歌曲は特に若い歌手が世に出てくには極めて重要で、この分野で自分を押し出す実力とノウハウを知らねばならない。海外音楽院に10代から23歳くらいまでに入りたい人はぜひ目を通してほしい。
どうも歌曲はイメージがわるいというか、歌曲しか歌えない声、とかそんなふうにも言われがち。

だが、わたしのような激発声マニアおよび欧州の劇場ではや11年目のオペラ歌手の私が言うことで、1ミリくらいは説得力もあると思うのだが、欧米でオペラ歌手として有能なエージェントをつけて活動したいなら、とくに若いときは歌曲で名人芸と深い芸術性を世に見せつけることである。
声が軽い人が歌曲を歌うイメージがあるだろうが、逆に声の重いひとこそ歌曲をやらないと若いときに劇場で歌う役がない。むしろ声の軽い人は若いときに歌える役が各オペラ作曲家ごとにある。いっぽう歌曲を歌う完成と技術を磨けなかった重い声の歌手は、30歳からプッチーニやヴェルディの役を脇に抱え、本格的な活動を開始するつもりかもしれないが、20代を欧州や新国立劇場でのキャリアなくして30代をスタートすることは非常識。わかりやすい例がカウフマン、20代は主に歌曲を歌うのもありだ。

歌曲が発声にいいとか、声を柔軟にするとかいう嘘を言うつもりはないがヴェルディで訓練された声は驚くほどそれを歌曲の様々なシーンで詩の世界を表現できることをぜひチャレンジし、証明し、確認してもらいたいとは思う。

さて、器楽にも似てる歌曲のヴィルトゥオジティについて記すと、ひとつは速い楽曲を才気とエネルギーでやりきること。ヴォルフのように、早くてユーモアのある曲で審査員を圧倒し微笑ませる技術をもつこと。
もう一タイプのヴィルトゥオジティは近現代歌曲をきわめて音楽スタイルを知的に理解し歌うことだ。
わたしがまず援助したいのは以上の2タイプの曲に関してだ。

だいたい生徒はアダージョの詩的な曲を持ってきたりするが、ショパンの夜想曲が国際ピアノコンクールで使いにくい意味で使うシーンはあまりない。こういう曲はアリアと組み合わせ試験やコンクールで使うこともできない、組み合わせるアリアがよほどプレストのオペレッタ的なものでない限り。
みっつめはヴィルトゥオジティとは少し違うが、若くしてリーダーアーベントを開けることを示すこと。
一晩をひとつの作品丸ごとをそのひとの感性と声だけでまとめるにはたいへんな練習になる。桁違いの集中力、なによりアーティストとして自立してるところを見せることにつながる。

これらの歌曲へのチャレンジは、若い歌手にほぼ確実に与えられる現代オペラの試練、ないしは現代演出などの雰囲気を掴むにも役立つはずだ。
わたしじしんは歌曲を公の場で歌う機会はなかったが、すくなくとも音大時代は
どの歌曲専門の学生よりもマニアックに学んだことはたしか。
それが留学してすぐ柔軟に様々なスタイルのオペラをどんどん歌えた理由のひとつかもしれない。音高・音大にいるあいだにオペラ実習だけでなく歌曲の研究をマニアックに楽しめる感性をもってほしい。