直訳すると声楽教師: 声の構築のための楽器製作者。
Luthierとはイタリア語だとLiutaio、とくに弦楽器の製造や修理に携わる業者のことです。
著書はどうじに歴史的な声楽家たちに関する証言や、音楽や人生の格言などにちりばめられた書物として美しい本です。

さて、彼女にオーディションを頂いて、チェネレントラを歌ったが、
このとき、Bere la voceを試してみた結果、、、、劇場でのオペラの方法論として使うことはできず、すぐにメロッキ派の方法論に戻らざるを得なかった。
もちろん、これは、メソッドの敗北ではなく、 この方法論には絶対的に正しい真理もあると同時に思い、
オフシーズンにヴァッカイを使って研究を重ねたのでした。
ちょうどそのときにこのブログも始めています。
舞台でつかえるメソッドではないことは、
最初期から認識していたにもかかわらず、
それでもいわねばならないのは、
古典的ベルカントからはポジションにおいて学べることです。
それは、喉頭派がまったく考えない点、
マスケラについて考えさせます。
ベルゴンツィの言葉、カヴァーとは硬口蓋から下方へ向かう、をわたしは遅ればせながら参加したブッセート・ヴェルディ・アカデミーで知りました。別名、ベルゴンツィ・アカデミーにおいて、ふたたび、ベルカントの最大の核心、ポジションについて考えさせられたのでした。
ボナルドは、音は前歯の前、鼻の前で開始され、カーヴを描き(ジラーレと彼女は説明した)「口奥に向かって飛んでいく(カルーソー)」。つまり声の向きは前ではなく後ろであり、
声とは飲む(BERE)ものであり、歌唱は吸気によってなされる、と述べました。
ここにはひとりのオペラ歌手として突っ込みたいことが1万個あります。
とくに、オペラ歌唱は吸気によってなされる点。
あくまでオペラ歌唱は、横隔膜からの呼気による支え、すなわちAppoggioは不可欠です。
ただし、この記事ではすこし視野を広く取りましょう。
この方法論で歌ってみると、おなかにたいしてある種の圧力上昇があるのを感じました。
じつは、ボナルドは、わたしの思い出す限り、呼吸法へのアドヴァイスはほとんどなかった。
わたしは、BERE LA VOCEを以下のように劇場で修正しました。
吸気で歌う、という概念は、アプネアのなかで空気圧を上昇させるという意味に、違う言い方だと、空気圧を移動させるという意味に拡大解釈しました。
また、ボナルドのいうジラーレは、あくまでおなかで回すやり方に変えました。
これは、敬愛するジュゼッペ・ジャコミーニの採用した、大地から吸い上げる呼吸法です。
ポジションは、鼻の前ではなく、歯の後ろ、つまりベルゴンツィのいう硬口蓋に変えました。
そして、当然だが、喉頭派のやり方を完全に捨て去ることはしなかったです。
喉頭を全く考えずに劇場で通用する響きをつくるのは不可能だからです。
さて、こうしてわたしは気づかぬうちに、
喉頭派で歌いながら、古典派ベルカントのやり方からいろいろと盗み、勉強するうちに、
ようするに、新ベルカント派の成立、というものをじぶんの歌手人生として実践していたのでした。
ドイツでフランチェスカパタネとマルコキンガリという二人のエージェンシーでの大先輩に出会い、ふたりはベルゴンツィの愛弟子であり、
ここでわたしは新ベルカント派のメソッドに触れたが、
ドイツで歌ってる頃には、すでにある種の新ベルカント派の傾向、つまり、喉頭派 プラス ベルカントで歌ってました。
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余談として、では、Bere la voceそのものは、歌唱メソッドとして通用するのでしょうか。
オペラに関しては、答えは、ノー。
このわたしみたいに、相当、研究してきた人間でさえ、オペラの舞台でそのまま使ったことはない。
それはシンプルで親しみやすい歌唱法だが、喉頭の概念がなく、呼吸法への熟慮も浅い。
とくに、オペラ劇場で国際的な競争に打ち勝つ強靭な響きを生み出せない。
が、この方法論には圧倒的なメリットもあります。
それは、この歌い方で歌われた歌を、嫌いな人間はいない気がします。
もっとも純粋な歌唱形式というか、
歌のうまさ、そのものを、我々オペラ歌手に教えてくれます。
たとえばポップス、ミュージカルのシンガーたちがこの方法論を学んだら全員、
成功できるはず。
つまり、この方法論はなんだかんだ、オペラという芸術の揺籃期を支えてきた以上、
何かが絶対的に正しいのです。
そのままでは現代の劇場に使えないからという理由で古典派ベルカントを軽蔑するのは道徳的というよりテクニカルな意味でよくないし、それは、1960年以降の偉大な歌手たちが研究してきたことを理解できないことにつながるでしょう。
次回は、新ベルカント派における喉頭派の受容について述べることでしょう。