読者のみなさま、
10月は久々に椿姫を歌ったりしてました。思えば9-10月はアブルッツォでのヴェルディガラを含め、ヴェルディを歌うことが多かった。久々にヴェネタ州でコレペティに3日間指導してもらい、トスカニーニ伝統のヴェルディをしっかり入れてもらって準備しました。11月はヴェルディの世界から離れ、ザンドナイ歌曲の夕べに向けて準備しており、また12月はクリスマスのコンサートツアーを受けることを決め、10数か所の劇場やホールをまわる予定です。
↓椿姫を歌ったマンチーニ劇場、シェークスピアでも演じたほうがいいようなこじんまりした19世紀の劇場でした。
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喉をあけることに関して、わたしも含めた声楽にかかわる人たちは、結局、わかってない、というのが本当だと思います。
喉を開けることが大切だ、と近所の声楽の先生も仰っていると思います、が、
喉をあけることは、とりあえず、口を開けることとイコールではなく、顎を緩めることでもなく、
軟口蓋を上げることでもない。
しいていうと、メロッキ派のわれわれが主張するように喉頭を下げること、というのはすこし信ぴょう性があるが、
それでもなお、喉をあけること=喉頭を下げること、とわたしはレッスンでは言わない(わたしの音楽院指導教授Anna Maria Bondiはそのように述べたが)。
結局、指導者として、わたしが一言で定義できない。
強いて定義するならば、それが正解とまではいわないが、密閉があるうえで(マスケラ&喉頭の密閉があるうえで)適切な横隔膜のSostegnoで声門加圧を高めることで結果としてスペースを生むこと、です。
そして、喉をあけることの目的は、楽器的な響きを生むこと(楽器にはスペースがあることを思い出してください)、
またパッサッジョから高音にかけて同じサイズと響きで歌うため、同じリラックス感覚で歌うため。
喉をあけるというのはあくまでイメージであると考えられがちですが、
喉にじっさいにスペースを作り出すことが『都市伝説ではない』ことを医学的な動画を通して教えてくれたのが師であるLaura Brioliですが、それが空気圧によって膨らむとも言っていました。
さて、このコラムは、この喉のスペースをあけるために声門下圧を高める際に行わねばならない密閉のうち、
喉頭の密閉にかかわることです。
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さて、謎であったのは、パッサッジョからアクートにかけて喉のスペースを拡大する、(あるいは拡大するからこそアクートのフォームになる)その過程で行われていることです。
わたしが教えるときにつかう9度のスケールを一緒に学んでみましょう、このとき常にわたしが主張するように、コロラトゥーラはVerdiana(Donizettiana)であるべきです、つまり、一音一音に柔らかい息を与えて、歯車を動かすように、アッポッジョを確立します。
『一音一音歌え』というのがわたしが常に言われたことで、わたしもクライアント諸君に述べたいことです。
披裂軟骨を声帯の厚みが変わらないように回転運動を用いて空気圧を逃がさないようにすると響きが一定になります。
もっと上手になれば、空気圧を逃さないどころか、空気圧を高めて喉をあけ、さらに充実した響きにでき、アクートの伸びもつきます。(Sostegnoが適切に実現できている条件は依然あります)。
その働きは、外転と内転とがあるが、ざっくりいうと外転は吐くような感じ、内転は呑み込む感じ。
わたしは非常に有益なたとえとして、砂時計の例を持ち出します。砂時計の下が喉、上が広い劇場空間です。
この狭くなったところを通るときに披裂軟骨を用いて、花開くイメージで通り抜けるのです。
俗に、針の穴を通るように、と言いますが、このたとえよりも、砂時計のイメージのほうが空間を得やすいかもしれないし、
実際に広い劇場で歌う感覚をつかみやすいかもしれないです。
花開くというイメージにたいしていちばん考えうる批判は、カヴァーしなければならないのではないか、ということです。
しかし、それは順序が逆。わたしの考えでは、密閉こそがカヴァーですから、マスケラと喉頭による密閉=カヴァーが『あるからこそ』花開く音を実現できます。
オペラの歌唱は、高いところにいえばいくほど、逆三角形型に音は拡大していくべきです。パッサッジョからアクートに移行したときに広いところに出た感覚のない場合、それはHigh noteではあるが、voce acutaではない。
わたしが若きオペラ歌手の卵の諸君に伝えたいことは、La voce ApertaとLa gola apertaの違いで、
前者は口をあけて口から抜けた声(しかしそれは母音修正して暗くすぼめた声よりもわたしは好きです)、
後者は狭いところを通り抜けて広いところにでた声だということ。
前者にはスペースがなく、後者には楽器的なスペースがあります。
レッスンでまた具体的に伝えさせてください。
では次回のシリーズ、コラムでお会いしましょう。