幸せに生きること
終活の一環として遺書のように始めたブログ
とか云ってもいつも他愛もない話題しか書いてないんだけどね
たまには 幸せに生きるって何かを考えてみた
老害(自分、私、我)は
思想家でもないし宗教家でもない
スピリチュアルな考えも面白いけど
そんなに深く考えてない
立ち位置で云ったらどっちつかずかなあ
差し障りがあると困るからザックリ書くけど
この世の中
相当昔からの深〜いある流れでこの国は動いてるかもしんないし世界も動いてるかもしんない
そんな訳のわからない事情によって
小市民である老害が流されてる構図
ズッポリハマらされてるんだよね‥
人間の欲ってなんだろう
幸せってなんだろう
昭和って
親が戦争体験者で
戦前、戦中、戦後を知ってる
戦前のほのかな幸せや異国への憧れ
戦中の生きるか死ぬかを超えた幻影
戦後の持たされた幻の希望
妥協する心を持つのが大人と教えられ
そこから芽生えるのは
義務を果たす事こそ幸せ
って、その義務っていったい何?
社会貢献する事?
じゃあその社会貢献って?
その社会を動かしてる人たち
動かされてる人たち
前者になるよう親から勉強しろと云われ
前者になれなければ後者になる
どっちが良いのか
老害は食べ物で例えれば
ご馳走食べに外食しても
家に帰って来て食べるお茶漬けが美味しく感じる幸せを選ぶかなあ
って妬みかなあ
そんな老害だけど
ある意味努力しないで
ある流れだけで裕福な時があった
でも、幸せは感じなかった
震災を目の当たりにして
人としての幸せを初めて考えた
生き方を変えた
そのために家族に苦労をかけ
自分の無力さを知り
身体を酷使し
僅かな賃金で僅かな幸せ得た
でも、かしこまらずに笑いあえる仲間が出来たかなあ
それって自己満足?
なにが正解?
幸せってなんだろうって考える時は
幸せの真ん中にいる時かなあ
でも、諦めてない夢があるんだけど
それって
ズッポリハマってるって事?
訳がわからなくなってきた
どっちでもいいや
今日父の命日で、お彼岸行けてないから
お墓で父に聞いてみよう!
またまたこの動画
若い頃の父がいるんだよなあ
おまけ
前回の
リベンジのつもりが
今回も失敗
合唱部分を打ち込んだのに
借りたスタジオのピアノ音がスゴすぎて
打ち込みが聴こえない